洞窟の奥にいる囚人たちは、振り返ることもできない状態で縛られています。入り口の方にかがり火が燃えていて、人々を背後から照らしています。
動物などの像が火にかざされると、洞窟の壁に影絵が映ります。囚人たちはその影絵こそ真実だと思っています。
でも、ある1人が束縛を解いて、洞窟の外に出ようとします。光源の存在を知り、やがて太陽の光を浴びることになります。そこで見る世界は洞窟の影絵とは似ても似つきません。
その1人は洞窟の奥に戻り、囚人たちに自分が見た世界を語ります。でも、洞窟の囚人たちは誰もその話を信じようとはしません。何しろ、自分が見ている影絵こそ真実だと思っているのですから。
暴政を見ている10年間
この10年間、私たちは囚人のように洞窟に閉じ込められ、政権が都合よく映し出した影絵を見ているのではないでしょうか。
安倍・菅・岸田と続く政権下では、憲法の解釈も、法律の解釈も、内閣が自由自在に変更してしまいました。戦後積み上げた政府答弁も自分たちの都合のいいように簡単に覆してしまいます。
内閣とは法律を誠実に執行する行政機関で、国会は唯一の立法機関です。法律はときに国民の権利を制約しうるので、国民の代表者である国会だけが立法できると憲法に定めています。
でも、そもそも閣議決定とは閣僚の合意事項で、法律を超える法的拘束力はありません。もし閣議決定に法的効力を認めるとすれば、内閣が勝手に法律をつくるのと同じです。国会はいらなくなります。やはり暴政なのです。
しかし、最近は世論の反応も鈍くなっているのが残念です。14年から15年の安全保障関連法の成立当時は、「憲法違反だ」と多くの国民が怒り、国会前で抗議のデモ=写真、本社ヘリ「あさづる」から=を繰り広げました。
今は政府により既成事実が積み上げられて、無力感が漂っているのでしょうか。抗議の声も鳴りをひそめがちです。
「考える」は戦う精神だ
冒頭の「洞窟の比喩」は、批評家・小林秀雄の「考えるヒント」(文春文庫)にも出てきます。
<彼等(ら)は考えている人間ではない(中略)巨獣の力のうちに自己を失っている人達(たち)だ>
影絵を真実と思っている洞窟の囚人たちのことでしょう。だから、自ら考えねばなりません。小林秀雄は「考える」営みについて、「どうあっても戦うという精神である」と記します。
<プラトンによれば、恐らく、それが、真の人間の刻印である>
影絵のような名ばかりの民主政とは、どうあっても戦う。そんな精神を持ちたいものです。
▼1964年まで観光目的の海外旅行が解禁されなかったのは、戦後復興期の国内産業保護のため為替取引や貿易を制限したから。国外での散財はご法度だった
▼解禁時も1人年1回限り、外貨持ち出しは上限500ドルとされた。1ドル=360円の固定相場制の時代。大卒初任給は2万円程度なのに欧州17日間ツアーが1人70万円を超え、庶民には高根の花だった
▼今日は憲法記念日。連休も後半に入ったが、海外旅行は近年にない円安で大変だ。先月29日には1ドル=160円台をつけた。旅にインスタント食品を持参する人もいると聞く。昔みたいに国に命じられなくても節約は不可避らしい。超低金利政策が招いた円安。恨むなら、相手は近年の政治だろうか