「核兵器廃絶」へ何ができるだろう…原爆の犠牲者も描いた「ターニング・ポイント」製作に参加した大学生の胸中(2024年4月30日『東京新聞』)

 
 3月に公開された核兵器と冷戦を描いた米国製作のドキュメンタリーに、日本人の大学生がアシスタントとして参加した。高校時代に、米国に留学した際、ロゴマークが原爆のキノコ雲だったことで、日米間の核への認識の違いに触れた。各地で相次ぐ紛争で、核兵器使用が現実問題となる中で、ドキュメンタリー製作に参加した思いを聞いた。(山田祐一郎)

◆ネトフリのドキュメンタリーで国内取材をサポート

 「日本の核被害は思ったよりも世界に伝わっていない」。こう話すのは、早稲田大4年の古賀野々華さん(23)。Netflixで公開されているドキュメンタリー「ターニング・ポイント 核兵器と冷戦」(ブライアン・ナッペンバーガー監督)の製作にアシスタントとして参加した。
日米の原爆に対する認識の違いについて話す古賀野々華さん=東京都千代田区で

日米の原爆に対する認識の違いについて話す古賀野々華さん=東京都千代田区

 全9話のうち、米国での原爆開発計画「マンハッタン計画」と広島や長崎への投下を描いた第1話を中心に、日本国内での取材をサポートした。撮影が行われたのは、2022年8月6日の広島での平和記念式典の前後。撮影の事前準備や当日の同行、撮影後の資料収集などを担当した。
 大学での講演で、共同プロデューサーを務めたジャーナリストでドキュメンタリー監督の大矢英代さん(37)から撮影が行われることを聞き、「見学したい」と申し出た。ちょうどそのころ、古賀さんも自身で広島に足を運び、被爆者のドキュメンタリーの取材を進めていた。「きっかけは、ロシアによるウクライナ侵攻。核兵器が使用されるかもしれないと思い、自分にできることは何かと考えた」

◆留学先で見た「キノコ雲」 近くにあったのは核施設

 核兵器に対する日米の認識の違いについて関心を強めたのは高校時代の米西部ワシントン州リッチランドへの留学経験だ。「たまたま通った学校のロゴがキノコ雲だった。それまで戦争や平和についてほとんど関心がなかったが、帰国して大学に進み、ジャーナリズムを学ぶ中でドキュメンタリーのテーマにしたいと思うようになった」という。
高校時代の古賀野々華さん(右)。留学先の高校のロゴにキノコ雲が使われていた=本人提供

高校時代の古賀野々華さん(右)。留学先の高校のロゴにキノコ雲が使われていた=本人提供

 リッチランドは、マンハッタン計画の拠点の一つで、長崎に投下された原爆のプルトニウムを作った「ハンフォード核施設」のすぐ近く。「ロゴがキノコ雲だったり、学校のスポーツチームの愛称が『ボンバーズ』だったりしたが、当時は違和感を持っていなかった」と振り返る。
 一方で歴史の授業では驚きを感じた。「日本では原爆投下は必ず触れられるのに、こちらではほとんど取り上げられなかった」。また「日本に原爆を落とすべきだったかどうか」について意見を書くという課題もあったといい「日本で培った価値観に『落とすべきだった』という選択肢はなく、驚愕(きょうがく)した」と話す。

◆原爆に対して「誰も悪気がない」と感じた

長崎市の平和祈念像(資料写真)

長崎市平和祈念像(資料写真)

 帰国直前の19年5月、校内向けの動画に出演し、自身の思いを伝えた。古賀さんは福岡県大牟田市出身。長崎へ投下された原爆は当初、福岡県小倉市(現北九州市)が目標地だった。天候不良で変更されたが、人ごととは思えない。「予定通り原爆が落とされていたら祖父母は焼かれ、私はいまここにいなかったかもしれない」。そして「命を落としたのは民間人だった」と訴え、原爆を誇りに思っていいのかを問いかけた。
 同級生の反応は「教えてくれてありがとう」「あなたが言ってくれなかったら知ることができなかった」というお礼が多かったという。「10カ月ほどの滞在で感じたのは、誰も悪気がないということ。原爆は知っているが、どのようなことが起きたのかは知らない。教えられていないから知る術(すべ)がない」と強調する。

