「ここで会ったが百年目」は…(2024年2月25日『毎日新聞』-「余録」)

明治時代の向島土手の桜。落語「百年目」では、ここで主人と番頭が遭遇する=1907年撮影拡大
明治時代の向島土手の桜。落語「百年目」では、ここで主人と番頭が遭遇する=1907年撮影
上野恩賜公園の摺鉢山。ここを落語「花見の仇討ち」の舞台にしている落語家は少なくない=東京都台東区で2013年3月25日、森田剛史撮影拡大
上野恩賜公園の摺鉢山。ここを落語「花見の仇討ち」の舞台にしている落語家は少なくない=東京都台東区で2013年3月25日、森田剛史撮影

 「ここで会ったが百年目」は時代劇や落語でしか聞かれないセリフかもしれない。長年捜し回った敵(かたき)にようやく巡りあえた時の決まり文句だ。「観念しろ」という感じだろうか。相手からすれば「万事休す」だ

▲「盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)、優曇華うどんげ)の花待ち得たる今日の対面」という文句もある。目の見えない亀が100年に1度海面に上がって浮かんでいる木の穴に入り、3000年に1度しか咲かない優曇華の花に遭遇する。それくらい敵を見つけるのは奇跡に近いことだった

▲「万事休す」となる番頭の姿を描くのが落語の「百年目」。主人に内緒で派手な花見遊びをしているところを見つかってしまう。こちらは文字通り100年を迎える。1924年2月25日に創設された東京の落語協会

▲離合集散を繰り返していた落語家らが、大同団結したのは前年に起きた関東大震災の影響が大きい。寄席の歴史を研究する寄席文字書家の橘右楽さんによると、震災で寄席の数が激減。なかでも江戸時代から続く下町の裏通りにあった小さな寄席はほぼ壊滅した

▲落語家も仕事を求めて上方に行くなどした。協会の創設は、再び東京に呼び戻す契機になったのだ。その後も分裂はあったが、30年には日本芸術協会(後の落語芸術協会)が発足し、いまや東京の2大団体として落語人気をけん引する

▲東京の寄席はわずか4軒になり、コロナ禍では灯が消えた。いくつもの「万事休す」を乗り越えてきた復元力こそ、100年先にも残したい落語の力だ。