「日本は“外国人嫌悪”の国」――バイデン発言は何が妥当で、何が問題だったか(2024年5月4日『Yahooニュース』)

【資料】ホワイトハウスで質問に答えるバイデン大統領(2024.5.2)(写真:ロイター/アフロ)
  • バイデン大統領は日本を「外国人嫌悪の国」と呼び、中国やロシアと同列に扱った。
  • この発言そのものは支持者向けの内輪のもので、移民系市民へのリップサービスを多分に含んだものだった。
  • ただし、日本政府が移民政策に熱心でないこと自体は否定できないが、バイデンがxenophobiaという語を用いたことは無視できない。

移民系市民へのリップサービス

 バイデン大統領は5月1日、ワシントンでの演説で日本を「外国人嫌悪(xenophobic)の国」と呼んだ。

 

 それによると、「なぜ中国経済は失速しているか?なぜ日本はトラブルを抱えているか?ロシアは?インドは?それは彼らが外国人嫌悪の国だからだ。彼らは移民を望んでいない」。

 この発言は大統領選挙に向けての資金集めのため開かれた、アジア・太平洋系のアメリカ市民向けの集会で飛び出した。

 

 今年11月の大統領選挙に向け、バイデンは支持率が伸び切らない状態にある。

 

 だから出席者であるバイデン政権の支持者に向けて「移民受け入れは重要」というリップサービスを盛り込んだものだったことは間違いない。

 

 とはいえ、中国やロシアと同列に扱われることに日本やインドで反感が生まれたことも理解できなくはない。だからホワイトハウスも「日本やインドを非難する意図はない」と釈明し、大統領の発言(おそらく政権スタッフも想定していなかったと思われる)の火消しに努めている。

 ただし、中ロと同列に扱われた部分を一旦置くとすると、バイデンの発言はどこまで正鵠を射たものだったのか?

○「移民受け入れに消極的」

 バイデン発言のうち、「日本が移民受け入れに消極的」という部分は否定の余地がない。

 

 2018年に安倍政権のもとで入管法が改正され、日本はそれまで以上に数多くの外国人労働者を受け入れているが、「しかしそれは“移民政策ではない”」というのが日本政府の公式見解だからだ。

 しかし、国際移住機関(IOM)の定義では、移民とは「本人の(1)法的地位、(2)移動が自発的か非自発的か、(3)移動の理由、(4)滞在期間に関わらず、本来の居住国を離れて、国境を超えた、あるいは一国内で移動している、あるいは移動した、あらゆる人」を指す。これに照らせば、日本の外国人労働者のほとんどは立派な移民だ。

 

 実際、日本政府はやはり2018年、移民の権利保護を定めた国連移住グローバル・コンパクトに署名した。つまり、「日本は“移民”の権利を保障します」と海外に向かって約束したのも同じだ。

 

 ところがその一方で日本政府は、国内向けには「永住権をもって、場合によっては家族同伴で定住する者」という極めて狭い定義で「移民」の言葉を扱い、「外国から労働力を一時的に受け入れているに過ぎない」という極めて内向きの建前を崩さない。

 それはおそらく「日本らしさ」にこだわる保守派に忖度した結果なのだろうが、少なくとも内向きの建前に固執する日本政府の態度が「移民に積極的でない」と言われても仕方はないだろう。公式には「移民政策を考えていない」のだから。

△「移民受け入れが成長の原動力」

 バイデンの主張を圧縮すれば、「アメリカの繁栄は移民を受け入れているからこそ」となる。

 

 移民が経済にとって重要な要素であることは間違いないだろう。それが高度な技能や知識をもつ「ハイテク移民」であろうと、ホスト国の国民がやりたがらない単純作業や肉体労働を担う移民であろうと、日本を含む先進国は彼らがいなければ経済がまわらないところにまできている

 ただし、移民受け入れは経済成長の一つの要素に過ぎない。日本の失速は経済構造全体の問題で、ただ移民を規制緩和すれば解消されるものではないし、少子高齢化も移民が原因ではない。

 また、移民受け入れが成長において決定的なのだとすればアメリカはスランプなく成長し続けてきたはずだが、歴史を振り返れば世界恐慌(1929)、リーマンショック(2008)と大きな変動を生み出した。

 さらに、「移民を受け入れてきた→繁栄してきた」という言い方もできるだろうが、逆に「繁栄している→移民が増えた」という面も無視できない。要するに、移民と成長の因果関係は単線的なものではない

 とすると、移民と成長に一定の相関関係があるとしても、バイデン発言は厳密な裏付けがあるものというより単なる支持者向けの政治的アピールとみた方がいいだろう。

×「外国人嫌悪の国」

 バイデン発言の最大の問題は“xenophobia”という語を不用意に用いたことだ。

 

 このニュースを取り上げた日本メディアでは「排外主義」と翻訳しているところが目についたが、この訳語はやや生ぬるい。

 

 現代世界でxenophobiaという語は、外国人に対する恐怖や警戒を意味するが、単なる恐怖や警戒ではなく憎悪や軽蔑の感情を強く含んだものとして用いられる。

 

 そのためこの語は一般的に、移民排斥を叫ぶ極右政党や、異教徒を敵視するイスラーム過激派など、ヘイト感情を隠しもせず他者を排除しようとする者の形容詞として用いられる。だからうかつに用いれば、相手に向かって「お前は差別主義者だ」と言っているのと同じくらい強い非難の意味になる。

 ちなみにムスリムへの憎悪はislamophobia、ロシアへの憎悪はrussophobia、黒人への嫌悪はnegrophobiaと呼ばれる。

 

 とすると、バイデン発言に関してホワイトハウスは「非難の意図はない」と釈明しているが、言葉の一般的な用法からすれば極めて苦しい答弁だ。

 

 念のためにいっておけば、日本は残念ながら外国人に対してフレンドリーな国とは思えない。閉鎖的でダイバーシティとは縁遠いし、ヘイト規制も弱い。

 

 だが、少なくとも外国人を意図的に排除しようとするエネルギーに関していえば、日本は欧米ほど強くない。実際、外国人を集団で襲撃する、外国施設を攻撃するといった事案は圧倒的に少ない。

 

 もちろん、それは欧米ほど移民を受け入れていないことの裏返しでもある。

 

 とはいえ、バイデンに「差別主義者」と呼ばれるのはやや理不尽だろう。もっとはっきりいえば「大統領、あなたにそこまで言われる筋合いはありません」。

 

 アメリカ国内では死者を出したりインフラ攻撃を計画したりする極右テロが増加しているのに、バイデン政権もトランプ前政権と同じく、保守派への配慮から白人至上主義団体をテロ組織にほとんど指定していない。また、イスラエルハマス戦争をめぐり、「反ユダヤ的」言動を厳しく取り締まる一方、アラブ系に対するヘイト対策にはそれほどの熱意をみせない。

 

 たとえその発言が支持者向けの内輪の席のものであったとしても、自国の基準と異なるものを全てネガティブに表現する態度こそ、むしろxenophobicな態度と言わざるを得ないのである。

博士(国際関係)。横浜市立大学明治学院大学拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。