◆核施設周辺の放射能汚染、本当に「大丈夫」なのか

 2022年10月、古賀さんは再びリッチランドを訪れた。「広島で被爆者の話を聞く中で改めて原爆被害の悲惨さを感じた。一方で、米国には『原発を落としたから戦争が終わった』という認識がある。米国側の視点をもっと知りたいと思った」
 リッチランドを含むハンフォード地域は1940年代から核研究施設が稼働し、冷戦時代も核兵器用のプルトニウムの生産が続いた。1987年に原子炉は停止したが現在も放射性廃棄物が貯蔵されている。放射性物質の放出が問題視された時期もあったが「もう終わった話となっている」と語る。
 
日米の原爆に対する認識の違いについて話す古賀野々華さん=東京都千代田区で

日米の原爆に対する認識の違いについて話す古賀野々華さん=東京都千代田区

 約2カ月の滞在中、ハンフォード周辺で長年、被ばくを問題視していた高齢男性に話を聞くことができた。この男性は幼少時から鼻血がよく出るなどの症状があり、農場の動物の子どもに影響が出ていることを訴えてきた。一方で、ホストファミリーなど地域の人々に放射性物質による汚染について意見を聞いたが、みなが「大丈夫」と口をそろえたという。また「この地域では当然のリスク」と答える人も。現地の再訪を通じ「原爆に誇りを持ちながら、核の被害を誰よりも受けている」との矛盾を感じ、「米国での核被害の不可視化」をテーマに卒業論文を書いた。

アメリカ国内でも核被害 実態を知ってほしい

 そのような矛盾を抱えるハンフォードを、東京電力福島第1原発事故を経験した福島の復興の参考にしようという日本政府や民間団体の動きに古賀さんは危うさを感じている。「現地は仕事が多く、給料も高い。小さな町では受けられないような高度な教育も受けられるなど核関連施設の恩恵がある一方で、リスクが見えなくなっている。同じことを福島で繰り返すのか」
 
日米の原爆に対する認識の違いについて話す古賀野々華さん=東京都千代田区で

日米の原爆に対する認識の違いについて話す古賀野々華さん=東京都千代田区

 いまは核兵器廃絶のためにできることを模索中だ。「最大の核兵器保有国の米国の世論が変わらなければ意味がない。米国内にも核による被害があるという実態を知ってもらえれば、違った方向に向かうのでは」
 卒業後は、米国での核被害をテーマにしたドキュメンタリーを発表したいと考えている。
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◆「ターニング・ポイント」どんな作品?

広島での「ターニング・ポイント 核兵器と冷戦」の撮影風景=大矢英代さん提供

広島での「ターニング・ポイント 核兵器と冷戦」の撮影風景=大矢英代さん提供

 3月に公開された「ターニング・ポイント 核兵器と冷戦」は、米国の原爆開発から、東西冷戦時代の核兵器使用の危機、ロシアによるウクライナ侵攻で再び懸念が高まるまでの歴史を描いている。共同プロデューサーの大矢英代さんは「今回のシリーズでは、原爆の犠牲者の姿を入れるということにこだわった」と話す。
 日本でも公開された原爆開発者を描いた映画「オッペンハイマー」で、広島や長崎の被害はほとんど描かれなかった。ドキュメンタリーの下書き段階では犠牲者はやけどや包帯の姿だけとなっていたため、より強烈な映像に変えた。米国の製作会社が手がけ、プロデューサーは大矢さん以外は米国人。「日本人が考える原爆はキノコ雲の下で起きた壊滅的な被害だ。だが、米国人が描く原爆のイメージは、空から見下ろすキノコ雲の様子でしかない」と認識の違いを感じた。
 
広島市の原爆ドーム(資料写真)

広島市原爆ドーム(資料写真)

 だが近年は、米国でも映画やドキュメンタリーのテーマとして核兵器が取り上げられるケースが目立ってきている。その背景を「ウクライナ侵攻により、ロシアの核兵器使用に危機を感じているが、人類に対して最初に核兵器を使用したのは米国だというのを米国人自身があまり知らない。責任があるということを伝えないといけないという問題意識が米国内でも出てきているのでは」とみる。
 いま、核兵器の歴史を取り上げる意味を大矢さんはこう強調する。「平和のために武器が必要だという米国的な考え方がいま日本でも広がっている。しかし、原爆が戦争を終わらせたのではなく、新たに冷戦を生み出したということを知ってほしい」

◆デスクメモ

 広島と長崎への原爆投下で1945年末までに計20万人以上が亡くなったとされる。人道上、到底許容できない。「戦争を早く終わらせた」という見方は一面的だ。核保有国のロシアやイスラエルが関わる戦争が起きている。被爆国日本は核兵器の非人道性をより強く訴えるべき時だ。(北)