「原爆の日」(79年目)に関する社説・コラム(2024年8月10・11・12日)

英作家サキの短編にトバモリーという言葉をしゃべるネコの話が…(2024年8月12日『東京新聞』-「筆洗」)
 
 英作家サキの短編にトバモリーという言葉をしゃべるネコの話がある。あるパーティーでのこと。トバモリーが一人の女性にこう暴露する
▼ここのご主人はあんたを招待したくなかった。でもあんた以外にこの家のおんぼろ自動車を引き取る愚か者はいないから招待したんだよ。なんてこというんだ、トバモリー
▼こちらの「招待」をめぐる本当のところを事情通のあのネコに尋ねたくなる。長崎の原爆平和祈念式典にイスラエルを招待しなかった一件である
長崎市イスラエルに反発する勢力による不測の事態を考えての判断というが、招待しないことでパレスチナ自治区ガザに対するイスラエルの過剰な攻撃をやめさせたいという本音もあったか
▼原爆で大勢の命を失った長崎はガザの苦しみが痛いほど分かるのだろうと想像する。残念ながら結果は穏やかではない。イスラエルの攻撃を支持する米国、英国、ドイツなどがそれならばわれわれもと大使出席を見送った
▼難しい問題である。長崎の思いは思いとして式典の目的が核兵器の廃絶と世界平和にあるのなら、ガザの現状に泣きながらでもイスラエルに招待状を送る選択もあったかもしれぬ。核廃絶という長く険しい道のり。肝心なのは長崎と原爆被害から国際社会の目をそらさせないことだろう。不幸な出席見送りを招いた長崎市の判断は責められないが、心配も残る。

長崎原爆式典 分断象徴する残念な事態(2024年8月11日『新潟日報』-「社説」)
 
 犠牲者を慰霊し、平和を祈る式典が国際社会の分断を象徴する場となってしまった。残念でならない。積極的に解決に動かなかった日本政府の対応も疑問だ。「長崎を最後の被爆地に」との誓いを決して忘れてはならない。
 原爆投下から79年となった9日に長崎市で開かれた平和祈念式典に、日本を除く米英など先進7カ国(G7)と欧州連合(EU)の駐日大使が欠席した。
 理由は長崎市が、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルを招かなかったからだ。
 長崎市鈴木史朗市長は「政治的理由でなく、不測の事態発生のリスクなどを総合的に勘案した」と説明した。
 しかし大使らは、長崎市ウクライナ侵攻を理由にロシアとベラルーシを招かなかったことを念頭に「ロシアやベラルーシのような国とイスラエルを同列に置くことになる」と反発した。
 パレスチナは招待していることから、エマニュエル駐日米大使は「政治的な決定で、安全とは無関係」と批判した。
 病院や学校などに激しい攻撃を繰り返すイスラエルは、世界中から厳しく批判されている。
 大使らの欠席は、平和を願う式典でイスラエルの行為を支持する姿勢を示したようにも見える。やるせない思いだ。
 特に原爆を投下した米国の大使は、被爆の実相を知るためにも出席は欠かせないはずだ。
 一方、長崎市は6月、イスラエル大使館に即時停戦を求める書簡を送付すると表明していた。
 これを踏まえると、不招待の理由には抗議の意が込められていたと思われる。だが鈴木氏は不測の事態発生のリスクが理由だと説明し、結果的に不招待の意図が曖昧に映ったことも否めない。
 問題は、日本政府が静観を続けたことだ。市と米側の双方に事態打開を働きかけた形跡は見えない。唯一の被爆国で「核なき世界」を掲げる政府としては、積極的に動くべきだったのではないか。
 式典後に岸田文雄首相は、国の指定地域外にいて援護対象となっていない被爆体験者と面会した。首相の面会は初めてのことだ。
 広島では被爆者と認められたが、長崎は対象外のままだ。救済を求める被爆体験者に首相は「厚生労働相に具体的な対応策の調整を指示する」と述べた。
 国は原爆投下後に「黒い雨」が降ったとの客観的な記録がないなどとするが、被爆体験者の高齢化は進んでいる。首相の主導で早急な解決に導いてもらいたい。
 新潟市は原爆の投下候補地だった。投下訓練のための模擬原爆が長岡市柏崎市、阿賀町に落とされ、計6人が亡くなっている。
 広島や長崎で起きた惨禍をわが事と受け止め、不戦の誓いと核兵器廃絶への思いを新たにしたい。

