改革を装いながら、不透明なカネを温存させようという思惑があからさまだ。
中でも問題なのが、政党から政治家個人に支出され、使途の公開義務がない政策活動費だ。10年後に領収書を公開する仕組みを維新が提案し、自民が受け入れた。
交渉過程で露呈したのは、何とか「抜け道」を残そうとする自民のよこしまな姿勢だ。合意後に示した法案では公開対象に「50万円超」の条件を付け、骨抜きを図ろうとした。維新の反発を受け、土壇場での修正に追い込まれた。
実効性を持たせるための仕組み作りも先送りされた。政策活動費には年間の上限額を設けるが、岸田文雄首相は国会で「具体的な数字は確定していない」と語った。
公開のあり方などの制度設計も、法律の付則に「早期に検討」と記されただけだ。これでは公開開始がずれ込みかねない。政治資金を監査する第三者機関の設置時期も明示されていない。
そもそも、なぜ10年間公開しないのか。国民が納得できる説明はなかった。公開によって不正が発覚しても、時効が成立している可能性が高い。領収書が「黒塗り」となるのではないかと野党から追及され、自民は否定しなかった。
政治資金の透明化を徹底するのであれば、政策活動費を廃止すれば済む話だ。
野党各党が求めた企業・団体献金の全面禁止について、自民は「ゼロ回答」に終始した。カネの力で政策がゆがめられないよう、不正の温床を絶つべきだ。
金権政治から脱却する一方で、必要な資金をいかに公正に手当てするか。政治資金のあるべき姿についての議論は手付かずだ。
改革の名に値しない現在の内容のまま成立させるべきではない。参院で審議を尽くし、根本的に修正することが必要だ。
▲家財をなげうって国政に奔走した「井戸塀政治家」の究極の姿だろう。資産家しか政治家になれなかった時代の美徳とされてきたが、政治が家業のような世襲政治家が増えた今、明治の偉人の清廉さが際立つ
▲政治にコストがかかるのは世界共通でも問題は透明性である。「井戸塀」しか残らなければ、蓄財がないことは明白だ。しかし、現在の政治資金には入りも出も不透明さがつきまとう
▲「裏金」に端を発した政治資金規正法改正案が衆院を通過した。これまでの論議からは、何とか抜け穴を残そうとしている印象がぬぐえない。今の技術なら電子決済を義務づけ、政治資金の出入り全てを「見える化」することも可能だろうに
▲100年前の今日、第2次護憲運動で批判され、解散総選挙で敗れた貴族院中心の清浦奎吾(きようら・けいご)内閣が総辞職した。後継の加藤高明内閣は第1党の党首が首相になる「憲政の常道」の先例になった。「長い間の梅雨がようよう晴れて、かすかながらも日光を望むを得たのと同じような快い感じがする」。憲法学者の美濃部達吉(みのべ・たつきち)は大正デモクシーの成果を喜こんだんだ
▲岸田文雄首相は今のところ解散を考えていないそうだ。梅雨入りが平年よりも遅れているが、政治の「梅雨」はかなり長引きそうで少々うっとうしい。
規正法成立へ カネに頼らぬ政治への転機に(2024年6月7日『読売新聞』-「社説」)
政治資金の改革は不十分な点が多いとはいえ、決めた以上、必ず実行しなければならない。
ただ、実際に行うとなれば、当然、これまでのような資金集めやカネの使い方は難しくなる。今回の改革を、カネに頼った政治活動を改める転機とすべきだ。その覚悟と具体策を、与野党は示す必要がある。
自民党の派閥の政治資金パーティーを巡り、収支報告書への多額の不記載が判明してから、半年が経過した。この間、政治への信頼は大きく失墜した。与野党は、今回の法改正を政治不信の 払ふっ 拭しょく につなげることが重要だ。
改正案では、パーティー券の購入者の公開基準額を現行の「20万円超」から「5万円超」に引き下げた。資金の出所を把握しやすくするためだが、これにより、名前の公表を避けようと企業や支持者が購入を減らす可能性がある。
また、党から議員に支給されている政策活動費についても、一定の公開に踏み込んだ。政策活動費を受け取った議員が「組織活動」「選挙関係」など大くくりながら、毎年の収支報告書に記載することを義務とした。
政策活動費は自民党の場合、幹事長らが重点選挙区のてこ入れのための資金として使ったり、公表したくない要人との会食費に充てたりしていた。
様々な規制を設けたことは良いとして、大切なのは改革を着実に実現することだ。
現状でも資金集めに窮し、自民党の安倍派は「裏金」を作っていた。岸田首相も大臣規範を軽視し、勉強会と称した会合を繰り返し開き、資金を集めていた。
今後はそうはいかない。パーティー券の販売による資金集めは制約を受けることになり、政策活動費の透明性も要求される。
また、所属議員に餅代、氷代などを配っていた派閥は解消され、あてにできなくなる。
そもそも派閥の規正法違反事件は、派閥や議員が収支報告書に資金のやりとりを記載してさえいれば、起こらなかった。国民に範を示すべき国会議員が、基礎的なルールを守っていなかったことにあきれた人は多いはずだ。
