昭和を代表する大女優・山本陽子さんが亡くなったことがわかった。死因は急性心不全だった。享年81。
【超貴重画像】すごい!山本陽子さんと沖田浩之の決定的熱愛写真
2月2日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に高橋英樹(80)とともに出演し、元気な姿を観せたばかりだった。
4月にも舞台出演の予定だったが、突然の訃報に関係者だけでなくSNSでも驚きと悲しみの声が多く寄せられている。 「’63年に日活ニューフェイスとしてデビューしたものの、吉永小百合など『日活三人娘』の人気に押されて映画では活躍できませんでした。
その後、テレビドラマに進出すると清楚な美貌と優れた演技力で人気が爆発。 ’73年の『白い影』や’82年の『黒革の手帖』などが当たり役となり、昭和を代表するテレビ女優の1人と言われるほど主演ドラマが多かった。舞台女優としても成功し、『おはん』や『放浪記』などで知られていました。
お茶の間には、長年務めていた『山本海苔店』のCMキャラで有名でしたね」(テレビ誌ライター) 私生活では生涯独身を貫いたが、俳優と浮き名を流した女優としても知られていた。
「’73年には『白い影』で共演した田宮二郎さんとの不倫スキャンダルで話題となり
、’85年には俳優の沖田浩之さんとの“20歳差カップル”でも話題になりました」(前出・ライター)
『FRIDAY』は、’85年(3月29日号)に沖田との熱愛を報じている。2人は同年1月放送の『二度目のさよなら』(日本テレビ系)で共演。番宣で出演した時など、山本は沖田のことを、 「年下の子ってかわいいわ」 といい、沖田は山本について、 「恋人、姉、結婚相手の全てが彼女」 などとノロケていた。
交際の噂もあったが、ドラマのための話題作りというのが大方の見方だった。そんな折の’85年3月、本誌は2人を目撃。助手席に山本を乗せた沖田の運転する車が山本の自宅マンションに入っていく。
再びタクシーで出かけると、渋谷のデパートで買い物をし、その後夕食をともにした。その姿は、まるで新婚夫婦のようだった。午後10時過ぎに帰宅した2人に本誌は直撃を試みるも、顔を背けたまま何も答えてはくれなかった。
「この2年後に2人は別れますが、沖田の将来を考えた山本が身を引いたようです。’99年に沖田が亡くなった際には彼の自宅に供花を届け、マスコミの囲み取材で『(沖田のことは)青春の一ページとして記憶に残しておきたい』と気丈に語っていました」
(当時の芸能記者) 本誌が再び彼女の姿を目撃したのは’87年2月のことだった。場所は東京・赤坂の料亭で、和服姿の山本を先頭に、自民党の中堅議員として頭角を現していた森喜朗議員や自民党に復党したばかりの河野洋平議員など、総勢20名の自民党議員が出てきたのだ。
「当時、山本さんは政府広報の対談や政治家主催のパーティーの花束贈呈役などで引っ張りだこでした。この前年、衆議院15名、参議院7名が集まって『山本陽子を囲む会』が発足。この日は2度目の会合で、3月から始まる彼女の舞台公演の激励会だったそうです」(当時の全国紙記者) 会合では、ゴルフ場で山本と知り合ったという森議員は、「(自民党議員が)派閥を超えて会えるチャンス」などと語り、山本は舞台のパンフレットを持参し「応援してください」などと挨拶。和気藹々とした雰囲気の中、2時間ほどで散会した。
「山本さんといえば、和服姿で清楚なイメージですが、麻雀とお酒が好きで、運転好きのカーマニアとしても知られていました。プライベートではかなり男まさりで社交的。芸能界だけでなく、政界や財界にも顔が広かった。80歳を超えても体力の衰えも感じさせず、4月に舞台で元気な姿を拝見できると思っていたので残念です」(老舗芸能事務所幹部) あの凛とした姿を拝見できないと思うと寂しくて仕方がない。ご冥福をお祈りいたします。
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