優生保護法に違憲判決に関する社説・コラム(2024年7月4日)

尊厳取り戻す救済 早急に/強制不妊 最高裁違憲」(2024年7月5日『東奥日報』-「時論」)
 
 優生保護法下で障害などを理由に不妊手術を強いられた人たちが国に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷は国の賠償責任を認定した。不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用し、国が賠償責任を免れるのは「著しく正義・公平の理念に反する」と断じた。併せて「旧法は違憲」との判断を示した。
 強制不妊訴訟は2018年以降、全国12地裁・支部に起こされた。大法廷判決は札幌、仙台、東京、大阪、神戸の各地裁に提起され、昨年6月までに高裁判決が言い渡された5訴訟について、統一判断をした。いずれも、原告らは不妊手術から20年以上たって提訴。除斥期間を適用するかどうかで判断が分かれた。
 高裁判決のうち4件は国に賠償を命じ、仙台高裁のみは賠償請求を退けた。今回の判決によって、国が反論のよりどころにしてきた「時の壁」は崩れた。救済を阻むものはなくなり、国策の名の下に多くの人から子どもを産み育てる権利を奪った「戦後最大の人権侵害」の全面解決に向け、大きな一歩が刻まれた。
 国は速やかに訴訟全てを終結させ、被害者が納得できる謝罪と補償を行うべきだ。全面的な救済の具体策を早急に示す必要がある。憲法をないがしろにして非人道的な政策を進めたばかりか、被害の訴えを横目に解決を先延ばしにしてきた責任は極めて重い。
 戦後の人口増と食糧難を背景に旧法は「不良な子孫の出生防止」を目的として、1948年制定された。障害などを理由に本人の同意なしでも不妊手術をできるとの規定があり、国は各自治体に件数を増やすよう通知。96年の法改正で規定が削除されるまで約2万5千人が手術を受けた。
 2018年1月、知的障害を理由に10代半ばで手術を施された宮城県の60代女性が初めて国に賠償を求め、仙台地裁に提訴。各地で訴訟が相次ぎ、旧法の違憲性は認められても除斥期間に阻まれ、請求棄却が続いた。
 改正前の民法に規定され、不法行為への賠償請求権を行使せずに20年が過ぎると、自動的に消滅するとの解釈が最高裁判例で定着。時効と異なり、中断や更新はない。
 20年施行の改正民法で当事者の事情によっては請求権が残る「消滅時効」に統一されたが、改正前の事案には適用されず、強制不妊訴訟で国は除斥期間を盾に争った。
 ところが22年、大阪高裁は「著しく正義、公平の理念に反する」と除斥期間を適用せず、初めて国に賠償を命じた。これを境に高裁、地裁で賠償命令が積み上がった。
 この間、国が被害者の声に背を向け続けたことは厳しい非難を免れない。16年に国連の委員会が救済を勧告しても「当時は適法」と固辞。仙台の初提訴の翌年、19年に議員立法で成立した一時金支給法前文にある「反省とおわび」の主語は「われわれ」とされ、国の責任が明記されていないとの反発は根強い。一時金も一律320万円。1千万円を超える賠償命令と比べると、不十分だ。
 ハンセン病訴訟では01年、隔離政策を違憲とした熊本地裁判決に当時の小泉純一郎首相が控訴断念を政治決断し被害者補償に動いた。時の政権の考え一つで対応に差が出ることも強制不妊の被害者は納得し難いだろう。差別と偏見に苦しめられた人の尊厳をいかに取り戻すかが問われる。

優生保護法違憲」 被害者の救済が急務だ(2024年7月5日『秋田魁新報』-「社説」)
 
 旧優生保護法下で障害を理由に不妊手術を強いられたのは憲法違反だとして、被害者らが国に対し損害賠償を求めた5件の上告審訴訟の判決で、最高裁大法廷は、旧法は違憲だとして国に賠償を命じる初の統一判断を示した。不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用しなかった。被害者の全面救済に道を開いた画期的な判決といえる。
 旧優生保護法は「不良な子孫の出生を防止する」との優生思想に基づき1948年に施行された。精神疾患や障害を理由に、不妊手術や中絶手術の実施を認める内容だった。96年の法改正で障害者差別に該当する条文が削除されるまでの間に、不妊手術を受けたのは、国の統計によれば全国で約2万5千人に及ぶ。その多くが本人の同意を得ずに行われた。
 障害者を差別する国の政策によって、多くの人が生殖能力を失う重大な被害を受けた事実は取り返しがつかない。被害者の苦しみや悲しみは、いかばかりか。国は著しく人権を踏みにじった過去の過ちを反省し、速やかに補償を進めなければならない。
 旧優生保護法について大法廷は、個人の尊厳と人格の尊重を定めた憲法13条と法の下の平等を定めた憲法14条に違反しており、立法そのものが違憲と厳しく指摘した。
 除斥期間については、期間が経過すれば賠償請求権が消滅するとした89年の最高裁判例がある。だが、それを適用した結果、国が賠償責任を免れるのでは著しく正義・公平の理念に反するとして、適用しない判断を下した。
 旧優生保護法は、障害者差別との批判の高まりを受けた96年の法改正で、名称が母体保護法に変更された。ところが国は、その後も謝罪や補償に動かなかった。
 宮城県の女性が、不妊手術を強制されたとして初めて国に賠償を求めて仙台地裁に提訴したのが2018年。以後、各地で訴訟が相次いだ。不妊手術の実態も徐々に明らかになり、19年には議員立法で一時金支給法が施行された。だが、内容は一時金320万円を支給するにとどまった。
 国の姿勢はあまりにもかたくなだったと言わざるを得ない。「当時は適法だった」と主張し続けるなど、被害者救済の視点を欠いていた。旧優生保護法を成立させた国会の責任も重い。
 岸田文雄首相は補償の在り方について、可能な限り早急に結論を得るよう閣僚に検討を指示した。被害者と面会する意向も示した。まずは心からの謝罪が求められる。その上で、被害者救済に全力を挙げなければならない。
 これほどひどい差別がなぜ、長い間行われてきたのか。検証も必要だろう。今回の判決を、差別のない社会づくりへの一歩にしてもらいたい。

強制不妊の判決/賠償には一刻の猶予もない(2024年7月5日『福島民友新聞』-「社説」)
 
 国による賠償が行われるのは倫理的に見て当然だ。被害者救済の道筋が立った意義は大きい。
 旧優生保護法下で不妊手術を強いたのは憲法違反だとして、障害のある人らが国に損害賠償を求めた5訴訟の判決で、最高裁大法廷が旧法は違憲とし、国の賠償責任を認める初の統一判断を示した。これにより、後続の訴訟は今回の枠組みによって判断されることに加え、国は賠償の枠組みを定める見通しとなった。
 最高裁は判決で、不妊手術の強制は憲法の保障する「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」に対する重大な制約で、旧法は個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反すると指摘した。その上で、国会が旧法を制定したこと自体が違法とした。
 旧法制定から強制不妊の部分を削除する形で法改正された1996年まで50年近くにわたり、障害のある人を差別し、その尊厳を奪ってきたことは許されない。
 被害者の提訴をきっかけに手術された人には320万円の一時金が支払われているものの、受給者は対象の1割にも満たない。不法行為などに伴う賠償とは本質的な意味合いが異なる。国は、賠償を命じられたことを真摯(しんし)に受け止めなければならない。
 最大の争点となったのは、高裁判決で判断の分かれた、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるという国の主張が妥当か否かだ。
 最高裁は、国が長期間、補償しないとの立場を取り続けてきたことなどを挙げ、「国が賠償責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反する」と指摘し、89年に示した除斥期間の考えを変更すると説明した。最高裁が判断を変更することはまれだ。
 これまでの判断を変えてでも救済の必要があるとした今回の判決は、基本的人権の尊重を第一にうたう憲法に立脚する司法の矜持(きょうじ)を示したもので、高く評価できる。
 岸田文雄首相は判決後、補償について早急に検討するよう指示した。国としては方向転換を余儀なくされた形となる。
 判決が指摘するように、国はこれまで被害者の救済を長く放置してきた。最高裁判決を待たず、国が賠償すると決めることもできたはずだ。それをせず、最高裁まで賠償責任の有無を争ったこと自体が、高齢化の進む被害者の救済を遅らせたのは明らかだ。
 被害者約2万5千人のおよそ半数は既に死亡しているとみられている。賠償制度の構築には、一刻の猶予も許されない。
 

