2019年に安倍首相(当時)にヤジを飛ばした市民を北海道警察が排除した問題を追ったドキュメンタリー映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」が全国で上映されるなか、1月に行われた東京の八王子市長選挙で新たなヤジ排除が起こった。排除したのは警察ではなく民間人だった。民間人の排除行為は何が問題なのか。専門家は「ヤジのステルス排除」と指摘する。(取材:HBC北海道放送 山﨑裕侍) ※その時の動画は「【関連記事】《動画あり》小池百合子東京都知事に「差別をやめろ」と叫んだ瞬間に強制的に連れて行かれた」
1月19日、日がすっかり落ちた八王子駅前。大勢の聴衆が街宣車の上に現れた小池百合子東京都知事を見ていた。小池知事は1月21日に投開票が行われる八王子市長選挙で、自民・公明から推薦を受けた初宿和夫候補の応援演説に来たのだ。 小池百合子東京都知事 「八王子の皆さんこんばんは。大変お寒いところ、市長選の投票日も明日、明後日になりました」
小池知事が演説を始めて1分ほどたった頃だ。
「小池百合子、差別をやめろ」
街宣車から10メートルほど離れた場所に立っていた長谷川隆太さんが突然ヤジを飛ばした。「小池百合子」「差別をやめろ」と書かれた米袋を高く掲げて、再び「小池百合子、差別をやめろ」と声を上げた。
すると近くにいた数人の私服姿の男性が長谷川さんに駆け寄る。男性らは長谷川さんの両手首を掴んで米袋を下ろさせ、なおもヤジを飛ばそうとする長谷川さんを強引に後方に引きずっていく。長谷川さんは瞬く間に街頭演説を聞く聴衆の集まりの外に追いやられた。
排除した男性のひとりは、がっしりとした体格で派手なスタジアムジャンパーを着ていた。明らかに警察と違う。長谷川さんは証言する。 長谷川隆太さん 「北海道のことが頭にあった。警察が排除するのは違法だということは知っていたので、ヤジを飛ばした時点で排除されると思わなかったんです。そしたら排除されてびっくりした。警察っぽくないなと」
長谷川さんが話す「北海道のこと」とは、北海道警察によるヤジ排除問題だ。2019年7月の参議院選挙期間中、安倍晋三首相(当時)が札幌で自民党候補の応援演説をしていたとき、「安倍やめろ」「増税反対」などとヤジを飛ばした市民を警察が強制的に排除した。排除された大杉雅栄さんと桃井希生さんは道警側を相手取り損害賠償訴訟を起こし、2022年3月、札幌地裁は警察の行為は表現の自由を奪ったもので違法だとして、計88万円の支払いを命じた。だが、札幌高裁は2023年6月、大杉さんの請求を棄却。一方、桃井さんについては一審判決を支持した(現在双方とも最高裁に上告中)。
再び1月19日の八王子市長選での排除に戻る。
長谷川さんによれば、民間人の男性に腕を抱えられ100メートルほど先まで強引に連れて行かれた。持っていた米袋は別の男性に奪われ、二つにちぎられたという。
そこへ制服姿の警察官がやってきた。警察官は「ちょっと話を聞かせてください」と言って近くの八王子駅北口交番まで来るよう求めてきた。長谷川さんが自らスマートフォンで撮影した動画にやりとりが残っている。 警察官「協力してください、お願いします」 長谷川さん「嫌だ」 警察官「協力してください、協力ね」 長谷川さん「嫌だよ、嫌だと言っているの。何の権利があるんだ」 警察官「協力ね」「危ない」 長谷川さん「何の権利があってこんなことしているの」 警察官「ね、お話聞かないといけないから」 長谷川さん「嫌だよ、おれが何をしたって言うの」 警察官「お話聞かないとわからないから、両方のお話」
長谷川さんは何度も同行を拒否するが、警察官は長谷川さんの腕を掴み、数人がかりで交番に連れて行ったという。男性らも交番に付いてきて、排除した理由を「選挙の自由妨害だ」と主張した。
