国に賠償命令、除斥期間適用せず 旧優生保護法で最高裁大法廷判決 旧法は「違憲」(2024年7月3日『産経新聞』)

キャプチャ
優生保護法違憲訴訟の上告審判決で、横断幕を手に最高裁に向かう原告と弁護団ら=3日午後
 
優生保護法下で障害などを理由に不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、各地の被害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は3日、旧法は違憲とし、国の上告を棄却した。国の賠償責任を認める判断が確定した。
原告はいずれも手術から20年以上が経過しているが、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅すると定める民法(当時)の「除斥期間」を適用しない判断を示した。
旧法での強制不妊手術を巡っては平成30年以降、39人が全国12地裁・支部で訴訟を起こした。
大法廷が審理したのは先行の5訴訟。いずれも高裁段階で旧法を「違憲」と判断し、4件が国に賠償を命じた。この中でも、除斥期間の適用を制限する範囲については判断が分かれていた。
被告の国側は、除斥期間の例外を広く認めれば「法秩序を著しく不安定にする」と指摘。原告らには例外を認める「特段の事情」はなく、賠償請求権はすでに消滅していると主張していた。
原告側は「被害から20年たったというだけで、責任を負わないことが許されていいのか」として、除斥期間を適用しないよう求めていた。
キャプチャ
昭和23年に「不良な子孫の出生を防止する」との目的で制定された。障害などのある人に対し、本人の同意がなくても都道府県の審査会が決定すれば不妊手術や人工妊娠中絶手術を認めた。
平成8年に差別に当たる条文が削除され、母体保護法に改称。国の統計によると、不妊手術をされたのは約2万5千人。このうち約1万6千人は本人の同意がなかった。
31年4月、1人当たり320万円を支給する一時金支給法が議員立法により成立。今年3月には、一時金の請求期限を5年延長する改正法が成立した。
 

優生保護法、「優生学」や産児制限背景に成立 平成に入ってなくなる(2024年7月3日『産経新聞』)
 
キャプチャ
訴訟の判決を受け、垂れ幕を掲げる原告ら=3日午後、東京都千代田区(相川直輝撮影)
不良な子孫の出生を防止する-。そんな政策を具現化した旧優生保護法は、優良な遺伝形質を残すことで人々を向上させるとする「優生学」を背景に、欧米各国で19世紀末以降に実施された断種政策に連なるものだった。人口増加問題への対応もあり、こうした優生規定は戦後も温存され、なくなったのは平成に入ってから。あまりに遅すぎた改正だった。
令和5年の国会の調査報告書によると、優生学は19世紀後半、進化論で知られるダーウィンのいとこにあたる英国の学者ゴルトンが「血統を改良する科学」として創始した。進化論を背景に各国に拡大し、20世紀初頭には、米国やドイツ、スウェーデンなどで公衆衛生向上と並行した国力増強策の一環として、知的障害者らの生殖能力をなくす政策が進められた。
日本では明治末に「人種改良論」として優生学が紹介されて流行。大正に入ると、物価高によるコメ騒動以降、食糧難を受けた人口抑制や産児制限への関心も高まり、国家が出生に関わる土壌が準備された。
大正4(1915)年にはハンセン病患者への不妊手術が始まる。昭和13年、厚生省に優生課が設置。15年には任意や強制の不妊手術を認める国民優生法が成立した。
戦後も、復員やベビーブームにより人口は急増した。戦地での旧ソ連軍兵士の暴行による妊娠の闇堕胎問題もあり人工妊娠中絶の整備が求められ、23年、母体保護も目的に加えた旧優生保護法が制定された。
旧法に基づく不妊手術は全国で2万4993件。65%は本人の同意がなかった。国が都道府県に、盲腸などと偽ってでも手術を増やすよう求めたことも判明している。
異常さが国会で問題視され、優生関連条項が削除されたのは成立から半世紀が過ぎた平成8年。被害者に一時金を支給する特別法成立は、元号が変わる直前の平成31年4月になってからだった。(荒船清太)