優生保護法は不良な子孫の出生を防止するという公益を目的としたもので…(2024年7月5日『毎日新聞』-「余録」)
 
キャプチャ
最高裁が国に賠償を命じた判決に喜ぶ鈴木由美さん(左端)ら原告と支援者=東京都千代田区で2024年7月3日午後、猪飼健史撮影
キャプチャ2
優生保護法の下で強制された不妊手術について国に損害賠償を求める提訴を前に、横断幕を持って仙台地裁に入る原告団ら=仙台市青葉区で2018年1月30日午前10時半、喜屋武真之介撮影
 
 
 「優生保護法は不良な子孫の出生を防止するという公益を目的としたもので、意思に反し手術を実施しても憲法に違反しない」。好ましくない遺伝因子の排除を求める優生学の観点に立つ法律制定(1948年)の翌年、当時の法務府が示した見解だ
基本的人権の制限を容認した解釈は96年に母体保護法に変わるまでまかり通った。障害者ら約2万5000人が生殖能力を失う人権侵害が自由と民主主義を謳歌(おうか)する社会で放置された
▲27年前、スウェーデンで強制不妊が横行した過去の「闇」が明るみに出た。福祉先進国は調査委を設置し、補償に動いた。日本でも大きく報じられたが、足元を見つめ直すことにはつながらなかった
不妊手術を強いられた宮城県の女性が国を提訴して6年。最高裁が旧優生保護法の規定を違憲と判断し、国の責任を認めた。国が主張した「除斥期間」の適用についても過去の判例を見直して退けた
▲被害者の全面救済につながる画期的判決に原告たちも笑顔を見せた。だが、障害者の出産や育児には依然、高い壁がある。政府の謝罪や補償も大事だが、障害者が暮らしやすい社会の構築こそ、優生思想と決別する最大の課題だろう
優生学は20世紀前半の世界で広く受け入れられた。ナチスの専売特許ではない。「私たちが偏見や差別意識を持ち、集団の利益のために他者を生産性と効率で序列化するなら、いつでも復活しうる」。多様性を対抗軸と考える東北大の千葉聡教授(進化生物学)の「警句」である。

 
旧優生法は違憲 全ての被害者救済を急げ(2024年7月5日『産経新聞』-「主張」)
 
 旧優生保護法(昭和23年~平成8年)下で遺伝性疾患や障害を理由に不妊手術を強いられた被害者らが国に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁は「旧法は憲法違反」として国の賠償責任を認める判断を示した。
 
 「不良な子孫の出生防止」を目的とした旧優生保護法は、憲法が掲げた個人の尊重(13条)、法の下の平等(14条)の精神に著しく反する。法の下で行われた「戦後最大の人権侵害」の重大性を鑑(かんが)みれば、民法(当時)の除斥期間不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する=を理由に国が責任を免れることは正義・公正の理念に反する。当然の判断だ。
 
 旧優生保護法のもとで不妊手術を受けた人は約2万5千人で、このうち1万6500人は本人の同意がなかったとされる。政府は同意の有無、裁判の原告か否かにかかわらず、全ての被害者に対して真摯(しんし)に謝罪し、早急に救済措置を講じなければならない。
 平成30年に宮城県の女性が仙台地裁に国家賠償を求めて初めて提訴し、各地に広がった。翌年4月に被害者に一時金(320万円)を支給する特別法が成立し当時の安倍晋三首相が「おわび」の談話を発表したが、謝罪も補償も不十分である。
 国は除斥期間を理由に「補償はしない」という立場をとり続けた。法の下で人権を侵害された被害者に対し、除斥期間の例外とすると法秩序を著しく不安定にする―と国は主張した。被害者の苦痛、悲しみから目を背けた国の姿勢に対し、最高裁が「信義則に反し、権利の乱用として許されない」としたのは、もっともである。
 最高裁が国に突き付けたのは過去の過ちの清算だけでなく、令和6年7月3日までの姿勢をただすことである。
 旧優生保護法終戦直後から半世紀近くも存続した。平成8年に現行の母体保護法に改正された後も、優生思想に根ざした障害者に対する差別と偏見は払拭されてはいない。
 最も凶悪なかたちで表面化したのが、平成28年7月に起きた「相模原事件」である。重度障害者ら45人を殺傷した加害者の「障害者は不幸しか生まない」という思想にネット上では共感や同意の声もあった。差別に向き合い決別する勇気と覚悟が、国民一人一人に求められる。

アイヒマンナチス・ドイツの親衛隊将校。虐殺するユダヤ人を…(2024年7月5日『東京新聞』-「筆洗」)
 
 アイヒマンナチス・ドイツの親衛隊将校。虐殺するユダヤ人を欧州各地から移送する担当だった。戦後、アルゼンチンに潜伏したが、イスラエル特務機関に発見され、エルサレムでの裁判を経て処刑された
▼裁判を傍聴して雑誌に発表したユダヤ人政治哲学者ハンナ・アーレントは、アイヒマンを怪物のような悪の権化ではなく、善悪の判別ができない凡庸な男と書いた。問うたのは「悪の陳腐さ」
▼確かに、極悪人に見えぬ凡人が命じられるまま粛々と遂行したからこそ、悪事は一層恐ろしく見える
▼無数の凡庸な官僚らが遂行に関わった人権侵害に対し判決が下った。最高裁大法廷は、障害者らに不妊手術を強いた旧優生保護法(1948~96年)を憲法違反と断じ、国の賠償責任を認めた
▼旧法下で不妊手術を受けた人は約2万5千人という。旧厚生省は手術推進のためうそも許されると通知した。通知を書いた役人も「盲腸の手術」などとだました周囲も執刀した医師もみな、怪物ではない凡人だったのだろう。「優れた人」の遺伝子を残し「劣った人」のそれを淘汰(とうた)するという優生思想の下、不妊手術は正しいと信じこんでいた
アーレントアイヒマンについてこう書いた。「まったく思考していないこと、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」。現代の私たち一人一人への箴言(しんげん)とも読める。

優生保護法違憲」 差別と偏見のない社会に(2024年7月5日『新潟日報』-「社説」)
 
 人権を踏みにじった行為を厳しく断罪した判決だ。障害や病気があるという理由で、子を産み育てる権利や人間としての尊厳を、国が奪った事実はあまりにも重い。政府は、被害者全員への謝罪と補償を速やかに行わねばならない。
 
 なぜこうしたことが起こったかしっかり検証したい。私たちは社会に根深く残る差別や偏見の根絶へ力を注ぐことが求められる。
 
 旧優生保護法下で不妊手術を強いたのは憲法違反だとして、障害のある人らが国に損害賠償を求めた5訴訟の判決で、最高裁大法廷は、旧法は違憲とし、国に賠償を命じる初の統一判断を示した。
 大法廷は旧法を「意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を保障した憲法13条、法の下の平等を定めた憲法14条に反し、立法そのものが違法だとする異例の判断を下した。
 旧法は「不良な子孫の出生を防止する」との目的で1948年に制定された。96年に障害者差別に当たる条文を削除し、母体保護法に改正された。
 判決は約48年もの長期間、国が政策として障害者を差別し不妊手術を推進した結果、約2万5千人が生殖能力を失う重大な被害を受けたとし「国の責任は極めて重大だ」と批判した。
 人生を台無しにされた被害者らの悲しみと怒りを、国は改めて重く受け止めねばならない。
 昨年まとまった国会の調査報告書によると、国は本人の同意を得なかったり、盲腸の手術など別の手術に偽ることを許容したりした。判決が、こうした非道な行為を糾弾するのは当然だ。
 注目したいのは、不法行為から20年の経過で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用しなかったことだ。高裁判決では判断が分かれ、焦点になっていた。
 判決は、旧法の差別規定が削除された96年以降も国が長期にわたり補償しなかったことなどを考慮すれば、免責は許されず、除斥期間が経過したとの国の主張は、「信義則に反し、権利の乱用で許されない」と指摘した。
 社会に存在する障害者への差別構造のため、被害者らは長い間、声を上げたくても上げられなかった実情を踏まえたのだろう。時の壁を打ち破り、救済への司法の強い意思を示したといえる。
 除斥期間については、過去の判例を変更し、著しく正義・公平の理念に反して到底容認できない場合は適用しないことが可能だとする新たな規範も示された。
 岸田文雄首相は判決を受け、「多大な苦痛を受けたことに対し、政府として真摯(しんし)に反省し心から深くおわびを申し上げる」と表明した。補償の在り方について可能な限り早急に結論を得るよう担当閣僚に検討を指示した。
 被害者らは高齢化が進み、残された時間は少ない。訴訟を起こした人以外に潜在的な被害者が多数いることは明らかだ。
 国は約1万2千人が生存していると推計する。しかし2019年に決まった一時金支給に対し、請求したのは今年5月末時点で1331人に過ぎない。
 政府は全被害者へ行き渡る補償の検討を急がねばならない。
 旧法が母体保護法に改正された後も、相模原市知的障害者施設での殺傷事件や、北海道のグループホーム知的障害者不妊手術や処置を受けていた問題が起きているのはいたたまれない。
 「負の歴史」を胸に刻み、障害の有無にかかわらず共生できる社会の実現へ向けた取り組みを進めていくことが肝要だ。