長谷川さんのヤジについて、刑事訴訟法や警察官職務執行法に詳しい豊崎七絵九州大学教授は「過去の判例に照らしても選挙妨害に該当しない」と解説する。1948年の最高裁の判決では、選挙妨害とは「聴衆がこれ(演説)を聴き取ることを不可能又は困難ならしめるような所為」と、大阪高裁も1954年に「選挙演説に際しその演説の遂行に支障を来さない程度に多少の弥次を飛ばし質問をなす等は許容されるべきところである」としている。
一方、排除した民間人や警察の対応こそ問題だと複数の専門家は語る。 小野寺信勝弁護士(道警ヤジ排除訴訟弁護団事務局長) 「排除した男性は暴行罪の可能性がある。場合によっては監禁罪に該当するかもしれない。米袋を破った行為は器物損壊罪に当たる」 「職務質問の要件を満たしていないのに、同行を拒否している長谷川氏に対して交番への同行を強制した警察の対応は問題」 豊崎教授は「警察官は暴行罪や器物損壊罪といった『犯罪がまさに行われようとするのを認めた』(警職法5条)ということで、民間人に対する警告が可能であり、また特に排除との関係で急を要する場合には制止が可能であったと思われる」と話す。
しかも長谷川さんによれば、排除した男性らは初宿氏側の選挙スタッフとみられる(初宿氏の後援会に取材を申し込むも、2月21日現在回答なし)。 当時、街頭演説を取材していた「選挙ウォッチャーちだい」さんも、男性らは「演説が始まる前にのぼりを立てるなど色々な作業の手伝いをしていた」と話し、選挙スタッフではないかと推測する。 では、なぜ排除という行動に出たのだろうか? 選挙ウォッチャーちだいさん 「自民党の裏金問題や統一教会の問題があり、八王子市は萩生田光一自民党前政調会長の地盤。自民・公明が推薦した候補が引き続き勝てるのか、すごく注目されていた。小池都知事は他の都民ファーストの会の元都議の候補を応援すると思われていたが、初宿氏を応援するということで驚くとともに、選挙戦では非常に重要な場面だった。非常にピリピリしていた」
交番に連れて行かれた長谷川さんは警察官と押し問答となり、1時間後ようやく身分証を提示して解放されたという。警察からは男性が主張した選挙妨害などの指摘はとくになかったという。長谷川さんを強制的に交番に連れて行った法的根拠は何か、民間人による排除について認識していたのか、警視庁に質問書を送ったところ以下の回答が来た。
警視庁の回答
「ご指摘の街頭演説において、聴衆の男性と選挙スタッフがトラブルとなった事案については、当事者からの訴え出を受け、警視庁として必要な対応をしていますが、個別の事案に関することであり、詳細についてはお答えを差し控えます」
長谷川さんは、小池知事にヤジを飛ばした理由を次のように語る。
「関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典で歴代の都知事は追悼文を送っていたが、小池氏が東京都知事になって止めてしまった。それは差別だろうと思って、意見表明するチャンスだと思った」
長谷川さんは特定の政治団体に入っていないという。ヤジを飛ばしたきっかけは、札幌で起きたヤジ排除問題を報道で知ったからだという。
「それまで自分はヤジを飛ばしたことはなかった。札幌のことを知って、すごい勇気だと思った。報道を見ただけで自分は何もしないと世の中変わらないと思って、そういう思いがあって自分も声を上げようと思った。札幌のヤジ問題に勇気をもらって、自分が行動していることが多い」
翌日の1月20日。横山町公園で行われた初宿氏の街頭演説。この日は、東京維新の会代表の柳ヶ瀬裕文参院議員が応援演説に来ることになっていた。長谷川さんは街宣車から10メートルほどの距離で再びヤジを飛ばした。 「万博中止、能登復興、大阪万博10兆円」
前日に長谷川さんを排除したとみられる男性がすぐさま近寄ってきて、強引に後方へ連れて行く。動画では、少なくとも4人が排除に関わっていることがわかる。
排除した男性 「やり方間違っているって。自分の主義主張そういうことでやって、テロリストと一緒だよ。あなたがやっていることはテロリストと一緒だよ」 長谷川さん 「お前が暴力を振るっているんだ。放せ、手を放せ」「誰か助けてください、誰が助けてください、暴力を振るわれています。誰か助けてください」
