ナボイ劇場と台湾の百年老橋(2024年4月9日『産経新聞』-「産経抄」)

花蓮県の山間部で、地震により崩落した新しい橋(左)と、隣接する日本統治時代に建設された橋(右)=台湾東部・花蓮(交通部公路局提供)

 中央アジアウズベキスタンの自慢は、首都タシケントにそびえる壮麗なオペラハウス「ナボイ劇場」である。第二次大戦後、旧満州旧ソ連軍の捕虜となった約400人の日本人部隊が建設に携わった。

▼1966年4月に発生した直下型の大地震により壊滅状態となったタシケントで、この劇場だけはびくともしなかった。以来「地震が起きたら日本人の造った建物に逃げ込め」が国民の合言葉になったという。

▼昨日の小紙に載っていた台湾東部沖地震をめぐる記事を読んで、シベリア抑留のエピソードの一つを思い出した。震源に近い花蓮県の沿岸部で71年に架けられた橋が崩落した。ところが隣接する日本統治時代の30年に建設された橋は、補強すればすぐに使用できることが判明し、すでに通行可能になっているというのだ。

▼台湾メディアは「百年老橋」と名付け、SNSでも称賛の声が相次いでいる。統治時代の日本人技師にしてみれば、手抜きなしの誠実な仕事をしただけである。100年近くたって突然脚光を浴びていると知ったら仰天するだろう。

花蓮県は6年前にも地震の大きな被害を受けている。安倍晋三首相の見舞い文のあてが、蔡英文総統閣下だったことに中国はかみついた。総統の表記は台湾を国家として認めたという論理である。蔡政権の頭越しに花蓮県長(知事)に救援隊の派遣を申し出て、世論の分断を図ろうともした。今回も中国の国連代表部が台湾を気遣う国際社会に「感謝」を表し、台湾外交部の猛反発を招いたのは先日のコラムで書いたとおり。

▼震災でさえ政治利用せずにはいられない。そんな中国の振る舞いは、災害とともに歴史を刻んできた日本人からすれば到底理解できない。