長崎「被爆体験者」 首相は救済の責任果たせ(2024年8月11日『信濃毎日新聞』-「社説」
 
 被害者を切り捨ててきた姿勢を、根本から改められるかが問われる。長崎の「被爆体験者」をめぐる岸田文雄首相の発言である。
 課題を合理的に解決できるよう具体的な対応策を調整する―。原爆の日の9日、当事者と初めて面会した際に述べ、同席した厚生労働相に指示した。
 国が指定した区域の外で原爆の被害に遭った被爆体験者は、被爆者と認められず、援護行政から取り残されてきた。医療費の支給は受けられるものの、精神疾患とその合併症に限られ、被爆者とは大きな隔たりがある。
 爆心から南北およそ12キロ、東西7キロ余。指定区域は、旧長崎市域に沿って線が引かれ、いびつな形をしている。行政側の都合でしかない区域の内か外かで分けること自体が合理性を欠く。
 原爆投下後、放射性物質を含む雨や灰は広範囲に降った。被爆体験者は、区域の線引きにかかわらず健康被害の実態があると訴えるが、政府は科学的・客観的な裏づけがないとして背を向け続け、裁判でも退けられてきた。
 広島の「黒い雨」をめぐる訴訟では、広島高裁が2021年の判決で、指定区域外にいた原告全員を被爆者と認めている。被ばくによる健康被害の可能性が否定できなければ被爆者と認定すべきだとし、被害の回復に大きく門戸を開く判断だった。
 政府が上告を断念し、判決は確定した。にもかかわらず、改定した認定基準で新たな線引きをし、被害者の切り捨ては続いている。長崎の被爆体験者も、広島と同じように被害を受けながら、認定の対象から除外された。救済の責任を負う範囲を限定する政府の姿勢は変わっていない。
 岸田首相の発言は、厚労省の幹部も寝耳に水だったという。早急に、と首相は述べたものの、いつまでに何をするかは判然とせず、その場しのぎに体面を取り繕ったようにも受け取れなくない。それだけに、被爆体験者の間には期待と疑念が入り交じる。
 とはいえ、解決に動くことを首相自ら当事者に明言した事実は重い。広島選出であることを強調してきた岸田氏だ。原爆投下から年月を経て、被害者は高齢になり、亡くなる人も相次いでいる。時間の猶予はないと心してほしい。
 根本的な解決には、区域を限り、被害者を分け隔ててきた制度そのものを改める必要がある。原爆の影響を否定できなければ被爆者と認め、広く被害の回復を図ることは政府の責務だ。

長崎の被爆体験者 「疑わしきは救済」の対応を(2024年8月11日『中国新聞』-「社説」) 
 
