◆不正義を詳報するカウンターマップ
「五輪は普通だったら通らない政策を簡単にやれてしまう力がある。それは東京でもパリでも同じだ」
国際オリンピック委員会(IOC)が定めたオリンピックデーの23日、「フランスの五輪災害」をテーマに開かれたオンライン集会。翻訳家で2007年からフランスで暮らす佐々木夏子さん(47)が現状を訴えた。反五輪団体「Saccage(フランス語で『破壊』の意) 2024」のメンバーだ。
集会は市民団体「反五輪の会」や「さっぽろオリパラを考える市民の会」が主催。佐々木さんらSaccage 2024が五輪で引き起こされた不正義を詳報するカウンターマップを作っており、「反五輪の会」による、その日本語版が初めてお披露目された。
◆「五輪が終わったら選手村に入居したい」かなわず
講師の佐々木さんは「反五輪の会」ホームページで公開されたマップを示し、「ここが1998年のサッカーワールドカップ(W杯)を機に造られたスタッド・ド・フランス(国立競技場)。脱工業化の歴史が始まった象徴とも言える」と切り出す。競技場があるパリ近郊の街、サンドニはそれまで労働者の街だった。「90年代に競技場の建設が始まり、都市の形を変えていった」
1998年のサッカーワールドカップ(W杯)を機に造られたスタッド・ド・フランス=2022年撮影
「広大な不動産開発が行われ、東京と同じように、追い出しも起きた」。ADEF(アディフ)という非営利団体が運営する、経済的に苦しい単身者向けの寮でアフリカから来た移住労働者などが暮らしていたが、「選手村を建設するために224人が立ち退きを命じられた」という。
「『80年代から暮らしている。いきなり出て行けと言われても困る』と数カ月にわたって闘争。『五輪が終わったら選手村に入居したい』などと交渉したが、聞き届けられなかった」
◆五輪後は「高級オフィスやショップ、ホテル」になるのか
パリ五輪の競技会場の一つ。ガラスに映っているのは間近に立つエッフェル塔=2021年、谷悠己撮影
選手村建設ではこのほか、三つの学校や19の企業、一つのホテル、二つの集合住宅が取り壊された。「五輪が終わればジェントリフィケーションの一翼を担い、高級オフィスやショップ、ホテルへと変貌を遂げるだろう」
マップには、札幌などを抑えて2030年冬季五輪開催地に内定した「フレンチアルプス」も。東京や北海道の参加者から招致合戦について問われた佐々木さんは「ヨーロッパは温暖化の影響で雪が降らなくなっている。冬季五輪では地下水をくみ上げて人工雪を作り出すが、環境への負荷が大きい。札幌は雪があるので、冬季五輪が続く限り狙われ続ける」と語った。
◆「学歴が高く富裕層でないと暮らせない」パリ
現在のパリの雰囲気はどうなのか。あらためて尋ねた「こちら特報部」に、佐々木さんが口にしたのは7月7日決選投票の総選挙への懸念だ。「もしファシスト政権が誕生したらどうなるのかと、正直パリ市民は五輪どころではない。開催中にストライキが起きるかもしれない」
パリの凱旋門(資料写真)
「パリに下層階級がいなくなったのは経済構造と密接に関わる。製造業から知識産業に移り、学歴が高く富裕層でないと暮らせない。パリに隣接するサンドニも明らかに住民を入れ替えたがっており、五輪でそのスピードは上がった」と、性急な都市開発による「ジェントリフィケーション」の危うさを語る。7月中旬には「パリと五輪 空転するメガイベントの『レガシー』」(以文社)を出版する。「もっとさまざまな人を包摂する街づくりを考えないと分断を生む。富裕層だけで成り立つ街などないのだから」
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◆東京五輪では野宿者排除や都営アパート解体が
国立競技場建て替えのため、近接する明治公園で寝起きしてきた野宿者が16年に強制的に排除された。17年の都営霞ケ丘アパート解体でも、高齢の住民らが立ち退きを迫られた。
明治公園を追い出された野宿者2人と支援者らは、競技場の設置・運営を担う日本スポーツ振興センター(JSC)や国、都を相手に損害賠償訴訟を起こした。昨年2月の一審判決で原告の請求は退けられ、現在は東京高裁で審理が続く。秋にも結審する見通しだ。
◆「貧乏人や弱い者を人間扱いしていない」
JSCは16年1月に都から競技場建設のために明治公園の一部を貸与された。野宿者らのテント撤去の仮処分を東京地裁が認め、同年4月に強制執行。公園で約6年寝起きしていた原告の60代の女性は、この時に追い出された。
現在は別の場所に住む女性は「すぐに出て行ってくれと言われたが、行くところがなくて怖かった」と振り返る。パリでも野宿者が排除されていることに「ひどいこと。貧乏人や弱い者を人間扱いしていない。五輪は華やかで良いイメージだったが、違った」と話し、こう続けた。「声を上げて五輪のひどさを世の中に訴えていきたい」
原告代理人の山本志都弁護士は「歴史的に都民が守ってきた明治公園周辺の再開発は難しかった。しかし、五輪やラグビーW杯といった巨大イベントを足掛かりに、大規模再開発を推し進められた。そのために一番弱い立場の人たちが追い出された。こういうことを繰り返してはいけない」と話す。
◆1988年ソウルは72万人、2008年北京では150万人とも
巨大なスポーツイベントなどに合わせて開催都市の再開発が進み、地価や家賃の高騰を招いて従来の住民さえも街を追われる。「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象は、これまでも繰り返されてきた。
国際人権団体「居住権・強制退去問題センター」(本部・ジュネーブ、14年解散)が07年6月にまとめた報告書は、1988年のソウル五輪準備のために約72万人が強制移転を迫られ、2008年の北京五輪ではその数が約150万人に上ると推計した(中国政府は否定)。16年のリオデジャネイロ五輪でも、ファベーラと呼ばれる貧民街の住民が強制移転させられた。
静岡大の笹沼弘志教授(憲法)は「五輪など祝祭的なビッグイベントであれば、国民も多少の犠牲には目をつむるだろうという思い込みが推進側にはあるが、思い違いだ」と指摘する。「そんな五輪ならなくした方が良い」
続けるなら時代に合った転換は不可欠と説く。「一つの都市で集中して競技を行うから、都市を再開発して人々の生活基盤を壊す。開催地を分散させて既存施設を活用するなど、より安価な形で、競技者の健康にも配慮した運営が必要だ」(岸本拓也)
◆デスクメモ
コロナ禍の東京五輪は開催1カ月前でも方針未定で、半月前に緊急事態宣言と無観客開催が決定。閉そく感の中、開会式制作メンバーなどの不祥事が最後まで続いた。恐ろしいのは、中止を求める世論が一切顧みられなかったこと。五輪が持つ非民主性を、東京からパリに伝えたい。(本)