「ソフト老害」「老害」という言葉を安易に使う人は成長の機会を放棄している(2024年2月22日)

「ソフト老害」に流行の兆し

老害」はブーメランとなって返ってくる

 もうずいぶん前の話ですが、テレビで売り出し中の若手芸人がこんなことを言っていました。

「いつまでも先輩がいろんなところでお元気だから、なかなか出番がまわってこないんですよ~」

 たしかにテレビ番組の中には、番組タイトルに有名タレントの名前を冠しているものもあります。その番組の顔なのですから、交代も難しいのかもしれません。それは、若手にとっては「いつまでも居座って」という感覚になるのもわかります。

 その話を知人にしたら、ベテランのタレントが、それとまったく逆のことを言っている記事を読んだといいます。

「いまの若手は、俺のポジションを奪いに来ようという根性がない。おかげで今でも忙しくさせてもらってる」

 若手から見れば「ベテランの居座り」でも、ベテランから見れば「若手の根性なし」となる。お互いに言い分はあるのでしょうが、これは芸能界に限らず、いろいろなところで見られることだと思います。

 たしかに、マンネリ化しているようなテレビ番組で、しかも発言のセンスがどうもズレてきているような人もいます。一方で、それでも続いているのは内容や視聴率などの観点から「続ける方がいい」と局側が判断しているからでしょう。

 実際に、高額なギャランティーに見合わない成果であれば、大物タレントの番組が打ち切りとなることも珍しくありません。

 それでも、若い人が「上が詰まっている」と感じることはどの世界でもあるでしょう。そうした中で、「老害」という言葉が当たり前のように使われるようになっています。

 相当年齢の高い人たちが組織の実権を握り続けた結果、時代の波に乗り遅れてしまうようなケースは実際にあると思います。さらに、そうした人たちによって不正な運営がおこなわれて告発されるようなケースさえあります。

 権力の座に居座り続けると、問題が起きてくる。これは、大昔から知られていたことでしょう。ですから、政治指導者に任期を設けるような規定を持つ国も多くあります。独裁が続く国がどのような運命をたどるかは歴史が教えてくれています。

 つまり現象として「老害」といわれても仕方のないような事実はあるでしょう。

 しかし、最近の「老害」という言葉の使われ方を見ていると、ちょっと引っかかることが多いのです。高齢者の気になる行動をとにかく「老害」と決めつける人は、どうも思考を停止させているように思えるのです。

 そのことについて、少し考えてみましょう。

 

 できる人は他人のせいにしない

怒るくらいなら新たな道を

 しかし、そうやって人を悪く言っているうちに、実は大きな機会を失っているように思います。なにか高齢者が事件を起こしたりするたびに、ネットニュースのコメント欄にある「老害!」という罵りを見て溜飲を下げても、何も変わりません。

 上司の無理解を嘆きながら愚痴を言い合っても、やはり変わりません。そうやって、気づかぬうちに自分が狭いところに追い込まれていく。そして、キャリアの選択肢もなくなってしまう。

老害」と他人のせいにしているうちに、それはブーメランのように自分に返ってくるのではないでしょうか。

 そもそも自分と異なる集団をいくら罵っても、たいした収穫はないと思います。上の人間が「いまの若手は」といくら嘆いても、変化は起きない。同様に、「老害」と嘆く人も、立場が逆なだけで単に停滞しているだけのように感じます。

 ただし、自分が若いのであればいろいろな選択肢があります。先に若手芸人の嘆きを書きましたが、あれはまだインターネットが発展途上であり、テレビ番組の出番がすべての時代でした。

 その後インターネットで自分の動画を公開することが可能になりました。そこでいち早く先駆けとなった人々は、いまや「小学生のなりたい職業」で上位に挙げられるほどメジャーになっています。

 怒りやいら立ちを自分のエネルギーに変えていく人はいます。一方でその場で不満をため込むだけの人も多いと思います。そして、毒の強い言葉は、人を必要以上にいら立たせます。「老害」というのは、毒の強い言葉の典型だと思うのです。

 理不尽さをことさらに突き付けられれば、だんだんと意欲は低下していきます。だったら、二言目には「老害」というような集団やメディアからは距離を置いたほうがいいのではないでしょうか。

最大の問題は非公式な権力構造

 いまの社会では、たしかに「老害」といわれても仕方のないような現象もある。しかし、その言葉を発していると、段々と自分に毒が回ってくるのではないか。それよりは、他人のせいにしないで道を拓くことを考えた方がいい。

 これは、理想論かもしれません。そこで、私が考える「本当に困った老害」についてあらためて書いておこうと思います。

 それは、「非公式な権力構造」がいつまでも温存されている状況だと思うのです。

 上にいる人が相当の高齢だとしても、認められた手続きで選ばれたならば、それを害とはいわないでしょう。米国の大統領も史上最高齢ですが、それを承知の上で「勝てる候補」として選ばれ、実際に勝利したわけです。

 いっぽうで、公の権力がないにもかかわらず、組織の意思決定に関与しようという人がいます。

 日本の企業ですと、元の経営者で取締役すら引退した人が、実質的な権力者として居座ることがあります。また、役員経験者のOBがいつまでも経営に口を出し、時には徒党を組んで意見を突き付け、経営者がその対応に四苦八苦するようなケースも未だに多いのです。

 政治の世界でも似たようなケースはありますが、まだ報道などでいろいろなことが見えていきます。しかし企業に関してはよほどのお家騒動にでもならなければ、あまり報道されることもありません。

 この非公式な権力構造は、日本企業が停滞してきた大きな原因の一つだと思います。これこそ「老害」として糾弾されるべきことでしょう。

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 山本氏が「糾弾されるべき」としている「老害」は、政界あたりで探せば「あの人」「この人」とすぐに頭に浮かぶだろう。

 ただ、実のところ、「老害」もあれば「若害」のようなものだってある。

 己の不満や不遇を安易に他人のせいにするのはあまり得策ではないのかもしれない。

 

デイリー新潮編集部

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