自分の人生の終わり方を想像したことはあるだろうか。どんなに強靭な肉体を持っていても、折れない精神力を持っていても、死は誰にでも平等に訪れる。穏やかにそのときを迎えたいと思うけれど、最期が良ければいいという話でもない。その人にとっての願いや希望に寄り添う医療とは何か。幸せとは何か――。
本書の著者は2009年に『神様のカルテ』でデビューした夏川草介氏。医師として地域医療に長年従事してきた夏川氏が新たに描いたのは、さまざまな疾患を抱えながらも最期まで自分らしく生きようとする患者に寄り添う医師たちの物語。
2024年本屋大賞にノミネートされた話題作だ。
物語の舞台は、京都にある小病院「原田病院」。消化器疾患を専門科として小規模の病棟を備えた地域病院で、高齢の認知症患者や先の長くない末期がん患者も多く、自宅療養しているお宅への往診やお看取りも日常的にある。
主人公の雄町哲郎(通称:マチくん)は原田病院で働く内科医。3年前に最愛の妹が若くしてこの世を去り、一人残された甥の龍之介と暮らすために原田病院で働き始めたが、かつては大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望される凄腕医師だった経歴を持つ。
登場人物の医師や患者は、個性的な人ばかりだ。原田病院に勤める常勤医は哲郎を含め4名で、それぞれが専門分野で経験を積んできたスペシャリストだが、技術や経験を武器に戦うというよりは、その武器を振りかざすことなく、どう患者に寄り添うかを真剣に考える人間に思える。医師も人間。そんな当たり前のことを思い出させてくれる。
なかでも印象深かったのは、大学病院から派遣されてきた医師の南茉莉に哲郎が語った言葉だ。 “「たとえ病が治らなくても、仮に残された時間が短くても、人は幸せに過ごすことができる。できるはずだ、というのが私なりの哲学でね。
そのために自分ができることは何かと、私はずっと考え続けているんだ」”―P152 哲郎がこれまで考え、感じてきたことが言語化された「哲郎の哲学」は、哲郎と歳の離れた甥の龍之介との会話シーンにも詰まっている。本書のタイトルにもある「スピノザ」というのは、オランダの哲学者の名前だそうで、研修医時代から哲学書に触れていた哲郎が、龍之介に対してスピノザのことをこう語っている。
“「こんな希望のない宿命論みたいなものを提示しておきながら、スピノザの面白いところは、人間の努力というものを肯定した点にある。すべてが決まっているのなら、努力なんて意味がないはずなのに、彼は言うんだ。“だからこそ”努力が必要だ
と」”―P218 “願ってもどうにもならないことが、世界には溢れている。意思や祈りや願いでは、世界は変えられない。そのことは、絶望なのではなく、希望なのである。
”―P218 龍之介は伯父のことを「先生」と呼び、敬語で話すが、その距離感に冷たさは感じられない。大人びた一面もあるけれど、自分に対して真剣に向き合ってくれる人の話をまっすぐな目で見つめる龍之介は歳相応の素直さも持ち合わせる素敵な少年だ。自分にとって何が幸せなのか向き合ったからこそ、哲郎は龍之介と暮らすことを決めたのだろう。
物語では京都の暑い夏からお盆、そして秋へと季節が変わりゆく街の日常が描かれていて、京都の街に詳しい人なら「この道のことかな」と街並みや風景を想像しながら読むことができそうだ。
また、病院での出来事や医師たちの日常は、感情の起伏をなるべく感じさせないように描かれており、それによって医師たちの感情の機微が際立っている。
地域医療がテーマの本作には、往診で日に日に弱っていく患者の姿や、お看取りのシーンもあり、それだけだと物語全体が暗くなってしまいそうだが、物語の随所には甘いものに目が無い哲郎が好きな京都老舗の和菓子がたびたび登場する。我慢しきれないかのように哲郎が甘味に手を伸ばす姿を想像すると心が温かくなる。食べて幸福を感じることも、生きているからこそできることなのだ。
医療サスペンスでも医療ミステリーでもない、地域に寄り添う医師たちの日常を描く本作。もっとこの病院で起こる日常を観察していたいし、哲郎の話を聞いていたいと思うのは自分だけではないだろう。あわよくば、続編が出ないかと期待している。心にじんわりと温かさが残る、静かな感動を与えてくれる本作は、間違いなく読者の心を震わせるだろう。
文=鈴木麻理奈