ようやく長い闘いが報われた――。旧優生保護法(1948~96年)下での強制不妊手術被害を巡り、原告全面勝訴を言い渡した最高裁大法廷判決。16歳で手術を受けた飯塚淳子さん(70代、活動名)ら宮城県の原告たちは喜びをにじませるとともに、「被害者に直接謝罪してほしい。差別のない社会になってほしい」と国に訴えた。
「原判決を破棄する」。戸倉三郎裁判長が主文を読み上げた瞬間、会場の空気が沸き立った。閉廷の宣告とともに、原告席に座っていた飯塚さんは、新里宏二弁護団長と握手を交わし、ねぎらい合った。
16歳で理由を告げられず手術を受けた飯塚さん。旧法改正後の97年から支援団体とともに救済を求める活動を行ってきたが、国は「当時は適法だった」と責任を認めなかった。県が記録を廃棄していたため、提訴もできなかった。
知的障害を理由に15歳で手術を受けた佐藤由美さん(60代、仮名)が2018年1月に仙台地裁に初の国賠訴訟を提起。その後、県が手術を認めたことから飯塚さんも同年5月に提訴し、2人の審理は併合された。
だが、1・2審とも不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に訴えは棄却された。最高裁で審理された5件の高裁判決のうち、4件は原告勝訴だったが、宮城の訴訟だけが敗訴していた。原告団の間にも「宮城だけ負ける場合もあるのではないか」と不安がよぎった。
だが杞憂(きゆう)だった。最高裁が示した判決は、旧法被害を放置してきた国を厳しく断罪した。閉廷後の報告集会で、新里弁護団長は「被害者の声が社会を変えた。素晴らしい闘いだった」と飯塚さんたちをたたえた。
提訴から6年あまり、由美さんに代わり、被害を訴える活動をしてきた義姉の路子さん(60代、仮名)は「これまでの負けがあったからこそ、今回の素晴らしい判決があったと思う」と振り返った。
飯塚さんは「毎日長い間、苦しみながらここまで来ました。今日は最高の日です」と喜びを口にし、今回の判決を踏まえ「声を上げていない被害者は名乗りを上げ、国からの謝罪と補償を受けてほしい」と呼びかけた。【遠藤大志】