安藤優子×浜田敬子×星薫子 ノーベル平和賞受賞イランの「白い拷問」告発は他人事ではない(2024年6月26日『現代ビジネス』)

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 イラン・イスラム共和国と聞くと、「厳格なイスラム教の危険な国」という漠然としたイメージが浮かぶという人は多いかもしれません。日本人の私たちからすると危険に思われる国イランにも当然、日本と同じように社会に出て働く人がいて、結婚し妻となり母親になった女性たちも暮らしています。大きく違うのは、抑圧や差別に声を上げて変革を望む政治的抵抗運動に身を捧げた結果、長期の禁固刑を科される現実があるということ……。
白い拷問 自由のために闘うイラン女性の記録』は、イランの人権活動家ナルゲス・モハンマディが女性刑務所の内情を暴いたノンフィクションです。ナルゲス氏は大学卒業後イランの企業で検査技師として働きながら改革派の出版物や新聞に積極的に寄稿を続け、2023年獄中でノーベル平和賞を受賞しました。男女の双子の母親でもあります。
  この『白い拷問』の感想から女性の人権について、さらには日本の「子持ち様問題」まで語り尽くした安藤優子さん、浜田敬子さん、翻訳した星薫子さん3人の鼎談を、3回に分けてお伝えしてきた本記事。最終回は、自由のために闘うイラン女性の問題は他人事ではないと気づかされていった理由をお届けします。
独房で過ごす日々は常に恐怖に彩られています
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星薫子さん 
 星薫子(以後、星):「最初、人権活動家のナルゲスさんの言葉には【革命】【闘争】といった英単語が出てきて、日常生活とはかけ離れたボキャブラリーが多いなと感じていたんです。日本の読者との温度差ができてしまう気がして、これでいいのか迷いながら訳していました。それが、進めていくと『この問題はイランだけではなく日本でも言えることだ』と思うようになり、どんどん引き込まれていきました」
たとえば最後の証言者、ジャーナリストのマルジエ・アミリさんは本書の中で次のように語っている。
「独房で過ごす日々は常に恐怖に彩られています。恐怖、叱責、懲罰、孤立、恫喝、剥奪、抑圧、これらが拘禁中の囚人に否応なく押しつけられます。しかし実のところ女性は、逮捕の前から、あらゆる制度の背後にこのような空気を感じてきました。自分で体験していなくても、他の女性の体験として見聞きしたことはあります。私は女性としてこの空気を、父から、兄から、私を縛る家父長的な制度から、押しつけられてきました。この空気はそれ自体が支配者であり、あるいは少なくとも、私の決断や選択を奪い、私の運命の決定権を握っているかのように振る舞います。
刑務所では、尋問官は単なる尋問官ではありません。彼らは家父長的な秩序を体現した存在で、彼らの思いどおりになることを拒んだ女性から声を奪います。こういう構造のなかで、ちゃんとした女性として社会に居場所があって敬意を払われるのは、おとなしく従順で、既存の秩序を受け入れ、そのなかで生きていくことを引き受けた女性だけです。」(『白い拷問』より)
星:「宗教とは関係なくイランの家父長制が女性を縛っているということを、マルジエさんは見破っているんですよね。訳しながら彼女の文章に感情移入していき、イラン女性の人権の問題はイランだけの問題じゃないと強く感じるようになりました」
男女の賃金格差も人権問題
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 浜田敬子(以下、浜田):「イランやアフガニスタンの女性たちはかわいそうだねと日本の女性たちは思うかもしれませんが、2024年の日本のジェンダーギャップ指数順位は、146カ国中118位。政治分野は113位。イランは143位と最下位レベルですが、日本の順位だって誇れるものではありません。G7でもOECD諸国で見ても、圧倒的に低い。この10年世界の国々がジェンダー平等に向けて努力しているのに、日本は遅々として進んでいません。