強制不妊違憲 国は責任直視し救済急げ(2024年7月5日『西日本新聞』-「社説」)
 
 戦後最悪とされる人権侵害に対し、国の責任を厳しく断罪した歴史的判決である。
 旧優生保護法下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、障害のある人らが国に損害賠償を求めた5訴訟の判決で、最高裁大法廷は旧法は違憲と認定し、国に賠償を命じた。
 子を産み育てる権利を奪い、被害者の尊厳を踏みにじった責任を国は直視すべきだ。裁判を起こしていない人も含め全被害者に謝罪し、全面救済を急ぐ必要がある。
■立法そのものを指弾
 旧優生保護法は1948年、議員立法で制定された。「不良な子孫の出生防止」を目的に、精神疾患や障害があれば本人の同意なく不妊手術ができるよう定めた。戦後は人口が急増し、抑制策の中に優生思想が組み込まれた形だ。
 国は本人をだましたり、拒む場合は身体を拘束したりして実施してよいと都道府県に通知し、手術を奨励した。昨年公表された国会調査報告書によると、手術された最年少は9歳の男女である。苛烈な人権侵害に言葉を失う。
 判決は旧法について、個人の尊重を定めた憲法13条、法の下の平等を規定した14条に違反すると認定し、立法そのものが違法と指弾した。
 被害者らが違憲と主張しても国は「当時は合法」と時代背景を言い訳にしてきた。判決は「当時の社会状況をいかに勘案しても正当とはいえない」と切り捨てた。人権侵害の法律を作った国会、施策として展開した国の責任は計り知れない。
 最高裁判決の最大の争点は、不法行為から20年で損害賠償を求める権利が消滅する「除斥期間」を適用するかどうかだった。最高裁はこれまで除斥期間を厳格に運用してきたが、今回は判例を変更して適用する異例の判断を下した。
 2018年以降、被害者ら39人が福岡、熊本など全国12の地裁・支部で裁判を起こしてきた。いずれも手術から20年以上が経過している。
 最高裁は国が政策として障害のある人を差別し、約2万5千人の生殖能力を失わせた責任は「極めて重大」と指摘した。
 その上で、1996年の法改正で強制手術ができなくなった後も長期間補償しなかったことを批判した。免責は許されず、除斥期間が経過したとの国の主張は「信義則に反し、権利の乱用で許されない」と言い切った。
 画期的なのは、除斥期間についての判例を変更し、著しく正義・公平の理念に反して到底容認できない場合は適用しなくてよいとした点だ。他の裁判にも大きく影響しよう。
 「人権の最後のとりで」といわれる最高裁が、被害者の苦しみに寄り添い「時の壁」を一蹴した。高く評価したい。
■優生思想との決別を
 政府と国会は、被害者に一時金を支払う救済法を抜本的に見直さねばならない。
 旧法の反省から2019年に議員立法で成立した救済法は、被害者に一時金320万円を一律支給する。最高裁判決の対象となった原告の賠償額は1人最高1650万円で、大きな開きがある。原告側は一時金ではなく全ての被害者への十分な補償を求めている。救済の枠組みそのものを変える必要がある。
 亡くなった被害者も多く、生存者は約1万2千人とされる。救済法の支給認定を受けた人は5月末時点で1110人に過ぎない。
 社会の偏見を恐れて名乗り出られない人に加え、自身が旧法下で手術を受けたことを知らない人もいる。国は都道府県と連携し、個人情報に配慮しつつ過去の記録などから被害者を把握し、補償につなげる取り組みが求められる。
 忘れてならないのは、障害がある人は排除してよいというゆがんだ優生思想を、社会が容認してきた事実である。今も根強いのではないか。市民も負の歴史から目を背けず、優生思想と決別する契機としなければならない。地道な啓発も欠かせない。

優生保護法違憲 被害者救済に道開いた(2024年7月5日『琉球新報』-「社説」)
 
 最高裁大法廷は障害を理由に不妊手術を強いた旧優生保護法憲法違反とし、国の賠償責任を認めた。20年の経過で損害賠償請求権が消える「除斥期間」を旧法の被害者には適用しないと判断した。全面救済への道が開かれた。
 
 旧法による不妊手術の強要は現憲法下で最大の人権侵害と言えよう。「除斥期間」を理由に争ってきた国は猛省しなければならない。訴訟が長引いた分、高齢化した被害者の救済が遅れたのである。
 判決は、旧法が立法時から法の下の平等など憲法の定めに反して国が約半世紀にわたって障害者を差別し、生殖能力を奪う施策を推進してきたと断じた。手術の際には身体拘束、麻酔薬の使用、うそをつくことも許容し国策として推進してきたとも指摘した。
 被害者は少なくとも約2万5千人。2018年以降、39人が全国12地裁・支部に国による損害賠償を求めて提訴した。一、二審では旧法を違憲とする判決が定着していたが、損害賠償請求権の「除斥期間」を適用するかどうかで判断が分かれていた。
 大法廷は国の責任を「極めて重大」と指弾し、損害賠償請求権が消える「除斥期間」について従来の最高裁判例を変更した。国は不妊手術のピークが1950年代で、既に20年以上が経過しているとして争ったが、大法廷は国が免責を主張することは「権利の乱用」として退けた。
 全被害者の救済につながる可能性を示す司法判断である。被害者らは高齢でもあり、時間は残されていない。国側が立ち止まることは許されない。
 1996年に障害者差別に該当する条文が削除された後も国は補償はしないとの姿勢を持ち続けてきた。全面解決に向けた施策に加え、補償の実施へと方針転換ができなかったのはなぜなのか、検証を進める必要もある。
 国が障害や病気のある人を差別し、手術を推進したことが社会に与えた影響は計り知れない。誰もが暮らしやすい社会の実現は時代の要請である。差別を助長する施策が長く放置されてきたことは厳しく問い直されるべきだ。旧法に根を持つ優生思想がいまだ日本社会に残っているとすれば、粘り強くその一掃を図らなければならない。それは国の責務である。
 最高裁大法廷は違憲である旧法を立法した国会議員の行為も「違法」と言及した。弁護士出身の草野耕一裁判官は個別意見で旧法が衆参ともに全会一致の決議で成立した経緯に触れ「異なる時代や環境の下では誰もが合憲と信じて疑わないことがあると示唆している」と付言した。
 国会は昨年6月、旧法に関する調査報告書をまとめているが、国や国会の責任の所在については明確にしていない。原告らは国会の謝罪決議も求めている。立法府は謝罪に応じるとともに自らの負の歴史に向き合う必要がある。
 

優生思想の負の歴史 直視を(2024年7月5日『沖縄タイムス』-「大弦小弦」)
 
 「不良な子孫の出生の防止」を目的に半世紀近く続いた旧優生保護法を糾弾する判断が示された。最高裁が旧法を違憲とし、「正当な理由なく差別し、重大な犠牲を求めた」として、国に被害者への賠償を命じた
 
▼1948年から96年まで「公益目的」で精神疾患や障がいがある人らへの不妊手術が続いた背景には、「優れた血統」を残そうという優生思想がある。19世紀後半から各国で政治を巻き込む運動となり、米国やドイツのナチス政権下で強制断種を定めた法が成立した
▼日本では戦後の人口急増を受けて優生保護法が施行された。国は本人をだましたり、身体拘束したりすることも認め、約2万5千人が手術を受けたとされる
ハンセン病患者も「不良な存在」と決めつけられ、不妊手術を強いられた。国立ハンセン病療養所は絶滅のためとして出産をほぼ認めず、中絶や不妊手術が常態化していた
▼どの人間に価値があるのかを勝手に決め、子どもを持っていい人を線引きした歴史を直視しなければならない。不妊手術を「仕方なかった」と受け止めれば、未来に生きる人の人権も脅かすかもしれない
▼子どもを望まない人もいれば、望んでも困難な人もいる。旧法があった当時も今も大事なのは誰もが生き方を選択でき、その選択が尊重される社会であること。忘れたくない。(嘉数よしの)


