本土復帰の日に関する社説・コラム(2024年5月15日)
沖縄県はきょう1972(昭和47)年5月15日の本土復帰から52年を迎えます。在日米軍専用施設の70%が今なお県内に残り、基地新設も強行されています。自衛隊増強も続きます。県民が望む「基地のない平和の島」はいつになったら実現するのでしょうか。
太平洋戦争末期、沖縄は県民の4分の1が亡くなった地上戦の戦場となりました。52(同27)年、日本の独立回復後も本土と切り離され、米軍による占領と苛烈な軍政統治が続きました。
「現実を見れば、琉球やいかなる地域でも、自治は不可能だ。日本との平和条約第3条に基づく米国民政府下に置かれている。現時点では自治は神話であり、あなたたち琉球人がもう一度、独立国家を望むという自由意志を決めない限り、存在しない」
◆顧みられぬ県民の思い
しかし、米軍基地を巡る厳しい状況は続き、近年では自衛隊の増強や基地建設も進んでいます。
復帰当時、本土と沖縄県の在日米軍施設の比率は4対6でしたが今では3対7に広がっています。本土では住民の反対などで米軍施設の閉鎖、日本側への返還が行われたのに対し、沖縄では遅々として進んでいないからです。
同じ県内移設では基地負担の抜本的な軽減にはならない、貴重な自然を壊すことになる、そもそも軟弱地盤で建設は困難…。県民が国政や自治体の選挙で何度も辺野古反対の民意を示しても、政府は辺野古が「唯一の解決策」として聞く耳を持とうとしません。
「選挙で負託を受けた知事の権限を一方的に奪うことは多くの県民の民意を踏みにじり、憲法で定められた地方自治の本旨をないがしろにするものだ」「国の判断だけが正当と認められ、地方自治を否定する先例となりかねない」
◆犠牲強いる構図は今も
外交や安全保障が国の仕事でも地域の理解を欠いては成り立ちません。地方自治法改正の動きに表れたように、政府の根底にある中央集権思想が極まれば、かつて本土決戦に備えて沖縄に犠牲を強いた構図が今によみがえります。
沖縄では今、米軍基地に起因する爆音や環境被害、米兵らによる事故、事件などの被害に加え、米軍や自衛隊の基地が攻撃対象となり再び戦場になるのでは、との懸念が高まっています。
沖縄を再び戦場としないためにも、沖縄の自治を神話から実話に転換することが必須です。沖縄県民の思いを政府や国民のすべてが誠実に受け止め、過重な基地負担を軽減する。軍事力でなく外交の力で緊張を緩和する。その必要性を重ねて胸に刻む復帰の日です。
施政権返還52年 「復帰の誓い」再確認の日に(2024年5月15日『琉球新報』-「社説」)
沖縄はきょう1972年の施政権返還(日本復帰)から52年の日を迎えた。
米統治から日本の施政権下に移った日から今日までの沖縄の歩みは決して平たんなものではなかった。
県経済は成長を重ねてきたが県民所得は全国平均の7割程度にとどまっている。コロナ禍と物価高騰の中で低所得者層を取り巻く環境は厳しさを増している。「子どもの貧困」問題は未解決のままだ。
沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興の諸施策は(1)27年間、米統治に置かれた歴史的事情(2)米軍専用施設・区域が集中する社会的事情(3)日本本土から離れ、広大な海域に島が点在する地理的事情―という特殊事情に対処するものである。
沖縄振興の諸施策によって、着実に県民生活の水準の向上が図られてきたが、特殊事情の克服が十分になされたとは言えない。第3次産業に偏重した経済構造の脆弱(ぜいじゃく)性が指摘されている。米統治の間、子育てなどの施策が本土に立ち遅れた。米軍基地集中は変わらないどころか、基地機能の強化が進んでいる。
これらの課題と向き合いながら県民は「平和で豊かな沖縄」を目指して歩んできた。それは今後も変わらない。
「防衛・外交は国の専権事項」という紋切り型の国の姿勢に異議を申し立て、日米同盟のくびきから脱するための模索が続くであろう。県が進める沖縄独自の地域外交は東アジアの緊張緩和を促すため有効な手段となり得る。