 たとえば大企業において男性の賃金を100とした場合に女性は50以下だというのは、これ人権問題なんですよ。先日、素材大手のAGC(旧旭硝子)の子会社で男性が大半を占める総合職だけに社宅制度を認めているのは男女雇用機会均等法の趣旨に照らして『間接差別』だと初めて認定した判決が確定したのですが、これも人権問題です。
 日本の企業の方と話すと、ビジネスと人権問題はサプライチェーンにおける児童労働と強制労働の問題だと言われることがあるんですが、それだけではありません。。もちろん、それも含まれますが、男女格差、正規雇用と非正規雇用の待遇の違い、外国人労働者の問題などビジネスに関わるこれらすべて人権問題なんです。日本は人権意識が希薄なので、目の前にあることと人権問題が結びついていないんですよ」
 安藤優子(以下、安藤):「本当にその通り! 人権は何か特別な権利でもなんでもなくて、私たちが普通に差別されないで生きていく自由を保障する権利。なのに日本の社会では、自分たちの生活と人権問題との間の乖離が独特に大きいと感じます。男性にだけ保障される権利なんてあるわけない。女性が規制されるなら男性も規制される。男性らしく、女性らしくというのは表裏一体で、女性が型にはめられればその裏側で男性もまた型にはめられるんですね。なのに人権意識が希薄なせいでそこに気づきがない」
浜田:「問題なのは人権意識の希薄さだけではありません。日本の女性がさまざまな差別を人権問題としてとらえて声をあげても即逮捕されることはないけれど、同調圧力や社会規範のようなものを基準にして自重せよといった圧力があります。ネット上にはミソジニー(女性や女性らしさに対する嫌悪や蔑視のこと)の空間があって声を上げると誹謗中傷にさらされもします。日本では、お上がやらなくても社会が制裁しようとするんですよね。声をあげると刑務所には入らないまでも、傷つく状況があります」
必要なのは連帯の輪
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 『白い拷問』のなかで、市民活動化のアテナ・ダエミは「独房監禁についてどう思いますか?」という質問に次のように答えている。
「独房は、缶詰のようなものです。中から開けることは絶対に不可能で、重圧、孤立、不安がその缶をつぶさんばかりに叩きつけてくるのです。」
 安藤:「独房での描写のなかで強く印象に残っているのが、『缶詰』という表現です。独房は何の音もせず臭ってくるのはトイレの悪臭だけ。蟻などの生き物がいないかくまなく探し、見つけるとあとを追いかけ、何時間も蟻に話しかけ、昼食が出たときにはパンを床にまいて呼び寄せようとしたと書かれています。ハエが来たときは大喜びして、ドアが開くときに逃げられないように気をつけたと証言している人もいました。そんなかそけき生き物にもすがるほどの絶望的な孤独は、日本では想像しづらいかもしれませんが、『缶詰』のなかで感じる重圧、孤立、不安は今の日本にも通じるものがある気がしています。
 『白い拷問』の女性たちはそれぞれに、ものすごい痛みを経験し傷を負って後遺症に苦しんでいるけれど、そこには連帯の輪があります。言葉がおかしいかもしれませんが、うらやましくなりました。私たちは日本で、恵まれた環境のなかで女性問題を解決しようとしているけれど、いざ声をあげて傷を負った人に対して多くの人が『ほらみろ、缶詰の天井を破ろうとなんてするから傷を負うんだよ』と言うでしょう。一部の人は『よくやってくれた』と言うかもしれませんが、傷ついた様子を見て後に続こうという人はいない。一度は声を上げた人ももう一度チャレンジしようという気にはならないと思うんです。そんな状況から見るととても失礼な言い方かもしれませんが、どん底で問題を解決しようと連帯の輪ができているイランの女性の強さに、希望の光を感じます」
男性優位主義は男性も女性も幸せにしない
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 星:「本のなかでマルジエさんは、『男性優位の社会で、そしてその結果として構築されたヒエラルキーのなかで、男性は優位性を求めます。そしてひとたびヒエラルキーからこぼれ落ちると、権威が揺らいで失墜してしまうため、打たれ弱いのです。傷つきやすく、か弱い存在に転落します』と言っています」
