「声」を求めず封殺した自民は首相会見を取り止めた中国全人代と同じ(2024年3月19日『日刊スポーツ』-「政界地獄耳」)

 

★衆参の政倫審後の自民党内の声を聴いていると、政倫審に出席した安倍派幹部の発言や振る舞いなどへの批判が多く聞こえてくる。15日、同党参院議員・三原じゅん子は前参院幹事長・世耕弘成を念頭に「幹部という立場にあったのだから真相究明のため必死に汗をかき、その結果を国民に報告、説明を果たし、その上で自ら政治的責任を取るというのが本来の在り方なのではないだろうか」と、X(旧ツイッター)に筋論を書き込んだ。

自民党大会前日の16日に開かれた全国幹事長会議や全国政調会長会議でも、地方議員から「政治的責任と言いながら誰も責任を取っていない」「生まれ変わると言ってもけじめをつけていない」など、ぬるい対応に終始している執行部を批判した。もっとも早々に幹部の処分を“重め”に出したとしても批判はあったろう。このぬるめにだらだら低空飛行を続けるのが最善と党執行部や官邸は決めたか。だが、17日の党大会を1つのけじめや区切りにするもくろみも崩れたといっていい。党規約改正はザルばかり、派閥は勉強会と称して存続し、一体何が変わり何が厳しくなったのか党内でもわかりにくい。それどころか、正面から生まれ変わる党を見てほしいという考えは持ち合わせなかったようで、党は異例にもメディアを絞り込み、国民政党の正々堂々さを捨てコソコソさを選択した。これでは逆効果であろう。

★今月は中国で全人代が開かれた。全人代閉幕後の首相記者会見は30年以上続くものだが、直前に報道官は首相会見を行わないとし、「特別な事情」がなければ今後も「数年間行わない」とした。自民党全人代も「声」を求めず封殺したことでは同様だろう。党内の党批判も表層的で、党を揺るがすような批判よりも“こんなことをして私の選挙をどうしてくれるのか”が多く、目先の自分の生き残りに有利かどうかの判断ばかりで、この政治とカネを遠くから降ってきた火の粉のような扱いだ。党員も県連役員の県議らも国会議員も、本当に自民党を守り、変える気概も覚悟もなかった。(K)