今年も大学入学の季節がやってきた。この時期、多くの新入生が親元を離れ、大学のある場所へと引っ越していく。
こうした大学進学に伴う移動は都道府県間移動の主要な要因として知られてきた。子供の数は減っているものの、大学進学率が上がっているため、大学に行く人の数はさほど減っておらず、過去10年以上60万人を超えた水準で推移している。
文部科学省の「学校基本調査」は、高校の所在地別に進学先の大学の所在地別進学者数を公表しているが、高校の所在地が分かっているもののうち、出身高校が立地する都道府県の大学に進学する生徒の比率、いわゆる県内進学率は2023年には4割5分程度である。裏返すと、5割5分の生徒は県外に進学するのである。
このような大学進学に伴う地域間移動の様子がどのように変化してきたのかを、コロナ禍も含めて確認してみたい。なお、利用するデータは全て文部科学省の「学校基本調査」から得たものである。
実は高くなっている県内進学率
まず、図1は全国の高校から大学への進学者全体の県内進学率を、1980年および最近の年について示したものである。
80年には県内進学率は38%程度であったのが、19年には44%強まで増加している。また、コロナ禍の21年にも県内進学率は大きく変化せず、23年までほぼ同じ程度であった。
大学進学に伴う都道府県間移動は過去40年の間にかなり低下しているようである。もっとも、県内進学率は都道府県により大きく異なるため、全国平均で確認できるのはごく大雑把な傾向に過ぎない。
そこで、都道府県別の県内進学率をみてみよう。表2は都道府県別の県内進学率を、最も高い5つと低い5つについて示している。
県内進学率は、高いところでは7割に達し、低いところでは2割を下回る。特に80年はその差が大きく、最も高い東京都では76.4%であるのに対し、最も低い滋賀県では7.7%であった。滋賀県では実に9割以上が県外に進学したのである。 こうした差は最近もさほど縮まらず、23年には最も高い愛知県では72.1%であるのに対して、最も低い奈良県では15%であった。県内進学率が高いのはいわゆる大都市で、低いのは地方である点も時期を問わず共通している。
80年と最近との違いで注目すべき点は、全体に県内進学率が高くなっている点であろう。つまり、全国レベルで見た県内進学率の上昇は、特定の県で県内進学率が大きく上がったためではなく、全体に 県内進学率が上がったために生じたのである。また、最近では県内進学率が最も高いところが東京都から愛知県に変わったことと、コロナ禍でも県内進学率の傾向はさほど影響を受けていないことも興味深い。
東京23区の定員制限は効果があったのか
ここまで確認してきたように、過去40年の間、県内進学率は上昇してきた。しかし、今でも多くの県では半数以上が県外に進学している。
こうした県外進学のうち、東京都の大学への進学の多さが耳目を集めてきた。その結果、次第に東京都への大学進学に伴う人口移動が問題視され、18年10月施行の地域大学振興法に東京23区内の大学定員について「増加させてはならない」と明記されている。
昔はさほど問題視されていなかった東京への進学が近年大きな問題を引き起こしているように思える。しかし、東京への進学傾向は過去40年の間にかなり低下してきた。
図2は東京都の大学への進学率を都道府県別に表している。青い四角が80年、橙の四角が19年、黒い円が23年の値である。
上記の定員抑制策は18年10月施行で、次年度入学者の募集要項がすでに発表されつつある時期であるため、19年の進学者はこの政策の影響をさほど受けていないと考えられる。それにも関わらず、80年の値よりも多くの都道府県で低くなっている。
また、19年と23年とを比べると、変化は少なく、若干高くなっているところが数カ所ある程度である。図には記載していないが、21年の値もこれら2年とほぼ同じで、コロナ禍の影響は観察されない。23区の大学の定員抑制策は県外進学の傾向には大きな影響をもたらしているとは考えられない。
地域別の傾向をみてみると、東京への進学傾向が強いのはいわゆる東日本であり、西日本から東京都の大学への進学率は10%未満であるところが多い。東日本では東京への進学傾向は強いものの、80年に比べればその程度は低下しており、最近では過半数の生徒が東京へと進学するのは南関東に限られている。 では、西日本最大の都市である大阪への進学はどのような状態であろうか。図3は各都道大阪府の大学への進学率を都道府県別に表している。ここでも、青い四角が80年の、橙の四角が19年の、黒い円が23年の値である。
大阪への進学の多くは関西圏からであり、そこでも県外進学としての大阪への進学は80年から近年にかけてやや低下していることがわかる。また、大阪への進学は基本的には西日本からであり、東日本から大阪への進学は過去40年間非常に低い状態が続いている。
学びの選択肢を広げる遠方への進学
県外進学のうち、東京でも大阪でもないところへの進学も多く、特に近隣の県の大学への進学が数多く見られる。これは、大学の特徴に鑑みて高校生が自身の興味に応じた進学選択を行っていることを反映していると考えられる。こうした移動は望ましいもので、近隣だけでなく日本全国、外国も含めて自身の興味に応じた進学が行えるのが理想であろう。
まだ海外の大学への進学は一般的ではないものの、日本国内であれば、ある程度遠方の大学に進学することも非現実的ではない。こうした遠方への進学傾向はどのように変化してきたであろうか。
ここでは簡単に、東日本から東日本・西日本へ、西日本から東日本・西日本への進学率がどのように変わったかをみてみよう。なお、東西日本の定義はNTT東日本および西日本による区分を用いた。
図4は東日本の高校から東日本・西日本の大学への進学率を表している。青色の棒グラフが東日本への進学率、オレンジ色の棒グラフが西日本への進学率である。
ここでの東日本への進学率とは、かなり粗いものの、東日本の高校の、県内進学および近隣県への進学傾向を、西日本への進学率は、遠方への進学傾向を示している。この図を見る限りでは、コロナ禍を含め過去40年でさほど大きな変化は見られない。
では西日本ではどうであろうか。図5は西日本の高校から東日本・西日本の大学への進学率を表している。ここでも青色の棒グラフが東日本への進学率、オレンジ色の棒グラフが西日本への進学率である。
ここでは、80年から19年にかけて、2割強から1割強へと東日本への進学率の低下がみられる。西日本から東日本、つまり遠方への進学傾向が弱まったといえよう。ここでもコロナ禍の影響はほとんど見られない。
以上で見てきたように、大学進学に伴う地域間移動の傾向としては、過去40年で、全国的に県内進学率が上昇した一方で東京への進学率が低下し、西日本を中心に遠方への進学率がやや低下してきたと考えられる。この傾向の変化が、近場に自身が望む進学先が揃ってきたことに起因するのであれば歓迎すべき変化であるが、金銭的制約や妥協の産物であるならば憂慮すべき変化である。それが、東京23区の大学定員を制限するといった政策によるものだとしたら、その功罪を精査する必要がある。
進学の制度について、高校生から選択肢を奪うような施策をすれば、彼らの学びや成長を奪うことになる。希望にかなった進学選択が行える環境づくりが日本経済の発展および成長につながることは間違いない。
佐藤泰裕
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