 長崎市はおととい、被爆79年を迎えた。平和祈念式典後、岸田文雄首相と被爆者が面会した場に、初めて「被爆体験者」が加わった。求めたのは、国が被爆者として認めることだ。鈴木史朗市長も平和宣言で「一刻も早い救済」を要請した。被爆体験者は高齢化が著しい。国は認定の在り方を早急に見直すべきだ。
 被爆体験者とは、長崎原爆の爆心地から半径12キロ圏内のうち、被爆者援護法に基づく国の指定区域外で原爆に遭った人を指す。2002年にできた呼び方だ。被爆者とは区別され、被爆者健康手帳は交付されない。3月末時点で長崎県内外に6323人いる。
 状況が似ているのが、広島原爆の「黒い雨」の被害者だ。こちらは21年7月の広島高裁判決で、指定区域外で黒い雨を浴びた原告84人全員が被爆者と認められた。当時の菅義偉首相は上告を断念し、原告と「同じような事情」にある人々の救済も検討する考えを示した。
 被爆者認定の新基準の運用は22年4月に始まった。だが長崎の被爆体験者はこの対象になっていない。長崎では指定区域外で雨が降った客観的な記録がないことなどが理由とされる。対象を広げて財政負担を増やしたくないという政府の意図が見える。
 被爆体験者と面会した首相は、同席した武見敬三厚生労働相に問題の解決に向けた調整を指示。厚労相は「早急に合理的な解決方法を検討する」と述べた。面会後、被爆体験者の岩永千代子さん(88)は「私たちの目の前で指示をしたということは、救済につながる道かなと思った」と前向きに捉えていた。
 ただその場にいた厚労省幹部は「寝耳に水」と驚いていたという。省内に議論のベースが既にあるわけではなく、今後どう進むかは不透明だ。
 厚労相の「合理的な解決」との表現にも注意が要る。かつて広島の黒い雨被害者は「科学的、合理的な根拠がない」として認定を却下されるケースがあった。そもそも戦時中の状況を、今から合理的に説明するのは難しい。
 被爆体験者が広島の黒い雨被害者と同じように、被爆者として認められたいと思うのは当然だろう。岩永さんは首相に「私たちを被爆者と認めないのは法の下の平等に反する」と強く迫った。国は「疑わしきは救済」という被爆者援護の原点に立ち返り、認定するよう再考してほしい。
 来年は被爆80年の節目を迎える。被爆体験者はそれだけ長い期間、心身の不調に加え、被爆者と認められない悔しさを味わってきた。もともと原爆被害は戦争という国の行為によってもたらされた。戦争を遂行した主体として、国には果たさねばならない責任がある。
 被爆体験者訴訟の長崎地裁判決が9月9日に予定されている。その結果にかかわらず、政府は救済の網を広げる必要がある。強制不妊水俣病など、被害者に対し国の不誠実な姿勢が司法の場で断罪される例が相次いでいる。早急に重い腰を上げ、誠実な対応に踏み出すべきだ。

長崎式典の欧米対応 慰霊に相応する行動か(2024年8月11日『山陰中央新報』-「論説」)
 
 犠牲者を慰霊し平和を誓う式典の趣旨にそぐわない政治的問題に発展してしまった。米欧の大使らの欠席は外交的節度を欠いた過度の意思表示と受け取られかねない。
 長崎市が9日の「原爆の日」に主催する平和祈念式典にイスラエルを招待しなかったことを理由に、先進7カ国(G7)のうち日本を除く米英など各国駐日大使がそろって欠席した。戦争で多数の命が奪われた現地の人々の声に耳を傾けるのが、あるべき外交の姿ではないか。
 米英に加え、フランス、ドイツ、イタリア、カナダの計6カ国と欧州連合(EU)の大使が同一行動を取った。被爆国の国民感情として、厳粛に営まれる追悼の場に露骨な国際圧力をかけられたようで違和感を禁じ得ない。各国間でどのような話し合いがあったのか明らかにすべきだ。
 特に米国は原爆投下の当事者であり、エマニュエル駐日大使の言動は他国と比べて一層の重みを持つ。6日に広島の式典に参加する際、エマニュエル氏は次のようなメッセージを発していた。
 「悲劇と苦難の廃虚から立ち上がった広島市は、全世界に不屈の精神と団結の光を届ける灯台です。式典への参列は広島市民が教えてくれる教訓が決して忘れられないようにするための一個人の責務である」。長崎式典への欠席と整合性が取れるだろうか。
 事の発端は長崎市鈴木史朗市長が6月、パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエルへの式典招待を保留したことだ。即時停戦を求める一方、政治的な判断ではなく「式典を厳粛な雰囲気の下、円滑に行いたいという考えだ」と説明した。抗議活動などが起きる警備上のリスクがあることを懸念したといい、市は7月末までに招待見送りを決めた。
 長崎市パレスチナ自治政府は招待した一方で、ウクライナを侵攻するロシアと同盟国ベラルーシの両国も招待しなかった。同じ被爆地の広島は6日の式典にイスラエルを招待し、対応が分かれていた。
 まずイスラエル長崎市に反発し、同国に近い米国や英国の大使らが相次いで呼応した。米欧にしてみれば、長崎市パレスチナ側を招待し、イスラエルを招待しなかったのは不公平だと言いたいのかもしれない。
 確かにガザ紛争のきっかけをつくったのはイスラム組織ハマスだ。しかし自治区内にも反ハマス派は少なくなく、その後のイスラエルの過剰な報復でガザの犠牲者は4万人に迫り、深刻な人道問題となっている。
 イスラエル寄りの米政権の姿勢は、ウクライナを侵攻したロシアに対する態度と「二重基準ではないか」との非難が国際社会に広がっている。
 長崎市長イスラエル不招待の理由に警備上の問題を挙げたが、さらに丁寧に説明し根回しをしておけば、摩擦を減らせた可能性がある。来年以降の検討課題だろう。
 日本政府が「長崎市の判断」などとしてこの問題を傍観しているのも看過できない。唯一の被爆国として世界に非戦のメッセージを発する役割を果たしていないと言わざるを得ない。
 G7の結束にも、ほころびが生じかねない。広島選出で「核兵器のない世界」を掲げる岸田文雄首相は今こそ、被爆地の思いに応える式典の実現に尽力すべきだ。

