変わらない医療現場の過重労働、過労で倒れた医師「自分を守らないと患者も守れない」(2024年3月3日『読売新聞』)

 

[2024年の医師 働き方改革]<3>

 埼玉県の開業医・山田明さん(75)は2006年、研修医だった娘(当時26歳)を過労自殺で亡くした。それから20年近く。「医師が働く環境は何も変わっていない」と感じている。

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娘の勤務先の前で後悔の念を語る山田さん(昨年12月、東京都で)
娘の勤務先の前で後悔の念を語る山田さん(昨年12月、東京都で)

 05年春、娘は東京都内の大学病院で研修医として働き始めた。連日終電後にタクシーで帰宅し、「いつ楽になるんだろう」と漏らす娘に「研修期間が終わったら楽になるよ」と励ましたことを今も悔いている。

 亡くなる前の残業は月200時間を超え、07年に「過労でうつ状態だった」として労災と認定された。

 昨年8月、甲南医療センター(神戸市東灘区)の専攻医・高島 晨伍しんご さん(当時26歳)の過労自殺を知った。娘と同じ年齢だった。

 「いつまで同じことを繰り返すのか」。山田さんはそう唇を震わせる。

 医師の過労死は長年問題となってきた。厚生労働省は17年8月、「医師の働き方改革」に関する有識者検討会を設置し、過重労働の解消に乗り出した。

 25年前に小児科医の夫(当時44歳)を過労自殺で亡くした中原のり子さん(67)(東京都)は検討会に参考人として出席し、「医者は労働者だという原点に立ち返り、命と健康を守ってほしい」と訴えた。だが、その結論は望んだものではなかった。

 19年3月に検討会がまとめた残業時間の上限は年960時間。一般労働者の720時間を上回り、月あたりでは国の労災認定基準「過労死ライン」の80時間に相当するものだった。研修医や専攻医、地域医療を担う病院は特例で年1860時間まで認められた。「医療が十分提供できなくなる恐れがある」ためだ。 

 それから5年。その上限さえ、知識や技能を身につける「自己研さん」とされたり、宿直中は労働とみなされない「宿日直許可」が悪用されたりし、骨抜きにされる恐れが出ている。

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 検討会の副座長だった東京財団政策研究所研究主幹の渋谷健司さん(57)は長時間労働を是認する議論に納得できず、途中で辞任した。背景に医療現場の旧態依然とした意識があると考える。

 「年配の医師は『俺たちはもっとやってきた』と言い、若手は逆らえない。病院幹部の意識が変わらなければ、『自己研さん』などの抜け道を使い、現場が過重労働で苦しむ構図は変わらないだろう」と指摘する。

 高島さんの母淳子さん(61)と兄(32)は昨年12月、中原さんや山田さんと「医師の過労死家族会」を結成し、国に要望書を提出した。求めていることの一つが、労働基準法など労働者の権利に関する研修を医師に義務づけることだ。

 医師でもある兄は「医療界が変わるには、まずは医師一人一人の意識が変わることが必要だ」と訴える。

 大阪府内の男性内科医(41)も「医師は長時間労働が当たり前」と考えていた。08年に大学卒業後、中国地方の公立病院で勤務し、残業は毎月200時間を超えた。しかし、忙しい病院で様々な症例を経験することが「出世の道」と信じ、弱音は吐けなかった。

 11年、ラグビー観戦中に意識を失った。過労による不整脈で、死んでいた可能性もあった。その後復帰したが、自分の健康を犠牲にするような働き方に疑問を持ち、2年後に退職した。

 残業が少ない病院を選んで移り、今はほぼ定時に帰宅する。この病院は患者に時間外の受診を控えるよう呼びかけており、業務の効率化も進めている。自分のペースで働き、残業をしなくても目標の専門医資格を取得した。

 「医師はどこでもキャリアをつめる。自分を守らないと、患者も守れない。そのことに気づけた」

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