29日、最高裁に姿を見せたのは北三郎さん(仮名)(81)。
北三郎さん(仮名)(81)
「一言でも、国に謝ってもらえれば」
15人の裁判官を前に、思いを伝える日を迎えました。
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北三郎さん(仮名)(2018年:提訴前の会見)
「なぜこんな手術を、されなくてはならないのか。自分の人生を返してください」
6年前は顔を明かさずに会見に臨んだ北さん。国を訴えることを決めた、その理由は─。
1948年に施行された「優生保護法」。不良な子孫の出生を防止するため、障害者などに対し、強制的に不妊手術することを認めた法律で、1996年に法改正されるまで、約2万5000人が手術を受けたといわれています。
北さんは、この優生保護法のもと、14歳のとき、説明もないまま手術を受けさせられました。
「自分は人としての価値がないのか」
一人悩み、苦しんできた人生を返してほしい。その一心で、国に賠償を求めた裁判でしたが─。
1審は敗訴。賠償の請求権が20年でなくなる「除斥期間」を理由に、北さんの訴える権利は消滅しているとされました。
2審の東京高裁は一転、「除斥期間の適用は正義に反する」として、北さんが勝訴しましたが、国が上告したため、舞台は最高裁へ。
北さんは原告の代表として、意見陳述をすることになりました。今月10日、弁護士事務所で…
北三郎さん(仮名)(81)
「原稿書いてきたんだけども…」
北さんが伝えたい言葉、それは─
弁護士
「『幸せを持って帰りたいと思います』。すてき。持って帰りたいね」
北三郎さん(仮名)(81)
「幸せな気分を生きているときに、何日生きられるかわからないけど、できるだけこの裁判に勝って、幸せを持って帰りたい」
最愛の妻にも、亡くなる直前まで手術について打ち明けられなかったことを、ずっと悔いている北さん。“幸せな判決”は、まず妻に伝えたいと話します。
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そして迎えた29日の弁論。
北三郎さん(仮名)(81)
「裁判官の皆さん、私たち被害者の苦しみと、正面から向き合ってください。そしてどうか、被害者みんなの人生を救う判決を書いてください」
「判決の日が、私の人生の折り返し地点だと思っております。幸せを持って帰りたいと思います」
一方、国側は、原告らの訴える権利は「除斥期間」の経過により消滅していると主張しました。
全国各地で提訴した原告の多くが、いまだ差別などを恐れて顔や実名を隠して闘っている裁判。