 浜田:「今のイランの政権もそうだと思うのですが、日本も同様にマチズモ(男性優位主義)のようなもので支配されているんです。じゃあそれで、権力者ではない一般の男性すべてハッピーかというとそうではなくて彼らも苦しいんですよ。社会のシステムも意識も変えていく必要があると思うのですが、ここを変えるのはなかなか難しいんですよね」
安藤:「本当にそう! 意識を変えることとシステムを変えることは、卵が先か鶏が先かというくらい分けて考えられないことですよね。システムを改革しても意識が追いついていなければ結局、絵に描いた餅だしね。反対に意識が改善されてもシステムがそのままならうまく機能しません。どちらも一緒にやっていかなくちゃいけないのに、遅々とした状態ながらも制度改革は進んでいますが、全然追いついていないのは意識だと私は思います。
『おい! お茶くれ! 』なんていう男性からの発言など日々、ちょっとしたことで私たちは傷ついたりしますよね。でも『ありがとう』のひとことがその傷を癒したり。日々のコミュニケーションのなかで意識改革が進むと私は信じていて、ものすごいエンジン付きの何かで一気に改革が進むということはないと思っているんです。人によっては何百回同じことを言わなければならないの! と思うかもしれないけれど、エネルギーを絶やさず言い続けることでちょっとずつ、ちょっとずつ変わっていくと信じています」
 構成・文/中原美絵子
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白い拷問 自由のために闘うイラン女性の記録 単行本ハードカバー – 2024年4月24日
ナルゲス ・モハンマディ(著),星薫子(翻訳)
●禁断の書籍を緊急出版!
私はいま、家を去る最後の瞬間にこの文章を書きました。(中略)今回の逮捕は、いまあなたが手にしている本――『白い拷問』す。(「はじめに」より) 2023年に獄中でノーベル
平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディの手記と、ナルゲスによる13人の女性受刑者へのインタビューをまとめた衝撃のノンフィクション。
●推薦の言葉および海外での反響
安藤優子――全人格を奪う「白い拷問」。その実態を告発したナルゲさんと証言者たち。彼女が闘っているのは、この地球上の人権を踏みにじられているすべての人々のためのものだ。・浜田優子――「人間性
」を傷つける暴力も言葉も必要ない。昼夜も極小の独り言で孤独状態になること、心が痛むのかと戦慄する。それでも影響を受けているはこの「白い拷問」をで生き抜こうとする。強い意思を持ち続けること、イラン社会の家父長的な体制を変えていく一歩になって信頼して。
ニューヨーク・タイムズ絶賛。世界16か国で緊急出版予定。
●白い拷問とは?
イランのエヴィーン刑務所は、悪臭と恐怖に満ちた悪名高い場所。そこでは、看守による自白の強要、鞭打ち、性的虐待、家族への脅迫、そして「白い拷問」だ。照明を操作した独房で昼夜の感覚を奪い、睡眠パターンを妨げ、時に目隠しをし、身体との接触をすべて奪うことで、囚人の身体と精神をむ非人道的な拷問である。
●突然の逮捕と奪われた日常
「女性にも権利を保障する、好きなことを言い、好きな服を着たい!」
自由を求める思いを表すだけで、服装が不適切というだけで、思想犯・政治犯として逮捕されてしまうイラン。ヒジャブ着用が不適切だと拘束されたのち死亡したマフサ・アミニ氏問題巡り、国連調査委員会は「違法でありイラン政府に責任がある」と発表している。本書に登場する
女性も一方的な容疑をかけられ、拘束されている。幼いわが子を道端に置き去りにするかで逮捕・投獄された女性までいる。
著者ナルゲス自身、夫は政治命し、10代になった双子の子どもたちも父のもとで暮らし、孤独な闘いを強いられている。13回逮捕され、5回の有罪判決を受け、31回の禁固刑と154回の鞭打ち刑を言い渡されても、ナルゲスが闘いをあきらめない理由は、女性の権利と暴力や死刑の廃止を求める信念に他ならない。