与野党は、カネのかからない、新たな政党としての行動様式を提示することが不可欠だ。
「貝合わせ」という遊びが生まれたのは平安時代の末だった。たくさんの貝殻を左と右に分け、正しい一対を多く選んだ人が勝ちとなる。日本国語大辞典によれば、一度に360個のハマグリが使われる壮大な娯楽だったらしい。
▼貝の内側には左右同じ趣向の絵や和歌の上の句と下の句を分けて書き、目印にしたとか。左右が合わない状態を「ぐりはま」と呼んだ。さて現代、永田町の人々にとっては耳が痛い言葉だろう。与野党間はおろか、与党内でも続いた政治資金規正法改正案の「ぐりはま」である。
▼「10万円超」とする自民党内の声を制し、公明党の「5万円超」に合わせたパーティー券購入者の公開基準額。日本維新の会に迫られて、領収書などを10年後に公開する案をのんだ政策活動費の扱い。衆院特別委員会が流れる異例の混乱もあった。
▼岸田文雄首相が収拾のために自ら奔走せざるを得なかったことが、自民党の厳しい内情を物語っている。国際情勢が緊迫の度を高める中、政治不信を拭うための議論でもたついたのは、何とも嘆かわしい。さりとて今国会での法案成立は不可欠だ。
▼改正案はきのう、衆院を通過した。自ら率先して行うつもりもない「政治資金パーティーの禁止」を掲げた立憲民主党は笑止だが、外国人や外国法人によるパーティー券購入の禁止は検討事項にとどまっている。国益に関わり、対処は急を要する。参院で議論を尽くしてほしい。
▼誰が何のために始め、何に金が使われたか。根本的な疑問に政治が答えたとは言い難い。ともあれ抜け道を許す規正法の運用は困る。制度を正すも歪(ゆが)めるも政治家にかかっている。「歪み」と書いた。「不」と「正」の貝合わせはこれで最後にしてもらわねば。
自民党派閥の裏金事件を受けた政治資金規正法改正案が、自民、公明、日本維新の会3党の賛成多数で衆院を通過した=写真。野党が求めていた企業・団体献金の禁止は盛り込まれず、政治資金の透明化には程遠い内容。改革の先送りと批判されて当然だ。
規正法改正案のうち、本則で規定され、施行日に直ちに効力を発するのは、政治資金パーティー券購入者名の公開基準額を現行の20万円超から5万円超に引き下げることなどにとどまる。
一方、政策活動費の10年後の領収書公開▽同法違反で所属議員が起訴された場合の政党交付金減額▽政治資金を監査する第三者機関の設置▽議員による政党支部への寄付の税控除対象からの除外-など7項目は付則に定められた。
いずれも法施行後に「必要な措置が講ぜられる」などとされ「検討」の表現も頻出する。
岸田文雄首相は衆院政治改革特別委員会で、政策活動費の公開方法を巡り「改正法が成立した暁に各党会派で検討が行われる」と答弁した。領収書が黒塗りで公開される可能性があり、第三者機関設置の時期も明示していない。
これらは実際に立法措置が講じられなければ、画餅に帰する。
30年前の「平成の政治改革」では規正法の付則に、政党への企業・団体献金の5年後の見直しが明記されたが、結局、実現に至らなかった。自民党は今回も、時間がたてば国民の怒りは鎮まると高をくくっているのではないか。
公明、維新両党は、自民党が形ばかりの法改正で裏金事件の幕引きを図ることに手を貸したとの非難を免れまい。自民党が維新との調整を巡る不手際で、一度決まった審議日程を白紙に戻す失態もあった。実務者間で十分に調整せず党首会談で合意を急ぐ手法が、政権の機能不全を象徴している。
改正案は7日に参院で審議入りするが、成立を急がず、企業・団体献金の禁止も含めて実効性ある改革とするために議論を尽くすべきだ。岸田政権が改正案をこのまま成立させ、抜本改革だと胸を張るなら、衆院解散・総選挙で国民に判断を仰ぐよう重ねて求める。
十年一昔。10年たてばもう昔と考える人がいるほど、その歳月…(2024年6月7日『東京新聞』-「筆洗」)
十年一昔。10年たてばもう昔と考える人がいるほど、その歳月は長い。竹下登元首相が若い時、いつか首相になりたいと宴席で「10年たったら」と戯(ざ)れ歌を歌った話は知られる
▼<講和の条約 吉田で暮れて 日ソ協定 鳩山さんで 今じゃ佐藤で 沖縄返還 10年たったら 竹下さん トコズンドコ ズンドコ>
▼政治とカネの問題を巡る政治資金規正法の改正で、修正を重ねた自民党案が衆院を通過した。政策活動費の使途の領収書は10年後に公開するらしいが、なぜ10年後なのか。法に違反した時の公訴時効は5年だから領収書で不正が分かっても罰せられないという野党の批判はもっともと思える。細則未定で10年後公開の領収書が黒塗りだらけの恐れもある
▼守るべきプライバシーもあろうが、速やかに多くの情報を公開してこそ信は得られる。政治資金パーティーの券購入者名の公開基準額引き下げなど自民は努力した気かもしれぬが、企業・団体献金は温存。自民は変わったとまでは評せまい
▼十年一日は、長い間少しも変わらないことをいう。同じやり方を辛抱強く守るなど肯定的な意味でも使うが、世の中、変化してこそ永らえる場合もある。