強制不妊 最高裁違憲 国は直ちに謝罪と補償を(2024年7月4日『北海道新聞』-「社説」)
 
 旧優生保護法下で不妊手術を強制された障害者らが国を訴えた訴訟で、最高裁大法廷が旧法は違憲との判決を言い渡した。
 不法行為から20年で賠償請求権が消滅するという除斥期間については、「著しく正義・公平の理念に反する」として適用しないとの判断を示した。
 旧法は「不良な子孫の出生を防止する」との差別的条文を掲げていた。それがつい30年ほど前まで半世紀近く維持され、特定の障害や病気の人に不妊手術を実施する根拠となってきた。
 被害者は2万5千人に上り、戦後最大の人権侵害とされる。
 子を産み育てる権利を奪われた人たちの痛苦、無念さは察するに余りある。深刻な被害を引き起こした国の責任は極めて重い。最高裁の結論は当然だ。
 長く声を上げられなかった被害者が裁判に訴えたのは、旧法施行から70年後となる2018年のことだ。その後、各地で提訴された法廷闘争は一つの区切りを迎えたと言える。
 とはいえ訴訟を起こしたのは被害者のごく一部だ。
 国は直ちにすべての被害者に真摯(しんし)に謝罪すべきだ。その上で十分な償いをもって救済を果たさなければならない。
■「除斥不適用」は妥当
 最高裁は札幌、仙台などの地裁に起こされた5件の訴訟を審理した。二審判決はいずれも旧法を違憲と認めていた。
 除斥期間の適用については結果が分かれ、最高裁がどう判断するかが焦点だった。
 判決は「不妊手術は生殖能力の喪失という重大な結果をもたらす身体への侵襲だ」と指摘。旧法は個人の尊重をうたう憲法13条や法の下の平等を定めた14条1項に違反するとした。
 除斥期間について判例を変更した上で、それを適用すべきだとの国の主張は「権利の乱用で許されない」と退けた。
 原告らが手術を受けた半世紀以上前、手術は「適法」とされていた。障害者に対する差別や偏見がある中で、それを不当と訴えるのは困難だったろう。
 札幌の原告、小島喜久夫さん(83)もその一人だ。
 最高裁の判断はこうした被害実態に沿っている。国の不正義が除斥期間を理由に免責されるのは不合理でしかなく、その適用を排したのは妥当である。
■全面的救済が急務だ
 旧法が違憲と確定したことで被害者救済が今後の課題となる。国は19年に救済法を定めているが、内容には不備が多い。
 前文の「おわび」の主語は「我々(われわれ)」と表現があいまいだ。
 被害者への一時金320万円は、国への1千万円超の賠償命令が今回確定したことを踏まえればとても十分とは言えない。
 プライバシーを理由に対象者への個別通知は行われておらず、受給には請求が求められる。このこともあって、これまでに受給が認められた被害者は1100人ほどにすぎない。
 被害者は高齢化している。亡くなった人も多いとみられる。残された時間は長くない。
 すべての被害者と家族らに、被害に見合う補償を確実に届ける最大限の努力が求められる。
 最高裁の判断が出た以上、あとは政府と国会の責任だ。
 全面的解決に向けた新制度の構築に、早急に取りかからなければならない。
■尊厳守られる社会に
 旧法は敗戦後間もない1948年に議員立法で成立した。
 迅速な戦後復興には、障害や病気がある子が生まれるのは好ましくない。そんな優生思想に通じる考え方が背景にあった。
 不妊手術が「公益上必要」と認められれば、医師は手術の審査を申請しなければならないとの条文も設けられていた。
 そこからは、国の役に立つかどうかで人の価値を判断しようとする思考が浮かび上がる。
 人権尊重を規定した新憲法下で非人道的な旧法を無批判に受容し、人権をないがしろにし続けた国会、行政、さらには社会全体の罪深さを痛感する。
 それを招いた土壌に何があるのか、目を向けねばならない。
 国会は昨年、旧法の立法経緯や被害実態をまとめた調査報告書を公表したが、責任を明らかにする検証はできていない。
 その作業が改めて求められているのではないか。
 道内は不妊手術が強く進められ、件数は都道府県で最多の3200件余に上る。道が担った役割を含め、その経緯を検証する必要もあるだろう。
 人の命に優劣をつける考え方は、障害者差別などの形となって今もしばしば現れる。
 16年に相模原市知的障害者施設で多数の利用者らを殺傷した男は、裁判で「障害者は社会に迷惑」と言った。
 差別や偏見を容認し、助長するような言動は許されない。
 旧法下の負の歴史を教訓としてしっかり受け止める。誰もが生きやすく、自分のことは自分で決められ、個の尊厳が等しく守られる―。そんな社会を目指していかねばならない。

産み育てる幸せ(2024年7月4日『北海道新聞』-「卓上四季」)
 
 
 
<うす紅いろの小さな爪/こんなに可愛い貝がらが/どこかの海辺に落ちていたらば/おしえてください>。新川和江さんの詩「赤ちゃんに寄す」はこんなふうに始まる
▼95歳になった詩人は、70年に及ぶ詩作で何度も扱ったテーマがある。子どもであり、子育てである。命を授かる喜び、こわれ物のような子のいとおしさ。そして必ず伴う不安や苦労。自らの体験を基に、やさしい言葉で繊細に表現してきた
▼詩は産毛や髪を柔らかな草にたとえ、こう続く。<赤ちゃんのすべて/未完成のままに/これほど完璧なものが/ほかにあったら/見せてください>。このうえない生命賛歌だ
▼子どもを産み育てる権利は侵してはならないはずだ。なのに国によって強制的に奪われた人たちがいる。旧優生保護法のもと、多くの人が障害などを理由に不妊手術を強いられた。手術の意味が分からない子どもだった人、だまされて手術された人まで存在する▼最高裁はきのう、旧法を違憲と断じ、国に賠償を命じた。賠償請求の権利が消える20年の除斥期間、いわば「時の壁」を取り払い、被害者を救う道を開いた。歴史的判決である
▼問題は解決していない。偏見や差別を恐れ、被害を訴えられない人が大勢いる。なにより子どもを授かる幸せは永遠に戻ってはこない。謝罪や救済を急ぐ必要がある。
 

強制不妊違憲」確定 真の解決へ政治も壁越えよ(2024年7月4日『河北新報』-「社説」)


 「最高裁の判断」という条件は整った。岸田文雄首相は速やかに被害者らと会い、謝罪の言葉を伝えるべきだ。
 旧優生保護法(1948~96年)下で繰り返された強制不妊手術を巡る国家賠償訴訟で、最高裁は3日、旧法を違憲と初判断し、国に賠償を命じた。
 違憲判決は地、高裁で積み重なっていたが、歴代の政権は被害者が求める首相との直接面会を、最高裁が判断を示すまで先送りする姿勢を固持した。岸田首相がまずなすべきことは、過去の政策の過ちを被害者らの面前で認め、数十年にわたる苦しみを慰謝することだ。
 優生思想に基づき国家ぐるみで続けた人権侵害を政府のトップがどのように清算するかが真の解決への出発点になる。同時に、国民の人権全般に対する行政府の感度と姿勢を見極める指標にもなろう。
 宮城県では国会議員や知事、仙台市長らと共に河北新報社など民間企業の幹部も1950年代からの一時期、優生手術を推進した県精神薄弱児福祉協会の役員や顧問に名を連ねた。この事実を改めて自省し、心に深く刻みたい。
 一連の国賠訴訟と今回の最高裁判決は、被害の救済を長年妨げてきた幾つかの「壁」を乗り越えた点で、大きな意義がある。
 一つは「時の壁」だ。訴訟は、不法行為時から20年たてば画一的に賠償請求権を失わせる旧民法の「除斥期間」規定を適用するかどうかが実質的に最大の争点だった。最高裁は今回、除斥期間を適用せず、国による除斥期間の主張は「権利の濫用(らんよう)」と断じた。
 旧民法除斥期間との明記はなかったが、最高裁が1989年、消滅時効とは異なる除斥期間を定めたものと解釈して以来、下級審もこの判例に縛られてきた。今回の判決は除斥期間とする解釈は維持しつつ、20年で画一的に権利を失わせる89年判例は「到底容認できない結果をもたらす」として変更した。
 旧優生保護法だけでなく、幅広い被害の救済にもつながり得る判断だ。司法が果たすべき正義・公平の理念を重視し、自ら判断を修正した最高裁も「前例の壁」を越えた。
 被害者側には「差別や偏見の壁」を破るきっかけとなった。被害を認識しても差別や偏見を恐れて自ら抱え込むしかなかった状況から、実名を出して国の違憲行為と闘う被害者が現れるまでに至ったことは、訴訟の大きな功績だ。
 最高裁判決を機に国会も壁をさらに越えてほしい。国会は2019年に議員立法で被害者への一時金支給法を制定し、今春の法改正で請求期限を5年延長してはいる。
 ただ、支給の認定数は想定被害者数の約4%にとどまり、1人当たり320万円の額も到底十分とは言えない。救済拡大を政府任せにせず、一時しのぎでない補償の在り方を自ら追求すべきだ。

