受刑者の選挙権 剝奪認める論理の危うさ(2024年3月31日『信濃毎日新聞』-「社説」)

 憲法は、国民主権の原理に基づき、選挙権を主権者の固有の権利として保障している。立法によって制限できる余地は、極めて限られると見るべきだ。

 にもかかわらず、高裁の判決でもその原則がおろそかにされた。長野刑務所(須坂市)で服役中の男性が、受刑者の選挙権を制限した公職選挙法の規定を違憲として国を訴えた裁判である。

 東京高裁は一審の地裁に続き、男性の訴えを退けた。公選法の規定は過度に広範な規制とまでは言えず、直ちに憲法に違反するとは認められないとした。

 男性は詐欺で2019年に懲役7年の実刑判決を受け、服役している。禁錮刑以上の受刑者は選挙権を有しないとする規定により、21年の衆院選、翌年の参院選で投票ができなかった。

 選挙権制限の合憲性については最高裁が05年、在外邦人の投票権をめぐる裁判の判決で、厳格な審査基準を示した。選挙の公正を害する行為をした者等は別として、制限するには、やむを得ないと認められる事由がなければならない―と述べている。

 選挙違反の罪を犯した人を除いて、選挙権を制限することは原則許されない、という趣旨だ。ところが高裁は、最高裁判決が言う「選挙の公正を害する行為をした者等」の「等」に受刑者は含まれるとして、合憲と判断した。

 核心をすり抜け、こじつけるような論法である。高裁判決はさらに、社会から隔離する必要があると判断された受刑者は規範意識が欠如または著しく低下していると言え、選挙に参加する資格・適性がないとまで言及した。

 選挙権は主権者一人一人のものであり、資格や適性があるかどうかを国が勝手に判断して取り上げていいはずがない。それがまかり通れば、国民主権と議会制民主主義は根底から崩れる。危うい論理を見落とすべきでない。

 罪を犯して刑罰を受けたからといって、主権者であることは否定されない。受刑者の選挙権を剥奪(はくだつ)することが、投票を通じて政治に参加する権利を等しく保障した憲法にかなうとは考えにくい。

 過去には、大阪高裁が13年の判決で公選法の規定を違憲と断じている。05年の最高裁判決を引き、制限するやむを得ない事由があるとは言えないと結論づけた。

 受刑者だからと、主権者の重要な権利である選挙権を奪っていいのか。司法が正面から向き合って判断するとともに、国会での議論が欠かせない。