旧優生保護法下で障害などを理由に不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、各地の被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は3日、旧法は違憲とし、国の上告を棄却した。国の賠償責任を認める判断が確定した。
被告の国側は、除斥期間の例外を広く認めれば「法秩序を著しく不安定にする」と指摘。原告らには例外を認める「特段の事情」はなく、賠償請求権はすでに消滅していると主張していた。
原告側は「被害から20年たったというだけで、責任を負わないことが許されていいのか」として、除斥期間を適用しないよう求めていた。
31年4月、1人当たり320万円を支給する一時金支給法が議員立法により成立。今年3月には、一時金の請求期限を5年延長する改正法が成立した。
訴訟の判決を受け、垂れ幕を掲げる原告ら=3日午後、東京都千代田区(相川直輝撮影)
不良な子孫の出生を防止する-。そんな政策を具現化した旧優生保護法は、優良な遺伝形質を残すことで人々を向上させるとする「優生学」を背景に、欧米各国で19世紀末以降に実施された断種政策に連なるものだった。人口増加問題への対応もあり、こうした優生規定は戦後も温存され、なくなったのは平成に入ってから。あまりに遅すぎた改正だった。
令和5年の国会の調査報告書によると、優生学は19世紀後半、進化論で知られるダーウィンのいとこにあたる英国の学者ゴルトンが「血統を改良する科学」として創始した。進化論を背景に各国に拡大し、20世紀初頭には、米国やドイツ、スウェーデンなどで公衆衛生向上と並行した国力増強策の一環として、知的障害者らの生殖能力をなくす政策が進められた。
異常さが国会で問題視され、優生関連条項が削除されたのは成立から半世紀が過ぎた平成8年。被害者に一時金を支給する特別法成立は、元号が変わる直前の平成31年4月になってからだった。(荒船清太)