逆転有罪は避けたい…裁判官の独立は“幻想”か 半世紀にわたり袴田巖さんを獄中につないできたもの【現場から、】(2024年6月13日『静岡放送(SBS)』)

いわゆる「袴田事件」に携わった元裁判官・熊本典道さん(2020年死去)。引退後、袴田巖さん(88)について「無罪だと思った」と打ち明けています。2024年6月で発生から58年となる「袴田事件」。実際に関わった裁判官が無罪の可能性を感じながら、半世紀近くも袴田さんを獄中につないできたものとはなんだったのでしょうか。
いまから58年前、1966年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人事件で死刑が確定したものの、裁判のやり直しが認められた袴田巖さん。判決は2024年9月26日に予定されています。
<袴田さんの姉・ひで子さん(91)>
「裁判だからどうなるか。それでも死刑にはしないでしょう」
過去の事例から袴田さんにも、無罪判決が下される公算が大きいとみられています。
<元静岡地方裁判所裁判官 熊本典道さん>
「こんな所で私の声を聞いてもらえるとは思えなかった」
58年にわたる袴田さんの裁判の“歴史”の中で、おそらく“最初”に「無罪」を唱えた裁判官・熊本典道さんです。1968年、一審・静岡地裁の3人の裁判官の一人だった熊本さんは、死刑判決からおよそ40年後、「自分は無罪を支持した」と告白します。
<元静岡地方裁判所裁判官 熊本典道さん>
「『あれは絶対、ぼくはこう(無罪だと)思いますよ』と(裁判長に)かなり説得を試みました。だけど、最後結論として、裁判長が無罪に踏み切れなかったんですよね」
さらに、1980年代に袴田さんの再審請求の審理に裁判官として携わった熊田俊博さんも。
<元静岡地方裁判所裁判官 熊田俊博さん>
「みそ樽の中から、血染めの着衣が発見されたと。しかも発見された時期が袴田氏が拘留されてから1年も経った後に出てきて、これが有罪の大きな決め手となっていた。そのあたりがなんかおかしいなという感じがしました」
日本の刑事事件において、検察が起訴しながら、裁判所が無罪判決を下す確率は、0.1%です。他の先進国と比べると、日本では裁判所が無罪判決を下すことが少ないとわかります。
過去30件以上の無罪判決を確定させ、映画やドラマのモデルにもなった元裁判官の木谷明さんに聞きました。なぜ、日本では無罪判決が少ないのでしょうか。
<元東京高等裁判所裁判長 木谷明さん>
「無罪判決をすると検察官が必ず控訴しますから、控訴されないような判決を書くというとね、有罪判決になっちゃうんですよ、なりやすい」
木谷さんによりますと、無罪判決を下すと、ほとんどの場合、検察が控訴を選択します。控訴審で一転、有罪判決が下されるような事態は避けたい、これが多くの裁判官が抱く思いだといいます。
<元東京高等裁判所裁判長 木谷明さん>
上級審で取り消される判決、決定をすると、それは人事考課上不利に働くと考えられますよ。あの人は間違った裁判をしているんじゃないかというふうに見られちゃうんですね」
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」
日本国憲法では裁判官が従うべきは、憲法と法、そして自身の良心だけと定めています。
元裁判官で書籍などを通じて、裁判官の「官僚的な側面」を問題視してきた瀬木比呂志教授です。
明治大学 瀬木比呂志教授>
「裁判官の出世システムがあること自体が非常に問題です。裁判官はキャリアの出世の階段と異動ということで、当然、人事について最高裁を意識しますからね。それはいけないと言っても、残念ながら人間だから影響を受けることは避けにくいですよね」
出世や全国各地にある裁判所への転勤など裁判官の人事権は、最高裁判所が持ちます。裁判官には自分の下す判決が最高裁の方針とズレていないかなど、裁判官が顔色を伺うようことが現実としてあると瀬木教授は話します。
明治大学 瀬木比呂志教授>
「江戸時代に『大岡裁き』幻想を人々は非常に持っていた。それは、いまでも残っているんですよ」
大岡越前、遠山の金さん、日本人は「裁判官は超越的な人間で、最後は必ず真実にたどり着くはず」という幻想があると指摘します。
厳しい取り調べの末、犯行を自白した袴田さんにとって、裁判所は最後の砦でした。袴田さんは手紙でこうつづっています。
「私は裁判所には無罪がわかっていただけると信じています。我、負くることなし」
瀬木教授は最高裁判所ではなく、市民が司法試験を合格した法律家の中から裁判官を選ぶ「法曹一元制度」の導入を提唱しています。これにより、裁判官は出世意識から解放され、「真の独立」が達成されると訴えます。