大学の学費に関する社説・コラムを(2024年5月24日)

大学は公正で柔軟な学費体系の構築を(2024年5月24日『日本経済新聞』-「社説」)
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東京大は授業料の値上げを検討している
 国立大学の学費値上げを巡る議論が活発になってきた。18歳人口の急減や人材ニーズの変化、研究の国際競争力低下などで大学経営はいま大きな曲がり角にある。国力を維持するうえでも大学教育の質向上を支えるコスト分担の望ましいあり方を探り、公正で柔軟な学費体系の構築につなげたい。
 議論の発端となったのは伊藤公平・慶応義塾長の発言だ。委員を務める中央教育審議会の部会で国立大の学費を年150万円程度に上げるよう求めた。
 自民党の教育・人材力強化調査会も今月まとめた提言に国立大授業料の適正化を盛り込んだ。個別大学では東京大が授業料の引き上げを検討している。いずれも重要な問題提起だが、問われているのは大学そのものの役割である。
 戦後日本の高等教育は私立大がけん引する形で量的拡大を続けてきた。その一方、特に文系分野で教育の質向上が後回しにされた。それが少子化で初めて縮小局面を迎える。ここで一人ひとりを着実に伸ばすきめ細かな教育に転換しないと国力の維持も難しくなる。
 授業の少人数化、優秀な教員の採用といった改革を進め、先端技術の発展にも対応した教育研究環境を整えるには一定のコストがかかる。他方で教育を効率化する手段も登場している。共有が容易なオンライン授業の普及や、最近設けられた大学間で教員をシェアしやすくする制度がその例だ。
 学び直しを志す社会人の受け入れを増やすには1年や半年単位ではなく、受講したい科目ごとに授業料を支払う方がよい。学生本位の柔軟性が学費に求められる。
 公正さも大事だ。大学進学率は家庭所得との相関が強く、進学格差の解消が課題だ。大学教育の恩恵は人的資本の蓄積を通じて社会全体に及ぶ点を視野に入れ、公費と家計のコスト分担を考えたい。主に低所得層の学生に給付型奨学金を支給する修学支援新制度は一層の拡充を検討すべきだろう。
 国立大の授業料は国が標準額を定め、大学の判断で1.2倍まで値上げできる。標準額は年約54万円で過去19年間、変更がない。物価や賃金の上昇も踏まえた引き上げは選択肢の一つだ。その際は丁寧な説明が求められる。
 既に留学生向けの授業料は4月から自由化されている。資質や能力に応じて弾力的な授業料を設定し、国立大の収入拡大と優秀な頭脳の受け入れを図るべきだ。
 
国立大の学費 教育内容の質向上が先だ(2024年5月24日『産経新聞』-「主張」)
 
 国立大の学費(授業料)を3倍の「年150万円」に上げるべきだという伊藤公平・慶応義塾長の提言が論議を呼んでいる。
 高等教育の充実には金がかかると訴えたいのだろうが、私大をはじめ現行でも高額である。そのことをおいて大幅値上げを求めるのは、社会の要請と隔たりがある。
 伊藤氏は3月、高等教育の将来像を検討する中教審の特別部会に委員として出席し、国立大の授業料を現行標準額53万5800円から150万円程度に上げることを提案した。
 高度な大学教育を行うには学生1人当たり300万円は必要と試算しており、受益者負担の原則から国立大の学生も払える家庭には払ってもらい、大学の収入増を図り、教育の充実につなげるという考え方である。
 現在、私大の授業料平均は約95万円だ。慶応大は全学部生の平均で140万円に上るという。国立はこの20年ほど授業料を据え置き、差が広がっている。伊藤氏は国私の学費差をなくした競争環境で教育の質を上げることを期待している。
部会では少子化を踏まえた高等教育の在り方に関し議論しており、伊藤氏は国立大が150万円程度に引き上げた場合、「私大は公平な土壌で経営努力に取り組むことができる」と唱えた。
 科学技術の進展に伴い理系の実験設備など高度化に経費がかかる面はある。だが家計負担を減らそうと、努力して国立を目指す学生もいる。
 国立を含め大学の学費は高騰してきた。平成元年度に国立は約34万円、私大の平均は約57万円だ。遡(さかのぼ)れば昭和50年度は国立は3万6千円、私立は約18万円だった。入学金も値上がりしている。
 現状でも貸与型の奨学金を卒業後に返済できない問題が起きている。給付型奨学金を増やすにしても限界があろう。
 大学の数が多すぎる問題も忘れてはならない。私学には政府から多額の助成金が投じられている。高い学費に見合った大学教育が行われているのか、見直すのが先だ。
 かつて難関私大で旧態依然の講義をする教授らを揶揄(やゆ)して「学生一流、教授は三流」と言われた。学費は一流でも教育は三流と言われぬよう象牙の塔の意識から変わるべきである。