強制不妊最高裁判決 謝罪と補償に取り組め(2024年7月4日『茨城新聞山陰中央新報』-「論説」)
 
 旧優生保護法下で障害などを理由に不妊手術を強いられた人たちが国に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷は国の賠償責任を認定した。不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用し、国が賠償責任を免れるのは「著しく正義・公平の理念に反する」と断じた。併せて「旧法は違憲」との判断を示した。
 
 強制不妊訴訟は2018年以降、全国12地裁・支部に起こされた。大法廷判決は札幌、仙台、東京、大阪、神戸の各地裁に提起され、昨年6月までに高裁判決が言い渡された5訴訟について、統一判断をした。いずれも、原告らは不妊手術から20年以上たって提訴。除斥期間を適用するかどうかで判断が分かれた。
 高裁判決のうち4件は国に賠償を命じ、仙台高裁のみは賠償請求を退けた。今回の判決によって、国が反論のよりどころにしてきた「時の壁」は崩れた。救済を阻むものはなくなり、国策の名の下に多くの人から子どもを産み育てる権利を奪った「戦後最大の人権侵害」の全面解決に向け、大きな一歩が刻まれた。
 国は速やかに訴訟全てを終結させ、被害者に対する謝罪と補償に正面から取り組むべきだ。憲法をないがしろにして非人道的な政策を進めたばかりか、被害の訴えを横目に救済に本腰を入れず、解決を先延ばしにしてきた責任は極めて重い。
 戦後の人口増と食糧難を背景に旧法は「不良な子孫の出生防止」を目的として、1948年に制定された。障害などを理由に本人の同意なしでも不妊手術をできるとの規定があり、国は各自治体に件数を増やすよう通知。96年の法改正で規定が削除されるまで、約2万5千人が手術を受けた。
 2018年1月、知的障害を理由に10代半ばで手術を施された宮城県の60代女性が初めて国に賠償を求め、仙台地裁に提訴。各地で訴訟が相次ぎ、旧法の違憲性は認められても除斥期間に阻まれ請求棄却が続いた。
 改正前の民法に規定され、不法行為への賠償請求権を行使せずに20年が過ぎると、自動的に消滅するとの解釈が最高裁判例で定着。時効と異なり、中断や更新はない。20年施行の改正民法で当事者の事情によっては請求権が残る「消滅時効」に統一されたが、改正前の事案には適用されず、強制不妊訴訟で国は除斥期間を盾に争った。
 ところが22年、大阪高裁は「著しく正義、公平の理念に反する」と除斥期間を適用せず、初めて国に賠償を命じた。これを境に高裁、地裁で賠償命令が積み上がった。この間、国が被害者の声に背を向け続けたことは厳しい非難を免れない。16年に国連の委員会が救済を勧告しても「当時は適法」と固辞。仙台の初提訴の翌年、19年に議員立法で成立した一時金支給法前文にある「反省とおわび」の主語は「われわれ」とされ、国の責任が明記されていないとの反発は根強い。一時金も一律320万円。1千万円を超える賠償命令と比べると、不十分だ。
 ハンセン病訴訟では01年、隔離政策を違憲とした熊本地裁判決に当時の小泉純一郎首相が控訴断念を政治決断し、被害者補償に動いた。時の政権の考え一つで対応に差が出ることも強制不妊の被害者は納得し難いだろう。差別と偏見に苦しめられた人の尊厳をいかに取り戻すかが問われる。

優生保護法違憲判決 国は人権侵害認め救済を(2024年7月4日『毎日新聞』-「社説」)
 
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優生保護法を巡る国家賠償訴訟で最高裁が国に賠償を命じ、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告ら=東京都千代田区で2024年7月3日、猪飼健史撮影
 
 差別政策によって重大な人権侵害を引き起こした国の責任を、厳しく糾弾した司法判断である。
 障害者らへの強制不妊手術を可能にした旧優生保護法憲法違反だとの判断を、最高裁大法廷が示した。
 個人の尊厳と人格の尊重を定める憲法13条の精神に著しく反し、許されないと批判した。特定の障害などがある人を対象者とすることに正当な理由はなく、法の下の平等を規定する14条1項にも違反すると認定した。
 優生保護法は1948年、「不良な子孫の出生を防止する」ことなどを目的に議員立法で制定された。遺伝的な疾患や障害のある人、精神障害者ハンセン病患者らが手術の対象とされた。
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優生保護法に基づく強制不妊手術は、当時「優生手術」として各地で実施された。北海道が1956年に作製した道内の統計や実態などをまとめた冊子のコピー
強制手術で願い断たれ
 裁判では、手術を受けさせられた人や配偶者が国に賠償を求めた。焦点になったのは、不法行為から20年が経過すると賠償が請求できなくなる「除斥期間」が適用されるかどうかだった。原告たちが手術を受けたのは、40年以上前になる。
 判決は「国の責任は極めて重大で、賠償を免れることは著しく正義・公平の理念に反し、到底容認できない」と指摘した。妥当な判断である。
 被害者たちは尊厳を踏みにじられ、人生を狂わされた。
 原告の野村花子さん、太朗さん夫婦(いずれも仮名)は、ともに耳が聞こえない。花子さんは帝王切開で出産した際、知らないまま同時に不妊手術をされていた。
 生まれた子は直後に亡くなった。「子どもが欲しい」との夫婦の願いは断たれた。
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優生保護法を巡る国家賠償訴訟の最高裁判決後に、記者会見する原告の北三郎さん(仮名、右から2人目)=東京都千代田区で2024年7月3日、猪飼健史撮影
 北三郎さん(仮名)は、問題行動のある少年が入る施設にいた14歳の時、手術を受けさせられた。
 結婚後、子どもを望む妻に隠し続けた。亡くなる直前にようやく打ち明けたが、妻から責めるような言葉はなかった。
 誰にでも、子どもを持つかどうかを自分で決める権利がある。
 しかし、当時の厚生省は手術を積極的に実施するよう、都道府県に働きかけた。拒む場合には、身体を拘束したり、だましたりすることも許容していた。
 96年の法改正によって強制手術の規定が削除されるまで、不妊手術の被害者は約2万5000人に上った。うち1万6000人以上は、本人の同意がないまま実施された。
 長らく非人道的な政策を続けてきたにもかかわらず、国はこれまで法的責任を認めてこなかった。
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優生保護法訴訟の最高裁判決を受け、記者の質問に答える岸田文雄首相=首相官邸で2024年7月3日午後6時9分、平田明浩撮影
 判決後、岸田文雄首相は被害者に会って謝罪する考えを示した。最高裁が国の賠償責任を明確に認めた以上、国策で推し進めてきた過去の人権侵害を反省するのは、政府の代表として当然だ。
差別意識なくす契機に
 政府や国会は直ちに、救済に取り組まなければならない。被害者は高齢化が進み、各地で裁判を起こした人たちの中にも、既に亡くなった人がいる。
 提訴の動きや世論の高まりを受け、被害者本人に一時金を支給する救済法が、2019年に成立した。ただ、金額は一律320万円にとどまり、支給を受けたのも今年5月末時点で1110人に過ぎない。
 今回の判決で、1人当たり1100万~1650万円の賠償が確定した。配偶者への賠償を認めたケースもある。救済の枠組みを見直すことが不可欠だ。
 手術されたことを知らない人もいる。記録を持つ行政が、プライバシーに配慮しつつ、被害者に伝える仕組みが必要である。被害実態の調査も欠かせない。
 優生保護法が成立した背景には、終戦直後の食糧難の中、人口の増加を抑制すべきだとの考え方があった。国会では、障害がある人は健康な人より劣るという、ゆがんだ優生思想に基づく議論が展開された。
 その後、社会問題となることもなく、制度は半世紀近く維持された。廃止後も、被害者が声を上げるまで補償はなされなかった。
 優生保護法にのっとった国の施策は、障害者に対する社会の偏見や差別を助長した。高校の教科書にはかつて、「劣悪な遺伝病を防ぐ」などと、優生思想を広めるような記載があった。
 過ちの歴史について、検証する必要がある。
 偏見や差別を根絶し、人々が尊重し合って暮らす社会をつくるのが、国の責務だ。
 

