東宮御所の面影残す「西の間」など11日から公開 迎賓館赤坂離宮、開館50周年(2024年4月10日)

 外国賓客接遇の場として知られる迎賓館赤坂離宮(東京都港区元赤坂)が11日、昭和49年の開館から50周年を迎える。政府は記念事業として、これまで非公開だった「西の間」と呼ばれる部屋などを同日から順次、特別公開する。皇太子の住まいとして建設された当時の面影や、その変遷をたどる貴重な機会になりそうだ。

【写真】迎賓館の開館50周年記念事業として、一般公開される西の間

■皇太子の図書室 賓客施設としての迎賓館の開館は50年前だが、建物の歴史はもっと古く、115年前の明治42年、当時皇太子だった大正天皇の住まいとして建設された「東宮(とうぐう)御所」にさかのぼる。

 11日から公開される「西の間」は東宮御所で、大正天皇の学習用の図書を所蔵する「御書房」として設計された。落ち着いた木材の内装が特徴で、迎賓館の三上明輝館長は「将来の天皇が勉強するための部屋として造られた当時の雰囲気が、色濃く残っている」と話す。

 西の間では、昭和49年の開館時に全国から寄贈された100点以上の民芸品や工芸品も展示。26日まで見学できる。 記念事業ではその後も、非公開の美術品を展示するほか、海外要人を招いた政府の公式晩餐会の会場「花鳥の間」の撮影を期間限定で〝解禁〟するなど、年間を通じてさまざまな企画を実施予定だ。

■不遇を知る国宝 明治期の著名な技術者や芸術家を総動員して建設された「ネオ・バロック様式」の迎賓館本館は重厚感があり、東宮御所時代からの華やかな歴史を連想させる。

 ところが実際には、大正天皇の住まいとして本格的に活用されることはなかったという。

 大正天皇の摂政を務めた昭和天皇や、皇太子であられた上皇さまが短期間、住居とした時期はあったが、戦後は国に移管され、劣化が進むなど不遇の時代が続いた。 しかし、日本が国際社会へ復帰し、外国からの賓客を迎える機会が増えると、建物を接遇の場として生まれ変わらせる計画が浮上。約6年に及ぶ改修工事を経て昭和49年、迎賓館として開館した。新しく建てられた和風別館とともに、国賓を招いての公式行事や、宿泊施設などとしての活用が定着し、平成21年には本館などが国宝に指定された。

 三上氏は「文化財として保全しながら、新しい機能を付加して迎賓館が生まれ変わり、受け継がれてきた背景には、人々の努力や匠の技があった。50年の節目に、そうした歴史も感じてもらえたら」と話している。(吉沢智美)

【関連記事】