映画「ゴジラ」の構想は1954年春、ビキニ環礁での米国による水爆実験後に浮かんだ。東宝プロデューサーの田中友幸が、実験で怪獣が目覚めるストーリーを着想した
▲だが、怪獣映画を「ゲテモノ」とみる空気は根強く、監督選びに苦労した。本多猪四郎(ほんだ・いしろう)が迷った末に引き受けたのは、戦後通過した広島の惨状が目に焼きついていたためだという(「ゴジラ誕生物語」山口理著)
▲それから70年、節目にふさわしい「ゴジラ—1.0(マイナスワン)」(山崎貴監督)の米アカデミー賞受賞だった。資金力でハリウッドが優位に立つ視覚効果部門で、アジア初の受賞。セットでの撮影とコンピューターグラフィックス(CG)を組み合わせ、ゴジラが都市を襲う迫真の映像を実現した
▲初代ゴジラの特撮は、当時の第一人者だった円谷英二(つぶらや・えいじ)が担当した。円谷は、俳優の演じるシーンに比べて格下とみられがちだった「特撮」の地位を高める思いを作品にこめたとされる。オスカー獲得は、日本の特撮映画史のひとつの到達点でもあった
▲過去のゴジラ作品には、他の怪獣と対決させるためヒーロー性が強調された時期もある。「マイナスワン」は徹底した破壊者のゴジラに人間ドラマを重ね合わせた構成で、54年版の原点を感じさせた
▲劇場で見た時、隣の年配客が涙していた。反核映画として歩み始め、今回の作品も戦後日本の再出発をテーマとしていたゴジラである。これからもさまざまな設定で現れ、平和の意味を問い続けるに違いない。