増田寛也・元総務相らによる人口戦略会議が公表した「消滅可能性都市」。10年前、この衝撃的な呼び名が全国を駆け巡った後、安倍政権は「地方創生」に乗り出した。前鳥取県知事で「改革派知事」として知られ、増田氏と同じく総務相を経験した片山善博氏は、消滅可能性都市を打ち出した当初の狙いは「外れた」と振り返る。
――10年前、「消滅可能性都市」というショッキングな発表を、どのように受け止めましたか。
◆「皆さんこのままだと消滅しますよ」とガーンとたたいておいて、自治体に危機感を抱かせようとしているのは分かりました。ただ、そのメッセージの使われ方は、打ち出した当事者(日本創成会議)の狙いを外れましたよね。
当事者たちの狙いは、実は消滅可能性都市リスト打ち出し後の、第2弾の方だったと聞いています。彼らは、リスト公表の後「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめています。首都圏で高齢者が介護施設などを奪い合う構図になるから、「消滅するぞ」と言われた地方は受け入れ態勢を整えて移住を進めよ、という提案です。この主張の方が主目的だったわけです。
ところが、第1弾の衝撃を、当時の安倍政権がとらえました。あっという間に「地方創生」にすり替わって、リストを公表した皆さんも面食らったと思います。そこまでの展開を、読めていないように思いました。
――「地方創生」を打ち出した当時の安倍政権は、人口減少を抑制するための「総合戦略」を作るよう全国の自治体に求めました。
◆最初から「これではダメだ」と思っていました。手法が従来型だったからです。政府も地方自治体も、過疎対策や地域活性化対策を半世紀近くやってきたけれど、ことごとく功を奏してこなかった。「総合戦略」とネーミングを替えたところで、そのスキームは同じだったのです。国が根本的な枠組みを作り、地方自治体に計画を作らせて国に提出させて、その中で国が見て良いものを支援する、そんなスキームです。
自治体は国が示した交付金の交付条件ばかりに着目し、一生懸命そしゃくして補助金を引き出そうとします。地域振興のプロではなくて、補助金獲得のプロになってしまう。
それでも「早く計画を」とせかされた自治体が、結果として何をしたかといえば、コンサルへの丸投げです。出てきたものは金太郎あめのような計画ばかり。東京一極集中は止まらず、人口減にも歯止めはかかりませんでした。
――「従来型」の枠組みではなく、何が必要だったと考えますか。
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