長崎の平和式典 大国の論理を持ち込むな(2024年8月11日『西日本新聞』-「社説」)
 
 長崎原爆の犠牲者を悼む場が、国際政治に翻弄(ほんろう)される形になってしまった。残念でならない。
 おととい長崎市で開かれた平和祈念式典に、日本を除く先進7カ国(G7)と欧州連合EU)の駐日大使が出席しなかった。
 長崎市パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待しなかったことに反発し、格下の公使らの出席にとどめたのである。ウクライナ侵攻を理由に招待されていないロシアやベラルーシと、イスラエルを同列に置くことになると批判した。
 原爆を投下した当事者である米国の大使らの不在に、長崎市民の間には困惑や失望が広がった。
 鈴木史朗市長は、抗議活動など「不測の事態」が起きる可能性を考慮して招待しなかったという。「政治的な理由ではない」との説明も不十分で、説得力に欠ける。
 ただ市側は6月に「即時停戦」を求める書簡をイスラエルに送付し、状況が改善すれば招待すると伝えていた。
 ガザ攻撃への批判が根底にあり、熟慮の末の決断とうかがえる。非戦を願う被爆者の思いに沿ったものであろう。被爆地を代表する長崎市長としての判断を支持したい。
 ガザの惨状は今なお続く。約4万人に上る犠牲者の大半は子どもや女性である。
 学校や病院などへの残虐な攻撃は収束しない。米欧側が主張する「自衛権」をイスラエルが逸脱しているのは明らかだ。国連のグテレス事務総長も「明確な国際人道法違反」と強く非難している。
 長崎市の平和祈念式典では毎年、この地を人類最後の戦争被爆地にと誓ってきた。市民を無差別に殺りくする核兵器の非人道性を訴えてきた。
 その主張は、ガザに対する過剰な攻撃への批判と通ずる。中東の現実は、被爆地にとって人ごとではないのだ。市民を虐殺している国は一律に招待しないという長崎市の判断は筋が通っている。
 ロシアを非難しつつイスラエルを擁護する米欧の姿勢は、明らかに「二重基準」だ。「式典が政治化された」と批判するが、式典に中東情勢を持ち込んだ米欧側こそ批判されるべきだ。粛々と大使を出席させればよかった。
 理想は核保有大国であるロシアも、事実上の保有イスラエルも分け隔てなく招待することだったかもしれない。広島市は式典にイスラエルを招待した。
 看過できないのは日本政府の対応である。外務省は水面下で長崎市に再考を促していた。「核兵器のない世界」をライフワークに掲げる岸田文雄首相自身が、大使出席を米国などに働きかけるのがあるべき姿ではなかったか。
 式典は原爆の犠牲者を慰霊し、核廃絶のメッセージを世界に発信する場である。大国の思惑に振り回されるようなことが、二度とあってはならない。

原爆式典と米欧大使 欠席判断は極めて遺憾だ(2024年8月10日『毎日新聞』-「社説」)
 
キャプチャ
長崎平和宣言の後、一斉にハトが放たれた平和祈念式典の会場=長崎市平和公園で2024年8月9日午前11時12分(代表撮影)
 
 長崎・原爆の日の式典を米国や英仏など欧州主要国の大使が欠席した。イスラエルが招待されなかったことが理由という。同じく招待されていないロシアやベラルーシと同列に扱ったと問題視した。
 
 イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃は10カ月を超える。長崎市鈴木史朗市長は「不測の事態」が起きるのを避けるためで、「政治的な理由ではない」と述べた。
 平和式典は、原爆による死没者を慰霊し、核兵器のない世界の実現を願う厳粛な場だ。国際政治の対立を持ち込めば、その意義は損なわれる。
 米欧大使の欠席は、極めて遺憾と言わざるを得ない。
 先月、長崎市宛てに書簡を送り、イスラエルを招待しないのであれば「高官の出席は難しくなる」と忠告していたという。
 国際法に違反してウクライナに侵攻したロシアとは異なり、イスラエルの攻撃は正当な「自衛権」の行使であり、同列視は受け入れられないという理屈だ。
 しかし、現状はどうか。国際社会の即時停戦の要求に耳を貸さず、病院や学校を標的とする攻撃を繰り返している。ガザ地区の市民らの犠牲者は約4万人に上る。
 プーチン露大統領には国際刑事裁判所ICC)が逮捕状を出し、ネタニヤフ首相にも逮捕状が請求されている。国際社会の多くの国がイスラエルへの批判を強めており、米欧は少数派だ。
 にもかかわらず、ロシアとイスラエルを区別するよう一方的に迫る姿勢は、独善に過ぎる。
 そもそも米国は原爆を投下した当事者だ。英仏はともに核保有国である。平和を願う被爆者の思いを共有するよりも、戦争を巡る自国の政治的な立場を優先させたことには、失望を禁じ得ない。
 長崎式典への米大使出席は2012年にようやく始まった。原爆投下をめぐる地道な和解の営みが途切れてしまうことを憂慮する。
 核廃絶の理念を軽んじるような言動には反発が強まろう。核保有国と非核保有国の分断がさらに深まることも懸念される。
 日本政府も傍観はできまい。米欧の顔色をうかがうよりも、被爆地や被爆者に寄り添った非核の取り組みに力を尽くすべきだ。

長崎原爆の日 中東情勢に翻弄された式典(2024年8月10日『読売新聞』-「社説」)
 
 多くの原爆犠牲者を悼み、痛ましい被害の実態を世界に伝える貴重な機会が、国際的な対立に 翻ほん 弄ろう されてしまったことは残念でならない。
 長崎は9日、被爆から79回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市では平和祈念式典が開かれ、過去最多となる100の国・地域と欧州連合(EU)が出席した。
 岸田首相は「核軍縮を巡る情勢が厳しさを増している今だからこそ、『長崎を最後の被爆地に』と世界へ訴え続ける」と述べた。
 毎年8月に広島と長崎で開かれる式典を通じて原爆の悲惨さを発信し、核保有国にその使用を思いとどまらせることは、唯一の被爆国である日本の責務だ。その意味で今回、多くの国の代表が式典に出席したことは意義深い。
 一方で、長崎市は今回、パレスチナ自治区ガザで攻撃を続けるイスラエルを招待しなかった。鈴木史朗市長は「政治的理由ではなく、不測の事態が発生するリスクを考えた」と説明している。
 表向き、イスラエルに反発する勢力に式典を妨害されたくなかった、ということのようだが、実際は、イスラエルがガザで人道の危機を広げていることを考慮した、との見方は多い。
 イスラエルは6日の広島市での平和記念式典には招待され、駐日大使が出席した。他方、ロシアとその同盟国のベラルーシは、広島、長崎両市とも招待しなかった。
 イスラエルを招待しなかった長崎市に対し、先進7か国(G7)のうち日本を除いた6か国とEUは、大使が欠席した。6か国などは先月、市に書簡で「イスラエルをロシアと同列に置くことは誤解を招く」と伝えていたという。
 一方的にウクライナを侵略しているロシアと、イスラム主義組織ハマスのテロに対して自衛権を行使しているイスラエルを「同列」に扱うべきではない、という6か国などの主張は理解できる。
 だが、ガザの死者は子供を含めて4万人近くに達している。多くの国が指摘しているように、イスラエルの攻撃が自衛権行使の範囲を逸脱しているのは明白だ。
 原爆で壊滅的な被害を受けた長崎の人々が、イスラエルの非人道的な行為に嫌悪感を抱き、平和の式典に招きたくない、という感情を抱いたとしても無理はない。
 ただ、この件をきっかけに「日本は反イスラエルだ」「反ユダヤ主義の国だ」といった誤った印象が国際社会に広がるような事態は避けねばならない。政府は国際世論に目配りする必要がある。