強制不妊判決 「時の壁」越え救済命じた司法(2024年7月4日『読売新聞』-「社説」)
 
 人の命に優劣をつけるような制度が許されるはずはない。国は、被害者を広く救済する制度を早急に講じるべきだ。
[ 旧優生保護法に基づき不妊手術を強制された被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審で、最高裁大法廷は旧法を違憲だと判断し、国の賠償責任を認める判決を言い渡した。
 国に最大1650万円の賠償を命じた高裁判決が、それぞれ確定した。旧法について、判決は「個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反する」と指摘した。
 1948年に施行された旧法は「不良な子孫の出生防止」を目的に障害者らの不妊手術を認めた。これに基づいて2万5000人が手術を受けた。本人の同意がないまま行われた手術もあった。
 これほど差別的な法律が戦後につくられ、96年まで存続していたとは、残念というほかない。最高裁の判断は当然である。
 訴訟の最大の争点は、不法行為から20年で賠償を求める権利が消滅する民法(当時)の「除斥期間」が適用されるかどうかだった。
 強制不妊手術を巡る訴訟は2018年以降、全国12の地裁・支部に起こされた。その時点で被害者はすでに、手術から数十年が経過していた。そのため、1、2審判決で除斥期間を理由に請求を棄却するケースもあった。
 だが、最高裁は「除斥期間の経過で国が賠償責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反し、到底容認できない」と述べた。
 被害者は、意に反した手術で心身が深く傷つけられ、子供を持てなくなった。回復できない人権侵害の深刻さを重視し、全員を救済すべきだと考えたのだろう。
 国会では19年、各被害者に320万円の一時金を支給する救済法が成立した。ただ、最高裁が認めた賠償額は1000万円を超えており、両者の隔たりは大きい。
 最高裁判決は、今回の5件以外の訴訟にも影響を与える。国は、現在も続く他の訴訟の結論を待たずに、新しい救済策をつくり、補償額を見直すことが急務だ。
 一時金の支給認定を受けた人はこれまで1000人余りにとどまる。自分が手術を受けたと知らないままの被害者も多いという。
 手術から長い歳月がたち、被害者は高齢化している。障害を抱える人々が、補償の手続きを自分で進めるのは容易ではなかろう。
 被害者は、国が責任を認め、謝罪することも望んでいる。国には、被害者の思いを酌み取り、手厚く支援する責務がある。
 

国の責任断じた強制不妊判決(2024年7月4日『日本経済新聞』-「社説」)
 
キャプチャ
国は早急な対応が求められる(3日、東京都千代田区
 旧優生保護法のもと障害者らが不妊手術を強いられた問題で、最高裁大法廷は同法を「憲法違反」とし、国に賠償を命じた。裁判官15人の全員一致の判断だ。
 同法の非人道性や、差別や偏見の温床となったことを考えれば、当然の判断だろう。国は裁判を起こしていない被害者を含め、全面的な補償・救済に向けた対応を急ぐべきだ。
 旧優生保護法は1948年に議員立法で制定された。96年に母体保護法に改正されるまでの間、約2万5千人が不妊手術をされた。2018年以降、訴訟が相次ぎ、うち5件について判決が出た。
 最大の争点は「時の壁」だった。不法行為から20年で損害賠償請求権がなくなるという除斥期間についての判例があるが、今回、これを変えた。「著しく正義・公平の理念に反し、到底許容できない場合には、除斥期間の主張が信義則に反し、権利の乱用として許されないと判断することができる」とし、被害から長期間がたった被害者も請求できるとした。
 重視したのは、被害の甚大さだ。旧優生保護法の規定は憲法13条、14条に反し立法行為自体が違法であるうえ、国はだまして手術することなどを許容し積極的に推進した。旧法を改正した96年以降も国は手術は適法で補償はしないという立場をとり続けた。裁判が起きた後の19年になってようやく一時金支給法ができたにとどまる。
 一時金は本人に320万円で、被害の実態に見合わないとの声は強い。認定も5月末時点で1110件にとどまる。一方、最高裁判決で確定した4件の高裁判決は本人に1000万円を超える慰謝料を、配偶者にも200万円を認めた。原告敗訴の1件も高裁に差し戻した。一時金との差は大きい。
 大事なのは一人でも多くの被害者が適切な補償を受けられることだ。支給法の見直しなどで補償を受けやすい仕組みの議論が求められる。差別や偏見をなくす対策はもちろん、被害者への真摯な謝罪と反省がすべての前提となる。
 

優生保護法 尊厳回復と救済を早く(2024年7月4日『東京新聞』-「社説」)
 
 旧優生保護法下での強制不妊手術は憲法違反だと訴えた裁判で、最高裁は同法自体を「違憲」と断じ、国に賠償を命じた。加害行為からの「時の壁」を乗り越え、障害者の救済を図る人道的な判決だ。心身に深い傷を受けた人々の尊厳回復にも努めるべきだ。
 知的障害や精神疾患などを理由に不妊手術や人工妊娠中絶手術を認めたのが旧優生保護法である。
 1948年に制定された法により、不妊手術を受けさせられた人は実に2万5千人にも上った。「戦後最大の人権侵害」と言われたゆえんである。
 「不良な子孫の出生防止」を目的にした障害者への差別と偏見に満ちた法だった。「優れた人」の子孫を残し、「劣った人」の遺伝子を淘汰(とうた)するという優生思想に立っており、到底許されない。
 最高裁は「この規定は個人の尊重を定めた憲法13条、法の下の平等を定めた14条にも反する」と明確に宣言した。当然の判決として受け止める。
 不法行為から20年たつと賠償を求められない除斥期間についても「著しく正義に反する」と時間の壁をも退けた。この問題が広く認識されてから、国会の裁量で適切な補償ができたはずだからだ。
 何しろ「本人の同意なし」の不妊手術が65%も占めた。当時の厚生省は「欺罔(ぎもう)(だますこと)の手段も許される」と通知し、盲腸手術などと偽った事例もあった。非人道的な手術が行われていたことは疑いの余地がない。
 しかも不妊手術を受けたのは40年も50年も前である。本人に何の説明もなかったり、何十年も経て、報道で自分の被害を知った人もいる。手術記録が廃棄されていた事例もある。提訴したくてもできなかったのが実態だ。
 1996年にやっと優生条項を削除し、母体保護法と改めたものの、国は謝罪もせず、償いを求められても「当時は合法だった」と拒んできた。その罪は極めて重いと言わざるを得ない。
 その後、議員立法で一律320万円の一時金を受け取れる制度もできたが、「家族に知られたくない」と請求をためらう人が多い。この制度も不十分なのだ。
 生殖機能を失い、つらい人生を送った。精神的・肉体的苦痛を受けた人すべてに国は十分な補償をすべきだ。今なお社会に潜む差別と偏見も根絶せねばならない。

優生手術判決 国の免責 最高裁が認めず(2024年7月4日『信濃毎日新聞』-「社説」)
 
