大仁田厚には、ぬぐいがたい一つのコンプレックスがあった。
「履歴書を書くとさ。学歴の欄がたった2行で終わっちゃうんだよね」―。
高校を入学3日で中退しているため、大仁田の最終学歴は1999年まで「中卒」だった。
左ひざ粉砕骨折による全日本プロレス退団、一度目の引退後も一般企業20社以上の面接を受けたが、そのたびに「学歴・小学校、中学校卒業」の2行しか書いていない履歴書をじっと見られ、「あ~、中学しか出てないんですね」という屈辱的な言葉も投げかけられた。
FMWを立ち上げ、プロレス界のスターとなったことで封印していた悔しさ―。そんなナイーブな部分を40歳を過ぎた頃に講演会で訪れたある学校で大きく揺さぶられた。
それは1人の生徒から投げかけられた、こんな言葉だった。
「大仁田さんって高校に行ってないんですね」―。
いつもなら笑って受け流せた言葉が、その時だけはスルーできなかった。 「普通なら受け流せたのにダメだった。その瞬間、俺の中に学歴に対するコンプレックスが芽生えたんだと思う。『学歴なんかいらねえ』って思っていた心の蓋(ふた)がパカッと開いたんです」―。
そこからはエネルギッシュに動いた。
レスラーと芸能活動の二足のわらじのかたわら、18歳年下の弟で当時、上智大の現役学生だった松原孝明さん(現・大東文化大法科大学院教授)の家庭教師を受け、必死で英語、国語、数学の3教科を勉強した。
そして、99年3月、東京・駿台学園高定時制に合格。「何点取れたか分からないけど、とにかくぎりぎりだったと思うよ」という点数での入学だった。
それでも「1回目のテストなんて、全然分からなかった。大変でした」という状況の中、試合後の東京・後楽園ホールから、出演時代劇の撮影を終えた京都・太秦の撮影所から、“41歳の高校生”は高校に通い続けた。
「先生も最初は冷やかしと思っていたのか冷たかったけど、一生懸命通っているうちに雰囲気が変わって応援してくれるようになった。最初は中の下の成績だったけど、テストは必ず受けるようにしていたら、コツも覚えてきてさ。弟の家庭教師も良かったのか成績も上がった」―。
15歳でレスラーデビューしたため、まったく未経験だった高校生活も味わえた。
「友だちもできて、学校の後にカラオケやご飯に行ったね。沖縄への修学旅行も行った。10人くらいの雑魚寝の部屋で将来の話やバカ話をして盛り上がった。枕投げもやったなあ」と、遠い目をして回顧した。
「周りのみんなが大学に行くって言うから大きな影響を受けてさ」―。
そう振り返った通り、さらなる向学心、大学進学への思いが芽生えた。
高校を卒業した00年4月、自宅マンションのある千葉・浦安市にキャンパスを持つ明海大経済学部に入学も「家のそばなら通いやすいと思ったけど、プロレスにしろ、芸能の仕事にしろ、場所はほとんど東京だったから、とても通えなかった」という“誤算”もあって1年で中退した。
そして、「東京六大学への憧れがあった。早稲田か明治か、どちらかかなって」という志望動機から01年4月、明治大学政治経済学部経済学科の夜間部の入試にチャレンジし、合格。東京・駿河台のキャンパスに通う日々がスタートした。
その年の7月には参院選比例代表で46万票を獲得し、参院議員となっていた。 「朝9時には赤坂の議員宿舎から国会に登院しなきゃいけなかったし、その後に明大に通うのは本当に大変だった。5、6年かけて卒業すればいいかなと最初は思っていた」と回顧。
「国会からキャンパスにスーツで行くと学生になじめないと思ったから、車の中で必ず着替えるようにした。ジーパンにTシャツとかね。ただ、いつも時間がなくて、ぎりぎりだったから、1コマ90分の授業を1日2コマくらいしか受けられなかったんだよね」と言う通り、目の回るような学生生活だった。
「ゼミも取ったし、なんとか152単位、全部取って4年で卒業できた」―。 半ばフラフラになりながらの学生生活について、「有名人ゆえの忖度(そんたく)もあったのでは?」という心ない一部報道もあったが、「大学だってバカじゃないからさ。ある准教授が会議で俺が議題に上った時に言ってくれたんだよ。『彼はちゃんと授業を受けている。僕らは忖度しているわけではない』ってさ。本当にありがたかったよ」と大仁田。
当時、参院議員・大仁田の私設秘書として働いていた雷神矢口も「大仁田さんは議員としての朝の勉強会の後の空いた時間とかをやり繰りして一生懸命、キャンパスに通っていました。どうしても行けない時だけ僕が明大に行って、18とか19歳の学生と友だちになったりした。いざ、大仁田さんが困った時に助けてもらうことが目的でした」と証言。
「でも、大仁田さんはそういうかなり年下の学生とも『どーもー、大仁田です』って言って、すぐ仲良くなっちゃう。さすが、人たらしだなあとは思いました」と笑顔で振り返った。
今では堂々、履歴書に「最終学歴・明大政経学部卒業」と書けるようになった「邪道」は「明大を卒業できたことは誇らしいし、自分の中の学歴によるコンプレックスを消せた」と胸を張った上で「高校生活も大学生活も俺にとって、遅れてきた青春だった」と、遠い目をして振り返った。
人生上の大きなコンプレックスを一つ払拭した大仁田だったが、同時に幕を開けていたのが、もう一つの大冒険・6年に及ぶ参院議員生活だった。(取材・構成 中村 健吾)
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「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。