共同親権法案 子ども主体の議論尽くせ(2024年4月18日『信濃毎日新聞』-「社説」)

 離婚しても、親として子どもの養育に責任を負うことは変わらない。また、意に反して一方の親とのつながりを断たれないことは、子どもの権利である。

 それを明確にするために、離婚後も共同で親権を持つ仕組みは検討されていい。ただ、親権は子どものためにあるという根幹の認識が共有されなければ、かえって子どもの権利や利益を損なうことになりかねない。

 政府が今国会に提出した民法の改定案は、その懸念を拭い切れていない。衆院で一定の修正がなされた上で可決されたが、参院でさらに議論を尽くすべきだ。

 離婚後は父母のどちらかが親権を持つ現行の制度を改め、双方による共同親権を可能にする。父母の協議で合意した場合のほか、合意に至らなくても、家庭裁判所の判断で認めることがある。

 虐待や家庭内暴力(DV)の恐れがあると家裁が判断すれば単独親権とするが、DVや虐待の被害は多くの場合、証明するのが難しい。家庭内の力関係から、不本意な形で共同親権に合意せざるを得ないことも考えられる。

 離婚後も関係を断てず、加害や支配から逃れられなくなると懸念する声は強い。廃案を求める署名には22万人余が賛同した。衆院で法案を修正し、父母の真意を確認する措置を検討すると付則で定めたものの、成立を優先して議論を先送りしただけに見える。

 家裁の態勢にも不安がある。親子の面会交流や養育費をめぐる申し立てが増え、裁判官や調査官は既に多くの案件を抱えている。DVや虐待の危険を見極め、共同親権とするかどうかを適切に判断するには態勢の拡充が必須だ。その議論も深まっていない。

 法案は親権について、子の利益のために行使しなければならないと明記した。親権の実質は子どもの権利にあると捉え直すことは意義がある。それでいながら、何より肝心な、子どもが意見を述べる権利や機会を保障する規定がないのは、明らかな不備だ。

 親権は、戦前の規定が戦後もほぼそのまま残り、ことのほか強い親の権利であるかのように捉えられてきた。その意識が根強いまま、懸念を押し切って共同親権の制度化を急ぐべきではない。

 どのような仕組みであれば導入が可能なのか。その前提としてまず、親権とは何かを明確にし、認識を共有することが欠かせない。この国会での法案の成立を見送ることも含めて、丁寧に議論を積み重ねる必要がある。