 障害者らに不妊手術を強いた旧優生保護法を、最高裁違憲と断じ、被害者への賠償を国に命じた。謝罪と補償をなおざりにしてきた国は、その姿勢を根本から改めなくてはならない。
 被害者が起こした5件の裁判について最高裁の大法廷が出した判決だ。個人の尊重、法の下の平等に反する重大な人権侵害であり、国は責任を免れないとして、除斥期間の適用を認めなかった。
 損害賠償の請求権は20年で消滅するという民法上の考え方だ。明文の規定はなく、過去に最高裁が条文の解釈として示した。時効と異なり、事情があっても中断や停止はしない。戦争被害の補償や公害をめぐる裁判でも、被害の回復を妨げる壁になってきた。
 原告らが手術を受けたのは、いずれも1970年代以前だ。国は除斥期間が既に経過し、賠償責任を負わないと主張したが、最高裁は、権利の乱用だとして国の主張そのものを退けた。過去の最高裁判例を変更し、被害者の全面救済に道を開く判断である。
 高裁では、4件の判決が除斥期間の適用を制限して国に賠償を命じていた。最高裁が踏み込んだ判断を示したことで、旧法をめぐる他の裁判でも国の主張が認められる余地は事実上なくなった。
 「不良な子孫」の出生防止を掲げた旧法は戦後の48年に議員立法で成立し、統計に残るだけで2万5千人近くが手術を受けた。96年に改定された後も、政府は「当時は適法だった」として、謝罪や補償の要求をはねつけてきた。
 被害者が裁判を起こし、翌2019年に一時金支給法が成立したものの、旧法の違憲性に触れず、国の責任は明記されていない。反省とおわびの文言はあっても、肝心の主語がぼやかされている。
 一律320万円の支給額は、深刻な被害の実態に見合わず、補償の実質を欠く。配偶者の被害も顧みられていない。その場しのぎで救済の体裁を取り繕ったとしか受け取れない立法だ。
 施行から5年を経て、支給の認定を受けた人は1100人余にとどまる。偏見を恐れて、名乗り出るのをためらう人は少なくない。個別に通知しないことも、被害者を置き去りにしている。
 最高裁の判決を踏まえ、政府、国会は、被害者の尊厳の回復と補償のあり方を議論し直す必要がある。旧法下の差別政策の過ちに正面から向き合い、国が自らの責任を明確にしなければ、社会に根深く残る差別と偏見をなくしていくことはできない。

優生保護法違憲/国は謝罪し真の救済に向き合え(2024年7月4日『神戸新聞』-「社説」)
 
 旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強いたのは憲法違反だとして、障害のある人らが国に損害賠償を求めた5訴訟の判決で、最高裁大法廷は旧法を違憲とし、国の賠償責任を認める初の統一判断を示した。「違法な立法行為の下、重大な犠牲を求めてきた」と非難し、国の政策を根本から否定した。
 「不良な子孫の出生を防止する」との目的で旧法が制定されて76年、差別的な条文を削除し母体保護法に改正後28年を経て、ようやく優生保護施策は誤りと認められた。「戦後最大」とされる人権侵害の認定にこれほどの時間がかかった経緯を改めて検証する必要がある。
     ◇
 一連の訴訟は2018年以降、被害者ら39人が全国12地裁・支部に提起した。最高裁が判断を示したのは神戸、札幌、仙台、東京、大阪の各地裁の5訴訟で、原告は1950~70年代に不妊手術を強いられた。
 これまでの判決で判断が分かれ、最大の争点となったのは、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるか否かだった。各訴訟の原告はいずれも手術から20年以上が経過し、国は賠償責任を否定してきた。
重すぎる政治の責任
 最高裁の判決は「著しく正義・公平の理念に反する」として除斥期間の適用を否定した。手術された本人に1100万~1650万円、配偶者に220万円の支払いを命じる判決を4訴訟で確定させ、一、二審で原告が敗訴した仙台訴訟については審理を仙台高裁に差し戻した。
 他の訴訟の確定を待たず、国は全ての被害者や遺族に心から謝罪し、最高裁の判断に基づき早急に賠償の手続きを進めなければならない。
 最高裁が20年の「時の壁」を越えて国の賠償責任を認めたのは、各地で優生保護施策が推し進められた経緯を鑑みれば当然である。
 旧優生保護法は食料難を受けた人口抑制策の一環で国会議員が提案し、衆参両院の全会一致で成立した。国も積極的に施策を進め、手術件数が減ると自治体に実施を促した。
 国の動向を踏まえ、兵庫県は66年度以降に「不幸な子どもの生まれない県民運動」を推し進めた。当時の神戸新聞も運動に賛同する社説を掲載したことを省みる必要がある。

強制不妊違憲判決 国は謝罪と速やかな補償を(2024年7月4日『中国新聞』-「社説」)
 
 子どもを産み育てる権利を奪う「戦後最大の人権侵害」である。原告の訴えに応えた画期的な判断といえよう。
 
 旧優生保護法によって不妊手術を強いられた障害者らが国に損害賠償を求めた5訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷はきのう、旧法を憲法違反だと断じた。
 
 初の統一判断で、国の賠償責任を認めた。不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用せず、国が責任を免れるのは「著しく正義・公平の理念に反する」と指摘した。国が反論の根拠とした「時の壁」を崩した。
 至極当然である。憲法をないがしろにして半世紀近く、非人道的な行為を国策とし、障害者らへの差別や偏見を助長してきた。約2万5千人に上る被害者の救済に道筋をつけよと迫る司法判断は重い。
 2018年以降、原告39人が12地裁・支部に提訴した。高齢であり、国は全ての訴訟を終わらせるべきだ。被害者への明確な謝罪と、声を上げられていない人を含め、速やかで手厚い補償を求める。
 何より負の歴史に真正面から向き合わねばならない。
 旧優生保護法は食糧難での人口抑制策として1948年に議員立法で成立し、96年に母体保護法に改正されるまで存続した。目的を「不良な子孫の出生を防止する」と規定し、知的障害や精神障害がある人、ハンセン病患者たちに不妊手術をできるとした。国が各自治体に推進を通知し、官民で進めた地域がある。被害者の過半数は本人の同意を得ず、だまして手術を受けさせた例もあった。
 最高裁判決は個人を尊重する憲法13条に反し、法の下の平等を定めた14条にも違反するとした。国の責任を「極めて重大」と認定した。国は旧法を廃止後も、救済に後ろ向きな姿勢を続けてきた。誠実に受け止めるべきだ。
 国会も後手に回った。救済に動いたのは訴訟が起こされてからだ。しかし、救済法は一時金を支給するとしながら国の責任を曖昧にした。昨年公表した衆参両院の調査報告書でも踏み込まなかった。
 判決を受け、岸田文雄首相は「政府として真摯(しんし)に反省し心から深くおわびを申し上げる」と述べた。原告らと面会する見通しだ。これ以上の責任放棄は許されない。
 最高裁除斥期間を適用しなかったのは、そもそも被害者が長く訴えられなかった実態を踏まえたのだろう。
 一時金の支給認定を受けたのは、わずか1100人余りだ。根強い差別の中で声を上げるのは困難だったろう。認識がない人、手術をさせた負い目で家族に隠された人、相談できない人も少なくない。
 1人当たり一律320万円の一時金は、1千万円を超す賠償命令と比べて不十分だ。対象者への個別通知や訴えの支援も欠かせない。
 人の命に優劣をつける「優生思想」は、社会からなくなってはいない。同じ過ちを繰り返さないためには、過去に向き合う検証が欠かせない。苦しんできた人の尊厳をいかに取り戻すのか。岸田政権がやるべきことは明確だ。

【強制不妊判決】国は謝罪と救済を急げ(2024年7月4日『高知新聞』-「社説」)
 
 戦後最悪ともいわれる人権侵害に苦しむ被害者の感情に沿った納得のいく判断だ。被害者は高齢化しており、残された時間は限られている。謝罪と救済を急ぐ必要がある。
 旧優生保護法下で不妊手術を強いたのは憲法違反だとして、障害者らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、最高裁大法廷は旧法を違憲とした上で、国の賠償責任を認める判決を言い渡した。
 不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用しなかった。同じ境遇にある人たちに救済の道が開けたと言える。
 旧法は優生思想に基づき、1948年に議員立法として成立した。知的障害や遺伝性疾患を絶やすためとして、本人の同意がなくても特定の障害や疾患を理由に不妊手術や人工妊娠中絶手術を認めていた。
 障害者差別に当たる条文は、母体保護法へと改正される96年まで残った。国の統計では約2万5千人が不妊手術を受けたとみられる。
 一連の訴訟は2018年以降に39人が全国の12地裁・支部に提訴した。うち大法廷が判決を言い渡したのは札幌、仙台、東京、大阪、神戸の各地裁に起こされた5訴訟だ。
 高裁段階の判決は、いずれも旧法を違憲とした一方で、国の賠償責任に関しては、除斥期間の適用の是非で結論が分かれていた。
 原告らが不妊手術を受けたのは1950~70年代で、いずれも手術から20年以上後に提訴している。国側はこれを根拠に適用を求めていた。
 除斥期間機械的に適用され、例外はほとんど認められてこなかった。そのため、当初は請求を退ける判決が続いた。しかし、2022年に大阪高裁判決が適用せず、国に初めて賠償を命じた。以降、原告側の勝訴が相次いだ。
 大法廷も旧法は「意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を保障した憲法13条、法の下の平等を定めた憲法14条に違反すると指摘した。
 さらに、差別に当たる条文が削除されるまで「国は政策として障害のある人を差別し、重大な犠牲を求めてきた」とし、除斥期間の経過を理由に国が賠償責任を免れることは「著しく正義・公平に反し、到底容認できない」と述べた。裁判官15人全員一致の意見だった。
 不妊手術の強制は、国が公然と続けてきた差別政策であることが改めて示された。時間がたったからといって免責されてよいはずはない。判決の指摘は当然だ。
 強制不妊手術を巡っては、旧法を成立させた国会の対応も遅かった。被害者に一律320万円を支給する一時金支給法を成立させたのは19年。被害者が初めて国に損害賠償を求めて提訴してからだ。
 支給認定を受けたのは約1100人とされる。請求期限が5年延長されたが、被害の実態を考えれば十分な額とは言えない。一連の訴訟では一時金を上回る判決も出ている。
 最高裁は旧法の立法行為自体が違法だと言及した。国も国会も責任を自覚するべきだ。