イスラエル不招待 長崎市長の判断は残念だ(2024年8月10日『産経新聞』-「主張」)
 
キャプチャ
記者団の取材に応じる長崎市鈴木史朗市長=8日午前、長崎市役所
 原爆の日を迎えた長崎で平和祈念式典が開かれた。犠牲者を追悼し、平和への決意を新たにする式典だ。
 ところが、式典に水を差す事態が起きた。長崎市イスラム原理主義組織ハマスと戦闘中のイスラエルの駐日大使を招待しなかったからだ。疑問視した日本以外の先進7カ国と欧州連合(EU)の大使は式典を欠席した。市が慰霊の式典に中東情勢を不用意に持ち込んだのは残念だ。
 G7の大使らは鈴木史朗長崎市長宛ての連名書簡でイスラエルの招待を求めていた。不招待ではイスラエルを、ウクライナ侵略のため式典に招かれないロシアと同列に扱うことになる、という理由だ。この懸念は道理にかなっている。
 鈴木市長は「政治的理由でなく、不測の事態発生のリスクなどを総合的に勘案した」と説明したが、説得力に欠ける。広島市の平和記念式典にはイスラエルの大使が出席した。広島は警備可能で長崎はできないとは思えない。警察と綿密に協議した上での合理的判断だったとはいえない。
 ロシアは国連憲章などの国際法に明確に反する侵略国だ。
 一方、イスラエルハマスに奇襲攻撃された被害者で自衛行動中だ。昨年10月のハマスの大規模奇襲では数千発のロケット弾を浴びた。侵入したハマスの兵士は約1200人の市民を殺害し200人以上を人質にした。パレスチナ自治区ガザの戦闘でハマスは、民間人や人質を「人間の盾」とする卑劣な戦術をとっている。ガザでの民間人の側杖(そばづえ)被害でイスラエルが批判されているのは事実だが、侵略者ロシアとは立場が根本的に異なる。また、ロシアは核攻撃の脅しを重ねているが、イスラエルは核恫喝(どうかつ)をしていない。
 中国や北朝鮮などの核ミサイルの脅威に直面する日本にとって世界有数のミサイル防衛力を持つイスラエルは重要な協力相手になり得る。日本はパレスチナに加えイスラエルとも友好関係にあらねばならない。
 林芳正官房長官は会見で、長崎市の式典という理由で「(不招待を)政府がコメントする立場にない」と述べた。まるでひとごとで慰霊も国益も踏まえていない。外務省は市に国際情勢を説明したというが市長の誤った判断を正せなかった。政府はもっと真剣に働くべきだ。

米大使らの欠席 被爆者に背を向けている(2024年8月10日『信濃毎日新聞』-「社説」)
 
