原発兵庫訴訟/なぜ国に責任がないのか(2024年3月22日『神戸新聞』-「社説」)

 2011年3月に発生した東日本大震災津波などによる東京電力福島第1原発事故後、福島、宮城両県から兵庫県に避難した30世帯78人の住民が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟で、神戸地裁は東電に賠償を命じる一方、国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。

 各地で提訴された約30の同種訴訟では、4件の控訴審判決のうち3件で国の法的責任を認めていた。ところが22年6月に最高裁が国の責任を否定した後、下級審では同様の判断が続いている。

 神戸地裁判決も、おおむね最高裁判決に沿った内容である。国民の生命と暮らしを守る責務を一民間企業に委ね、なぜ国が責任を負わないのか。違和感を禁じ得ない。

 兵庫訴訟の原告らは、原発事故で日常生活や郷里を奪われた。経済的な負担や健康悪化の恐れなどの被害を訴え、国と東電の責任を問うてきた。他の集団訴訟と同じく、国が地震と大津波を予見できたか、国が規制権限を行使して東電に対策を命じていれば事故を防げたかどうか-などが大きな争点となった。


 これに対し、神戸地裁は「国が津波による事故を防ぐ措置を東電に義務付けたとしても、事故が起きていた可能性が相当にある」とした。大地震津波が起きれば、原発事故が発生してもやむを得ないと述べているに等しい結論である。

 驚いたのは判決が、東日本大震災の前に政府の地震調査研究推進本部地震本部)が公表した「長期評価」の信用性を認めなかった点だ。

 長期評価は、東北地方の太平洋岸で大津波が起きる可能性があるとしていた。しかし神戸地裁は、津波対策にただちに活用できるほどの知見ではなかったと判断した。

 地震本部は、阪神・淡路大震災を機に発足した国の機関だ。政策に直結する地震の調査研究推進などを目的にし、研究者などで構成する。本部長は文部科学大臣が務める。その評価が信用できないのなら、何を根拠に災害対策をすればいいのか。

 福島の事故後、政府は原発への依存度を可能な限り低減するとした。ところが岸田政権はこの方針を転換し「最大限活用」を掲げた。脱炭素社会の実現を理由に、昨年、60年超運転を可能にするGX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法も成立させた。

 事故を防ぐ権限を行使しようとしない国が、原発の積極活用を進めることには疑問を抱かざるを得ない。

 各地の避難者訴訟での司法判断は今後も続く。どのような結果でも、原発の安全性について責任を背負うべきことに変わりはないと、国は改めて肝に銘じなければならない。