私たちは現在、「新たな戦前」とも呼ぶべき困難な状況に直面していることを自覚する必要がある。先島で続く自衛隊増強、中国を念頭に置いた民間空港・港湾施設の整備など沖縄の軍事拠点化に歯止めをかける必要がある。そのバックボーンとなるのは沖縄の歴史的経験だ。
うるま市石川の陸上自衛隊訓練場を断念に追い込んだ党派を超えた反対運動は、1959年の宮森小ジェット機墜落事故の悲劇を繰り返してはならないという決意を踏まえたものだ。私たちは今一度、沖縄戦体験と戦後史、そして復帰後の歩みに学びたい。
仲宗根氏はこの日の日記に「今日を期して、沖縄は基地の島から平和への島へとはっきり転換しなければならない。十数万の同胞を失った県民が、戦争体験の上に立ってはっきりと平和への誓いをかたくする日でなければならない」と記している。
県民の誓いは今も不変であることを再確認したい。
復帰52年の沖縄振興 本来の目的に立ち返れ(2024年5月15日『沖縄タイムス』-「社説」)
沖縄はきょう復帰から52年となる。半世紀を経て基地はなお広大に広がり、米軍が自由に使い続けている。同時に「台湾有事」が喧伝(けんでん)されて、自衛隊の配備も強化。基地の加重負担が増している。
足元の暮らしを見ると、1人当たりの県民所得はいまだ全国最低水準である。沖縄の自立経済の確立は道半ばだ。
苛烈を極めた沖縄戦と四半世紀に及ぶ米軍統治、集中する米軍基地の存在など、沖縄振興は沖縄の特殊性を踏まえた国の責務とされる。1972年の復帰を機に「本土との格差是正」を目指して始まり、10年ごとに更新されてきた。2002年の第4次計画からは「民間主導の自立型経済の構築」を目的とし、12年の第5次計画からは県が策定の主体になった。22年度までに約14兆4千億円が投じられた。
沖縄の自主性を尊重しつつ、自立的発展や豊かな住民生活への寄与を目指しているとされるが、安倍晋三政権以降は基地とのリンクがあからさまだ。
沖縄関係予算は、名護市辺野古沖の埋め立てを承認した仲井真弘多県政時代、3794億円が概算要求されたのをピークに、新基地建設に反対する翁長雄志前知事や玉城デニー知事の下で減り続け、近年は2600億円台にとどまっている。
使途の自由度が高く、県の主体性が発揮できる沖縄振興一括交付金も減額傾向だ。
24年度予算案では10年ぶりに増額されたが、県側の要望にはほど遠い状況となっている。
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一方で増えているのが、県を介さず、国が市町村に予算を直接交付する沖縄振興特定事業推進費だ。基地政策に協力的な市町村に予算を国が融通する制度で、19年度に突如導入され、拡大している。
また総合的な防衛体制の強化に向けた公共インフラ整備を巡っては、政府が那覇空港や石垣港を「特定利用空港・港湾」に位置付け、97億円を沖縄関係予算の社会資本整備費に組み込んだ。
整備した空港や港は、有事の際に自衛隊や海上保安庁が使用することを想定している。防衛利用に対する「見返り」の色が濃く、沖縄振興の本来の趣旨とは異なる。沖縄では、米軍の利用につながる可能性が高く、さらなる軍事負担への懸念が残る。
沖縄振興が「沖縄の自立的発展」「豊かな住民生活の実現」といった本来の目的から逸脱してはいないか。基地を置くことを目的とする「基地化」の一途をたどっている。
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県の試算によると、那覇市の新都心や小禄金城、北谷町の桑江北前の3地区では、基地返還後の跡地開発に伴う直接経済効果の合計が、返還前の28倍の年間2459億円となっているほか、雇用者数は72倍の2万3564人になっている。
沖縄の米軍基地は人口密度の高い本島中南部でも地域を分断する形で広がってる。基地が都市機能や交通体系、土地利用を妨げ、県経済の足かせになっていることは間違いない。過重な基地負担こそが、沖縄の振興を妨げている大きな要因ではないか。