否決されても、説明責任が免除されたわけではない。国会議員としての適格性には疑問が残ったままで、真摯(しんし)な反省と対応が求められる。

 文科相は宗教行政を所管する。岸田文雄首相が昨年9月、文科相に起用した盛山氏を巡っては、2021年衆院選に際し、教団の関連団体から推薦状をもらい、支援を受けていた問題が浮上。教団側との事実上の政策協定とされる推薦確認書に署名していたとも報道された。

 教団との接点について、自民党は自己申告形式で行った調査の結果を22年9月に公表したが、盛山氏は「関連団体の会合に出席、あいさつ」しただけの議員に分類されていた。

 国会質疑で盛山氏は推薦状の受領を認めたものの、選挙支援に関しては「私の方から依頼した事実はない」と曖昧な言い方に終始。推薦確認書への署名の有無を問われても「記憶がない」との答弁を連発した。

 虚偽申告をしていたと疑われても仕方なく、不信任案が指摘したように説明責任を果たしていないと言えよう。

 盛山氏は文科相就任後、東京地裁に教団の解散命令を請求。これを踏まえ、岸田首相は「過去に接点があったとしても今は完全に関係が断たれている」と盛山氏を擁護した。関係断絶は当然のことで、新たに問題視された過去の接点を事前に把握していれば、文科相に充てなかったはずだ。

 自民党の調査がずさんだったことも要因だろう。だが、首相が不信任案採決前から盛山氏の続投方針を堅持していたのは、自らの任命責任に跳ね返ってくることを警戒したためではないか。

 自民党派閥政治資金パーティー裏金事件で内閣支持率が低迷する中、政権基盤をさらに揺るがす事態は避けたいとの思惑もあったことは否定できまい。国民の不信感を晴らすより、内向きの論理を優先しているかのように見える。

 盛山氏の発言で驚いたのは、21年衆院選で各種団体から交付された200通を超える推薦状を「全て廃棄」し、リストも作成していないと語った点だ。

 署名の「記憶がない」とした教団側の推薦確認書を含め、こうしたぞんざいな姿勢で選挙に臨んでいるとすれば、国会議員として信任に値するか首をかしげてしまう。

 「旧統一教会関係者から盛んに揺さぶりをかけられていると感じる」。盛山氏は教団側との関係を取り上げる一連の報道を念頭にそうも述べた。たとえ事実だとしても、教団側に付け入る隙を与えたことへの自戒の念はうかがえない。

 22日には地裁が教団側と文科省側の双方から意見を聴く「審問」が初めて開かれる。不信任案は「国民から疑念を抱かれずに公正な審理を進めることは不可能であると断ぜざるを得ない」と糾弾した。

 首相や盛山氏が否定するのであれば、教団側との関係について調査を尽くし、つまびらかにしてもらいたい。その上で裁判や被害者救済の取り組みを通じて信頼を回復していくしかない。