 被爆地の核廃絶の訴えが置き去りにされてはならない。イスラエルが招待されなかったことを理由に、米国の駐日大使らが欠席したのは筋違いだ。
 長崎市の平和祈念式典である。英国やフランスを含む主要6カ国と欧州連合(EU)の大使が出席を見送った。イスラエルをロシアやベラルーシと同列に置くべきではない、という理由だ。
 ウクライナに軍事侵攻したロシアとそれを支援するベラルーシの大使を、市は一昨年から招待していない。今年はそれに加え、パレスチナガザ地区に侵攻したイスラエルも招かなかった。
 式典に際して、不測の事態が生じる懸念があり、総合的に判断したと鈴木史朗市長は説明する。この対応に、イスラエルの最大の後ろ盾である米国をはじめ各国が足並みをそろえた形だ。
 英国の大使は「ロシアやベラルーシと違い、イスラエル自衛権を行使している」とし、同じ扱いをするのは誤解を招くと述べた。しかし、イスラエル軍による破壊と大量殺りくを、自衛の名で正当化することはできない。
 ガザ側からの越境攻撃に対するとめどない反撃で、ガザは焦土と化し、死者はおよそ4万人に上っている。国際司法裁判所が、ジェノサイド(集団殺害)を防ぐ措置や軍事攻撃の停止を命じても、聞き入れる気配はない。
 イスラエルは、パレスチナを半世紀余にわたって占領下に置き続けている。ロシアによるウクライナの侵略や占領を非難する欧米各国が、イスラエルを擁護するのは二重基準でしかない。
 イスラエルが招待されないことを欠席の理由にするのは道理にもとる。とりわけ、原爆を投下した米国が背を向けることは、被爆者をないがしろにする態度と言うほかない。英国やフランスも、核保有国として原爆の被害に向き合う責任を果たしていない。
 広島市は、ロシアとベラルーシを招かない一方、イスラエルを招待し、長崎と対応が分かれた。どの国を招き、どの国を招くべきでないか。線引きをせず全ての国を呼んで、被爆地として伝えるべきことを伝えればいいとする意見もうなずける面がある。
 誰のため、何のために、原爆の日の式典はあるのか。被爆地の訴えを世界にどう届け続けるか。来年は原爆投下から80年になる。広島、長崎だけでなく、被爆国の主権者として一人一人が掘り下げて考え、核廃絶への確かな歩みにつなげる機会にしたい。

原爆を作る人々よ!(2024年8月10日『中国新聞』-「天風録」)
 
 〈この男が、世界を変えてしまった〉。そんな宣伝文句の米ハリウッド映画が、この春から日本で上映中だ。原爆開発の指揮に当たった物理学者の半生をたどる「オッペンハイマー」である
アカデミー賞を席巻した勢いに乗り、核の脅威に対する関心を呼び覚ましている。百八十度異なる立場から呼応し合う詩を、きのうの「長崎平和宣言」が取り上げていた。〈原爆を作る人々よ!〉と切り出す長崎の被爆詩人、福田須磨子さんの作品
▲〈幾万の尊い生命が奪われ/家 財産が一瞬にして無に帰し/平和な家庭が破壊しつくされたのだ〉。そして残った者には〈明日をも知れぬ“原子病”の不安と/そして肉親を失った無限の悲しみが/いついつまでも尾をひいて行く〉
▲うら若き23歳で被爆した福田さんも顔から腕へと肌を紅斑にむしばまれた。他界する前年、地元放送局のカメラに向かい、言い残している。「原爆というものの恐ろしさを次の代、次の代へと語り継いでもらいたい」
▲原爆を落とし、世界を変えた米国の駐日大使は、長崎の平和祈念式典に姿を見せなかった。肩入れする国が招かれないのが不服らしい。追悼と誓いの本旨がいまだに分からないとは。

平和祈念式典(2024年8月10日『長崎新聞』-「水や空」)
 
 暑い。でも、前の日ほどではないかも…と一瞬だけ考えたのはただの錯覚だったか、連日の猛暑でいくらか耐性が高まっているのか。会社近くの電停で待つこと数分、平和祈念式典の会場を目指す
▲普段はガラガラのことも多い路面電車がきょうは満員だ。外国人の姿も目立つ。近くに立っていた男性の2人連れは知らない国の言葉で会話していた。原爆資料館前で十数人が電車を降り、次の平和公園で同じぐらいの人数が降りた
▲式典の平和宣言で鈴木史朗長崎市長は世界の「地球市民」に結集を呼びかけた。ついさっき電車で乗り合わせた人びとの顔を思い浮かべた。夏の旅の目的地に「8月9日のナガサキ」を選んでくれたのだ。それが心強い
▲〈11時2分、止まったままの柱時計を見るたびに79年前の悪夢がよぎります〉。三瀬清一朗さんの「平和への誓い」が始まった頃、会場をすうっと風が吹き抜けていった。今はいない誰かが「がんばってね」と背中を押したのかもしれない
▲一昨日の地震対応で来県が危ぶまれた岸田文雄首相は予定通り参列した。決定的に熱量の足りないスピーチの言葉が、聞く者に何一つ刺さらないまま、つるつる続いた
▲妙な形容を思いついてしまった。「ワンランク上の棒読み」-棒読みにランクがあるかどうかは別として。(智)