禁演落語(2024年2月29日『高知新聞』-「小社会」)

笑いの検閲――禁演落語・国策落語から考える戦時下日本の文化統制


 落語の登場人物といえば、八っつぁん熊さん、ご隠居に若旦那だろう。能天気に生きる人や人情の機微を笑いにし、高座にのせる。ところが、その笑いが自粛を迫られた歴史が日本にもある。

 太平洋戦争の開戦直前。落語家たちは、53の演目を高座では演じない「禁演落語」と決めた。「明烏(あけがらす)」をはじめ、ほとんどは廓(くるわ)ばなしや泥棒、酒といった題材。時局にそぐわないとして、取り締まりを強める当局の先手を打って自粛した面もあったようだ。

 噺(はなし)の台本は、東京・浅草の本法寺に建てた「はなし塚」に埋められた。その裏面には〈葬られたる名作を弔い…〉とある。「ここに落語家たちの本音がしめされている」(柏木新著「国策落語はこうして作られ消えた」)。

 またか、と思った向きも多いのでは。中国当局がお笑い芸人への監視を強めていると過日の本紙にあった。犬が懸命にリスを追う姿を、「仕事ぶりが優れ、戦争に勝てる」と述べた芸人が活動停止に。どこが笑えて、何が悪いのか日本人には分からないが、これは軍のスローガン。皮肉ったと見なされたという。

 笑いには政治風刺もつきものだが、かの国の言論統制は厳しい。自由な日本のお笑いのファンになる若者も多いともあり、何やら複雑な思いもわく。国策が笑いまで支配しない時代は来ないものか。中国も、ロシアにも。

 日本にもある禁演落語の歴史。おかしな兆しがあれば、用心しないと。