ある国に靴を売ろうとした会社員が2人いた。問題はこの国には…(2024年5月1日『東京新聞』-「筆洗」)

 
 ある国に靴を売ろうとした会社員が2人いた。問題はこの国には靴を履く習慣がなかったこと。さてどうするか
▼1人はあきらめた。「靴を履かないのだから売れっこない」。もう1人は闘志を燃やす。「誰も靴を持っていないのだから売れる」
▼ビジネス講話などで使い古されたたとえ話だが、考えてみれば、どちらが正解ともいえまい。あきらめなかった会社員のがんばりを買いたくなるが、慣習や考え方を変えるには相当の時間とコストがかかる。ウエディングドレスを日本に普及させたブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなった。94歳。苦しくとも、あきらめない道をためらうことなく選んだ人である
▼お世話になった花嫁さんが大勢いらっしゃるだろうが、デビューした1960年代当時の婚礼衣装は9割が和装だったそうだ。花嫁がドレスを着たいと思ってもお姑(しゅうとめ)さんとなる人が猛反対し、あきらめるというケースも少なくなかったという
東京大空襲を経験していらっしゃる。「どんな焦土にもいつか花が咲く」と信じていたそうだ。ウエディングドレスが「安っぽい」「ふさわしくない」といわれた時代にあっても希望を捨てず、情熱と根気で花嫁を彩る「花」を育てていったのだろう
▼ある調査によると、最近の婚礼衣装は約8割が洋装らしい。幸せの衣装をこしらえ続けた方の見立ては「寸法通り」である。
 
「生涯現役」桂由美さん、亡くなる4日前に「徹子の部屋」収録…4月もつえをつき立って接客(2024年5月1日『スポーツ報知』)
 
キャプチャ
ブライダルファッションデザイナーとして生涯現役を貫いた桂由美さん
 
 ブライダルデザインの第一人者として世界的に活躍したファッションデザイナーの桂由美(かつら・ゆみ、本名・結城由美=ゆうき・ゆみ)さんが4月26日に死去していたことを30日、株式会社ユミカツラインターナショナルが公式サイトで発表した。94歳だった。本人の意向で葬儀は行わず、追悼ショー(しのぶ会)を後日開く予定。国内で婚礼衣装にウェディングドレスを取り入れた先駆者として日本の結婚式の概念を大きく変え、晩年まで第一線で活躍した。
 日本のブライダル業界に革命を起こし、半世紀以上にわたって先導してきた桂さんが、突然逝った。株式会社ユミカツラインターナショナルは公式サイトで桂さんの死去を報告。「1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧(ささ)げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します」とつづった。本人の意向で葬儀は行わず、死因など詳細も明かされなかった。
 「生涯現役」を貫いた。東京・港区のユミカツラ東京本社によると、桂さんは4月も同店に出勤。つえをつきながらもしっかり立って接客していたという。亡くなる4日前の22日には、テレビ朝日系「徹子の部屋」の収録に参加していた(放送は3日)。3月には都内で新作約70点を発表するショーを開催。来場者の拍手を受け、笑顔で応えていた。来年の会社創設60周年に向けて意欲を見せていたが、かなわなかった。
 1964年に日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動を開始し、翌65年にブライダル専門店「桂由美ブライダルサロン」を東京・赤坂にオープン。国内初のブライダルファッションショーを開催した。当時の婚礼衣装は、和服が主流。国内でのウェディングドレスの着用率がわずか3%だった中、ドレススタイルを提案した。「ドレス婚」が急速に普及するきっかけを作り、現在では9割が着用するまでになった。
 貸衣装が主流だった70年代には「1か月の給料で買える」既製服のドレスを発表。大きな反響を呼んだ。さらに81年の米ニューヨークのショーで発表したのが、後に代名詞となる「ユミライン」のドレスだった。
 裾を引きずる着物から発想した独創的なスタイルは、世の中の女性たちの注目を集めた。桂さんの作るドレスには「立体裁断によって生まれたシルエット」「ドラマチックで気品あふれるデザイン性」「世界中から探し抜いた再供給素材・マテリアル」「細部にまで気を使った繊細なテクニック」という、4つの美学が込められていたという。
 「日本を一番ウェディングが美しい国、ウェディングでハッピーになる国にしたい」と話していた桂さん。「ユミカツラ」のドレスを結婚式で着用した花嫁「ユミブライド」は、約70万人にも上るという。門出を迎えた女性たちがより一層輝けるよう、魔法をかけ続けた桂さんの思いは、後輩の3人のデザイナーに受け継がれていく。
 
 ◆桂 由美(かつら・ゆみ、本名・結城由美=ゆうき・ゆみ)1930年、東京都生まれ。共立女子大卒業後、パリに留学してオートクチュール(高級注文服)を学ぶ。母親が経営する洋裁学校で教えた後、64年に日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始。米誌「ニューズウィーク」の「世界が認めた日本人女性100人」に選ばれる。著書に「桂由美MAGIC」「世界基準の女になる!」など。
 
95年貴乃花化粧まわし 〇…桂さんはドレス以外に、意外なものもデザインしたことがあった。1995年、横綱に昇進した貴乃花に化粧まわしをプレゼント。金のビーズとスパンコール、ラインストーンを使用。花田家の家紋と「貴」と「花」がデザインされたまわしに、桂さんは当時「値段はつけられない」と答えていた。