「地震前のように訪問看護を受けていたら…」 震災2カ月、避難生活で体調崩した83歳夫が入院 妻も杖が手放せず(2024年3月1日『東京新聞』)

 能登半島地震は3月1日で発生から2カ月。避難生活が長くなり、滞在先を転々とする中で孤立し、体調を悪化させる被災者が後を絶たない。古里に帰りたくても、戻れない現実。病院と避難所に離れ離れになった老夫婦の2カ月を追った。(飯塚大輝)
輪島から金沢に避難。杖を手に避難所内を歩く谷律子さん=2月25日、金沢市稚日野町北のいしかわ総合スポーツセンターで

輪島から金沢に避難。杖を手に避難所内を歩く谷律子さん=2月25日、金沢市稚日野町北のいしかわ総合スポーツセンター

 金沢市いしかわ総合スポーツセンター(スポセン)で2月下旬、石川県輪島市から避難した谷律子さん(73)が、つえを突きながらリハビリに励んでいた。50年近く連れ添った夫正行さん(83)は、そばにいない。「地震前のように訪問看護を受けていたら、こうはならなかった」

保健師の支援がある避難所からホテルに2次避難

 輪島市の県営団地で被災し、断水と停電のため1月3日から近くの避難所に身を寄せた。市が被災者の体調を考慮して金沢以南への2次避難を呼びかけ、2人は15日から、2次避難前の一時的な受け入れ先だったスポセンに入った。
 高齢者を優先的に受け入れたスポセンでは当時、持病の悪化や感染症で体調を崩す人が続出。正行さんも腹痛を訴えたが、深夜で態勢が整わず、対応されなかった。2人は保健師らの支援があるスポセンに残るつもりだったが、職員に2次避難を促され、30日から金沢市内のホテルに移った。家族帯同で問題がないと見なされた可能性がある。
輪島から金沢に避難し、避難所での生活について話す谷律子さん=2月25日、金沢市稚日野町北のいしかわ総合スポーツセンターで

輪島から金沢に避難し、避難所での生活について話す谷律子さん=2月25日、金沢市稚日野町北のいしかわ総合スポーツセンター

 正行さんは複数の持病があり、訪問看護やデイサービスを利用していた。ホテルでは食事が出ず、律子さんがコンビニでおかゆを買って食べさせた。次第に食が細くなり、全く歩かなくなった。ストレスからか便も出なくなり、日に日に顔色が悪くなった。
 
◆「本当に過酷」だった部屋にこもる生活
 保健師が様子を見に来たこともあったが、部屋にこもりきりの毎日は「本当に過酷だった」。2月6日に正行さんが腹痛を訴え、病院に救急搬送。腸閉塞(へいそく)の診断を受け、緊急手術を受けた。人工肛門を付け、今も入院中だ。
 律子さんも避難生活で足腰の痛みが増し、つえなしでは歩けなくなった。輪島の自宅の片付けにも行けない。ホテルの部屋で「将来の不安をグルグルと考え、気づいたら朝」。そんな様子を心配したホテルが連絡し、県が再びスポセンに呼び戻した。

◆輪島に帰りたいが、決断付かず

 正行さんの体調は回復したものの、律子さんは輪島に戻る決断が付かない。人工肛門は日常的にケアが必要で、十分な支援を受けられるか見通せない輪島での介護は難しいと感じる。
 一方で、古里に帰りたい気持ちは強い。2019年に一人娘の奈々恵さんをくも膜下出血で41歳で亡くした。「墓や仏壇のお守りをしないと」。娘との思い出の地を離れることにも抵抗がある。律子さんは力を振り絞ったような明るい声で「ここでくしゃっとしたら駄目になる。前進あるのみです」と語った。