強制不妊違憲確定 「人生被害」償う救済法を(2024年7月4日『熊本日日新聞』-「社説」)
 
 不妊手術を強制した旧優生保護法憲法違反とし、国の賠償責任を確定させる司法判断である。国は人権侵害の過ちを認めるべきだ。新たな救済法の制定を急ぎ、一生取り返せない「人生被害」に補償を尽くしてもらいたい。
 不妊手術を強いられた被害者が国に賠償を求めた5件の訴訟で、最高裁大法廷は原告の請求を認めた。不法行為から20年で賠償請求権がなくなる「除斥期間」を適用せず、国を免責しないとする統一判断で救済の道筋をつけた。
 除斥期間の適用は、水俣病などを巡る裁判で原告救済の壁となってきた。最高裁が例外的に適用しなかったのは過去2件しかない。大法廷が今回、除斥期間を認めなかったのは、子どもを産み育てる権利を一方的に奪った違憲性が明白だからだ。13条が保障する「意思に反して身体への侵襲を受けない自由」と、14条の「法の下の平等」に反すると指摘。国が賠償を免れるのは「正義・公平に反する」と断じたのは妥当だ。
 旧法は「不良な子孫の出生を防止する」として、1948年に議員立法で制定。特定の障害や疾患を理由にした不妊、中絶を認め、約2万5千件の手術があった。そのうち1万6千件余りは本人の同意がなかったという。熊本県でも544件実施された。
 旧厚生省が優生政策を主導し、都道府県などが実務を担った。人権を軽視し、障害者への差別意識を社会に根付かせた行政責任は重い。旧法を96年まで存続させ、差別解消を遅らせた国会も同様だ。
 被害者に320万円を支払う現行の一時金支給法は、最高裁判決の救済水準に遠く及ばない。国の責任を明記せず、旧法の違憲性にも触れていない。被害者は名乗り出るのをためらい、手術を受けた認識がない人もいる。支給認定は約1100人にとどまる。被害者の多くは高齢であり、国は「命あるうちの救済」に努めるべきだ。
 新たな救済法をつくり、被害者の尊厳回復につなげたい。補償には申請期限を設けず、被害者にできる限り周知し、受給を呼びかけてほしい。国が進めた優生政策の非人道性、強制不妊の背景などを改めて検証する必要がある。差別を正当化した法律の過ちを繰り返してはならない。

違憲判決(2024年7月4日『長崎新聞』-「水や空」)
 
〈自然は人びとを、心身の諸能力において平等につくった〉-憲法学者の木村草太さんは著書「憲法という希望」(講談社現代新書)の冒頭で英国の思想家ホッブズのこんな言葉を紹介している
▲いろんな能力が違ってるようにみえても、大した違いではない…乱暴な意訳をお許しいただきたい、彼はそう説いている。その理由は〈最も弱い者でも、ひそかな企みや他者との共謀によって、最も強い者の生命を奪うことができる〉から
憲法13条の〈すべて国民は、個人として尊重される〉という規定はホッブズの論の延長線上にある。13条は、この国は「あなた」があなたであるという、それだけで「あなた」を大切にします-という約束である
▲「不良な子孫の出生を防止する」とする法律が目指したものは、どんな背景があっても決して許されない「生命の選別」だ。思想家が17世紀に論じた「ひとの平等」から目を背け、個人の尊厳を掲げる憲法の約束を違えた旧優生保護法
最高裁はその過ちを厳しく断罪した。政府が“時の壁”を理由に責任を免れることを「著しく正義・公平に反する」とし、国会の立法責任にも触れた
最高裁の明快な論理は、しかし、当然の結論でもある。そこに到達するまでの時間が当たり前の判決を「歴史的」にしてしまった。(智)

無理解という病(2024年7月4日『琉球新報』-「金口木舌」)
 
 河瀨直美監督の「あん」は元ハンセン病患者を通して人間とは何かを考えさせられる映画作品だ。主役の女性の言葉が身につまされる。「こちらに非はないつもりで生きていても、世間の無理解に押し潰されてしまうことがあります」
▼「あん」はどら焼きの餡(あん)のこと。餡づくりの腕を見込まれて元患者の女性はどら焼き屋で働き始めるが、やっと見つけた生きがいも偏見によって奪われる。非のない元患者への仕打ちがやるせない
▼患者はもとより家族にも偏見・差別の被害が及んでいた。父母やきょうだいを強制隔離され、地域からも排除された惨状は胸が痛む。家族被害を認定し、国に賠償を命じた熊本地裁判決から5年
▼先月29日の原告らの集会で男性が国側の主張を振り返っていた。「家族の被害は抽象的という。私は1歳から9歳まで両親と離ればなれでした。これが抽象的ですか」
▼家族被害への無理解はほんの5年以上前まで社会にまん延していた。今もおびえて暮らす家族がいるという。人を押し潰すような世間の病。根治しなくては。
 

 

優生保護法違憲 国の「人権侵害」を断罪(2024年7月4日『沖縄タイムス』-「社説」)
 
 「戦後最大の人権侵害」の全面解決に向け、大きな一歩が刻まれた。
 
 旧優生保護法下で不妊手術を強制されたとして被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の判決で、最高裁が旧法を「違憲」とする初の統一判断を示した。
 旧法は1948年、議員立法で制定された。「不良な子孫の出生防止」を目的に遺伝性疾患のほか、遺伝性でない精神疾患、知的障がい者への不妊手術を認めた。
 障がい者団体などの批判を受け国は96年、障がい者差別に該当する条文を削除し、母体保護法に改めた経緯がある。
 一方、「記録がない」「当時は合法だった」などとして、被害者が求めた謝罪や補償には応じてこなかった。
 2018年、宮城県の女性が旧法は違憲として初めて国賠訴訟を提起。以降、全国12地裁・支部で39人が提訴している。
 最高裁は今回、旧法が「意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を保障した憲法13条や、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するとした。
 一連の訴訟では、不法行為から20年経過すると損害賠償請求権を失うとする「除斥期間」が争点となってきた。
 それについても最高裁は、除斥期間を理由に国が賠償責任を逃れることは「著しく正義・公平に反し、到底容認できない」と断じたのである。
 国は全ての訴訟を速やかに終結させ、被害者に対する謝罪と補償に取り組むべきだ。
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 旧法下では約2万5千人が不妊手術を受け、そのうち手術を強制させられた人は約1万6500人に上る。
 「苦しみながらここまできた」
 最初に訴え出た女性が手術を強制されたのは16歳のころ。手術後はひどい生理痛に悩まされてきた。不妊手術を理由に結婚生活も破綻した。25年以上前から旧法の被害を訴え、国に謝罪と補償を求め続けてきた。
 女性をはじめ多くの被害者はすでに70~80代だ。訴訟中に亡くなった人もいる。
 この間、国が被害者の声に背を向け続けたことは厳しい非難を免れない。
 19年には被害者に一律320万円の一時金を支給する救済法が議員立法で成立。衆参両院が初めて報告書をまとめ「反省とおわび」を明記した。
 しかし、最高裁では1千万円を超える賠償責任が確定した。非道な国策の補償として一時金は不十分だ。おわびにも国の責任が明記されておらず到底納得できない。
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 ゆがんだ国策は、社会の差別や偏見も助長してきた。
 「手術を知られたくない」との思いから請求をためらう人も多いとみられ、一時金の支給者は5月末時点で1110人にとどまっている。
 「優生思想」を背景にした問題は後を絶たない。北海道のグループホームが知的障がい者に対し、不妊処置を受けるよう求めたことは記憶に新しい。
 社会も長く被害者の苦難を放置してきた。その責任を重く受け止めるべきだ。