しばらく押し問答が続いた後、長谷川さんは用事があったため、その場を離れた。このとき警察官が駆け付けてくることはなかった。前日に続き民間人に排除された長谷川さん。排除を止めようとする人もいなかったという。 長谷川さん 「周りの人が『排除はおかしい』と声を上げてくれたらその場で解放されたかもしれないけど、怖いと感じました。政治に対して意見があれば自由に発言できるのが当たり前な社会になってほしいし、自分も声を上げるのを続けなければならないと思っています」
憲法学者は、警察という権力機関ではなく民間人による排除も問題があると指摘する。少し長いが重要な指摘なので掲載する。 岩本一郎北星学園大学教授(憲法学)
「札幌のヤジ排除訴訟のように、政治家に忖度した警察が直接市民を排除した事案よりも、問題を見えにくくする点で重大。公権力が直接現れない点で、表現の自由に対する危険性がぼかされてしまうおそれがある。私人によるヤジ排除は『ヤジのステルス排除』と呼ぶことができ、今後、選挙のたびに問題となるであろう」
「仮に選挙スタッフがヤジを実力で排除したとすれば、表現の自由の保障にとっては、道警ヤジ訴訟よりも深刻であるといえる。政治家が運動員を使って、ヤジを排除することが許されるということになれば、公権力を行使する警察とは違い、法的な根拠や明確な基準もなく、また厳格な手続的な保障もなく、政治家とその意を受けた運動員が、自己に都合の悪い言論を恣意的に排除できることになってしまう」
「開かれた公共の空間においては、演説する言論者の利益が常に優先するわけではない。
ヤジを含めた聴衆の反応は、翻って、演説をする言論者に再考を迫る。少なくとも、応答する責任を感じさせるはずである。再考・修正・応答は、健全な民主主義を支える市民的なエートスである。その意味で、運動員を使ってヤジを排除しようとする政治家には、民主主義にとって必要な資質や美質を欠くものといわざるをえない」 札幌のヤジ排除訴訟の原告は次のようにコメントしている。
大杉雅栄さん 札幌のヤジ排除裁判を知っていたら「肉声のヤジは選挙妨害にならないし、公道で暴力的に排除することはできない」ということはわかるはず。その議論を全く踏まえず、ヤジを飛ばす人に暴力を振るい、挙げ句に「選挙妨害で被害届を出すからな」とまで言っている様子には愕然とする。排除したのが選挙スタッフならば、選挙事務所に電話して「あんな暴力的なことをしていたら、そのうち逮捕されちゃいますよ」と“忠告”したいくらい。
桃井希生さん 札幌のヤジ排除と色々なところが似ている事件だと思いました。とくに「万博10兆円」のところなんて、評価ですらない、ただの事実を話しているだけなのにこのように排除されて、明らかにおかしい。警察も「協力お願いします」とだけ言って実質的に行動を制限していて、道警と同じ過ちを繰り返しているのではないか。
誰もが自由に行き来できる街頭で、政治に様々な意見を持つ人が集まる選挙の演説現場。ヤジを飛ばしたり、プラカードを掲げたりする行為は選挙妨害ではなく、表現の自由であり、「意見表明」とも言える。権力機関がヤジ(批判的な意見)を排除するのは問題だが、民間人による排除も大きな危険性をはらんでいる。この問題を放置しておけば、権力側が実行しなくても民間人が代わりに排除することを助長することになり、街頭演説の場での意見表明を委縮させてしてしまう空気が作られる。ひいては「おかしいことはおかしい」と発言すらできなくなる社会になりはしないか。札幌や八王子などで起きた排除は、どこで起きてもおかしくはない。
映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」は全国で上映中。劇場情報は公式ホームページを参照。 https://yajimin.jp/
北海道放送(株)
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