---------- 元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。
※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。
「俺を大事にしろ!」
現役時代にそれなりのポジションにいた人が、定年退職後にボランティア活動や自治会活動、地域ごとにある「老人クラブ」のような場に参加したとき、自分の前職を自慢げに話したり、「俺はおまえたちとは違うんだ」と言わんばかりに仲間に対して偉そうに指示をしたりして、周囲の人から嫌われてしまう、という話を耳にすることがあります。
地域のコミュニティで人間関係を築く最初の段階で、自分のことを知ってもらうために自己PRをしたら、それが裏目に出て、「自分のことばかり喋っている」と思われてしまうケースもあるそうです。
組織のなかである程度上の役職に就いている人は、周りの人たちが気を遣ってくれるため、自分は偉いと勘違いしがちです。そこに気付かないと、定年退職後も「俺が、俺が」という傲慢な態度が抜けず、周囲から浮いてしまうことになります。
どんなに前の会社や役所で偉かったとしても、組織の看板が外れれば、ただのオジサン、オバサン(ジイサン、バアサン)です。
そんなに過去の肩書にすがって生きたいのなら、首から「私は一部上場企業の部長でした」「○○省の高級官僚でした」と書いた札をぶら下げて歩いたらいい。そのほうが、周囲の人たちを笑わせてくれるだけマシです。
「俺が、俺が」という傲慢さの裏には、「自分は人一倍努力してここまで来たんだ」という自負心もあるのかもしれません。
私は、元巨人軍監督の川上哲治さんと何度かお話しし、「努力」についても語り合う機会がありました。川上さんは現役時代に「打撃の神様」と呼ばれ、監督時代にV9を達成して巨人軍の黄金時代を築き上げました。彼は、こんな話をしてくれました。
現役時代に、巨人オーナーの正力松太郎さんに「打撃の神髄をつかんだ」と言うと、正力さんから岐阜の禅寺・正眼寺の梶浦逸外老師のもとに行くよう諭された。正眼寺で自分がどんな努力をしてきたか述べると、梶浦老師からこう言われて喝を食らった。
努力するというのは心にまだ一物があるからだ。これを一所懸命やれば偉くなる、カネが入るといった邪念はないか。そんなものは本当のプロではない。駆け出し以前の者のやることだ。努力しているという気持ちがなくなるぐらいやってみろ。邪念を払え、と――。
川上さんにすれば大変なショックだったはずです。しかし、そこから彼は多摩川のグラウンドで壮絶な打撃練習を始めます。疲れて倒れるまでバットを振り続け、倒れても立ち上がってまたバットを振る。それをさらに続けて、もうこれ以上できないという段階を超越すると、とにかくバットを振ることが楽しく、疲れも苦しさも忘れてしまう。この「三昧境」に達したとき、「ボールが止まって見える」という感覚に襲われたといいます。
「DNAのランプ」とは
野球に限らず、あらゆる仕事において、「三昧境」に達するぐらい努力を続けなければ、「自分は努力している」などと言ってはいけないと、心すべきです。
「あの仕事は俺が人一倍努力したことで成就した」などと言うのは思い上がりというものです。どんな人間も、そんなに格好よく生きられるわけがない。なぜなら、百点満点の人間などこの世にいないからです。人間には、プラスもあればマイナスもある。○だけでなく、△も×もいっぱいある。だからこそ、努力を続けなければいけないのです。
毎日努力を続けていると、あるとき、今まで気付かなかった自分の能力や才能が開花する瞬間があります。「あ、仕事のコツがわかってきたかも」「難しいと思っていた仕事が苦にならなくなってきたぞ」と感じる経験が、皆さんにもきっとあるはずです。
こうした瞬間を、遺伝子のなかに眠っていた能力が開花したという意味で「DNAのランプが点る瞬間」と私は呼んでいます。
このランプが点るまで、努力を続けることが大事です。一回ランプが点ったらそれで終わりではなく、さらに努力を続けていけば、次のランプ、そのまた次のランプが点ります。つまり、いくつになっても成長できるということです。
棺桶に入る直前だって、DNAのランプは点るかもしれない。六〇そこそこで「人の何倍も努力してここまで来た」と満足して努力をやめてしまうのは、これから先の数十年間に味わえるはずの「成長する喜び」を、みすみす捨てて生きるのと同じです。
さらに連載記事〈突然、我が身を襲った「想像もしていなかった病」…定年後、人生の岐路に立たされた人がするべき「シンプルすぎる決断」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。