大東亜戦争(2024年4月10日『しんぶん赤旗』-「潮流」)

 その名を政府が決定したのは開戦直後でした。「今次の対米英戦は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」。時の天皇が発した「宣戦の詔書」は「東亜の安定」を確保することが目的だと

▼日本を盟主にアジアの統合をめざした「大東亜共栄圏」。実際は共栄とは名ばかりで、日本軍による植民地支配にほかなりませんでした。「大東亜」の呼称には、アジア諸国や日本国民のおびただしい犠牲とともに、日本の侵略を「正しかった」とする意味が示されています

▼過去の亡霊をよみがえらせようというのか。埼玉の陸上自衛隊の連隊が活動を紹介するSNSの投稿で「大東亜戦争」という言葉を使っていました。硫黄島であった戦没者追悼式を伝えるなかで「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と記しました

▼連隊のX(旧ツイッター)公式アカウントでは、自らを「近衛兵の精神を受け継いだ部隊」とも。戦前回帰への情念が漂います

自衛隊では幹部らによる靖国神社への集団参拝も相次いで発覚しています。靖国は今も「正義の戦争」とする勢力の支柱に。「私的」参拝とする防衛省に対し、共産党の穀田議員は入手文書を示して「公務」として計画されていたことを明らかにしました

▼連隊の投稿について防衛省は「誤解を招いた」、林官房長官も「一概にお答えすることは困難」だと。戦後の平和の歩みを否定し、侵略戦争を美化する動きと決別できない政府。いつまでも歴史の亡霊に取りつかれていては、共存共栄の未来はつくれません。