東京都心の風景を彩ってきた青山などの同潤会アパート、隅田川にかかるモダンな橋は、1923年に起きた関東大震災の復興事業として建設された。建築学会、土木学会の精鋭がリードした
▲他にも注目された事業がある。地震時、日比谷公園や上野公園などに逃げ込んだ人が救われた。公園の価値が見直され、各地に復興公園が造られたのだ
▲だが人材不足が課題になった。担い手育成のため、35歳の造園学者、上原敬二は震災翌年、初の専門学校「東京高等造園学校」を創設した。上原は、日比谷公園を設計した本多静六・東京帝国大教授のもとで学び、明治神宮内苑造りに携わった。多くの教科書も残した
▲卒業生は、行政や企業で活躍したものの、戦後は都市化の陰で公園が減ってしまった。造園学が十分な力を発揮できなかった時期ともいえる
▲東京高等造園学校は、現在の東京農業大に吸収され、流れをくむ同大の造園科学科が今月、100周年を迎えた。上原の教えも受けた蓑茂寿太郎・同大名誉教授(74)は、次の100年を見据えた新たな使命を説く
▲2016年の熊本地震後、「展示型復旧」を提唱した。壊れた熊本城を囲い込むのではなく、復旧工事を「見せる」ルートを作った。火災に遭った沖縄県の首里城でも導入され、観光に寄与している。礎には、公園などで自然や文化を解説する「インタープリテーション」の精神がある。災害大国で生きる今、被災地復興や国土のデザインに資する造園学の役割を改めて確認したい。
熊本城復旧基本計画