難聴公表して「心が解放された」補聴器生活25年・井上順の信念…大河ドラマ「真田丸」には頭巾をかぶって出演(2024年2月18日『スポーツ報知』)

自身がはやらせたピースサインで撮影に応じた井上順(カメラ・小泉 洋樹)

 俳優で歌手の井上順(76)は50代前半で感音性難聴を発症した。人一倍、社交的な性格だが、聞き返すことに罪悪感を感じ、心が塞ぎ込んだという。それでも病気を公表したことで周囲から励まされ、「難聴の星になろう」と開き直った。発症から約25年、現在は補聴器を使用し、俳優業を中心に活躍。毎朝、Xでつぶやくダジャレも好評だ。77歳の誕生日である21日には東京・渋谷JZ Bratで喜寿の記念ライブを開催する。(有野 博幸)

 取材の趣旨を説明すると、77歳の誕生日を目前に控える井上は「喜寿を迎えるなんて、きじゅかなかったよ」と得意のダジャレで笑いを誘った。病気の話題で暗くならないように率先して空気を温めてくれたのだろう。生粋のエンターテイナーらしい、さりげない配慮だ。

 50歳を超えた頃、耳の不調を感じ始めた。「台本の読み合わせをしている時、ほかの方の声が聞こえづらかったので『もっと元気を出してやりませんか?』と言ったんです。すると、みんな怪訝(けげん)な顔をするんです」。それをきっかけに耳鼻科を受診。「感音性難聴」と診断された。病名を聞いてもピンとこなかったが、次の会話でがく然とした。

 「どうすれば治るんですか?」と尋ねると、医者は「治りません」。それから何件も耳鼻科を受診したが、診断は同じ。「僕らの仕事は会話のキャッチボールが大事ですからね。『え、何ですか?』と聞くのが、すごく失礼な気がして、プレッシャーになりました」。幼い頃から明るく前向きな性格だが、「気持ちが後ろ向きになって、しばらく引きこもりになりました」。

 「若い頃にエレキの音がガンガンするところで仕事をして耳を酷使してきたんでしょうね。これまで多くの人と接して、楽しい時間を過ごしたのに、難聴によって無になってはいけない」。病気の公表を決意した。補聴器を使い始めると「『こんなに聞こえるの?』って世界が変わりましたね。今まで何か隠し事をしているような気持ちがあったけど、難聴だと明かしたことで、心が解放された」。

 補聴器との付き合いは約25年。就寝時と入浴時以外は装着している。仕事のオファーを受けた際には「難聴で補聴器を使っていますけど、いいですか?」と確認している。「軽快な会話の切り替えが必要なバラエティー番組は遠慮させてもらっていますけど、ドラマや映画は問題ない。世の中には、思っている以上に難聴の人は多い。夢や希望を持てるように『難聴の星になろう』と心に決めました」。補聴器も年々、小さく精巧な機種が開発されている。

 NHK大河ドラマ真田丸」では織田信長の弟・織田有楽斎を演じた。当初は「時代劇に補聴器をしている人はいないから、難しいと思います」と断ったが、脚本の三谷幸喜氏(62)が「大丈夫です。僕が何とかします」と頭巾をかぶったキャラクターにしてくれた。「自分では苦労を苦労だと思わない男ですけど、難聴が人生のターニングポイントでしょうね」。難聴を経験したことで、より周囲の支えに感謝するようになった。

 1963年に16歳でザ・スパイダースに加入してから芸能生活60年。「スパイダースはリーダーの田辺昭知さんを筆頭に才能のあるメンバーがそろって、僕は堺正章さんとツインボーカル。最年少だったから、かわいがってもらった。すごいグループにいたことが僕の誇りです」。70年にグループは解散。ソロに転身し、71年発売の「お世話になりました」が代表曲になった。

 72年からは最高視聴率56・3%を記録したTBSドラマ「ありがとう」に出演した。「スパイダースは若者には人気があったけど、知らない人も多かった。『ありがとう』に出たことで、北は北海道、南は沖縄まで、井上順という名前を全国区にさせてもらえた。プロデューサーの石井ふく子さんとの出会いに感謝です」。76~85年は芳村真理(88)とフジテレビの歌番組「夜のヒットスタジオ」の司会を務め、お茶の間の人気者になった。

 幼い頃からG党で、特に長嶋茂雄終身名誉監督(87)の大ファンだ。20代で当時、現役だった長嶋さんにインタビューする機会があり、それから何度も食事やゴルフを共にした。21年前期のNHK連続テレビ小説おかえりモネ」に出演した際にはミスターから「順ちゃん、元気そうだね」と電話をもらい、激励にジャケットをプレゼントされた。「スポーツ報知の『勝つ!勝つ!勝~つ!』をいつも楽しみにしています」

 取材中、何度も「僕は本当に幸せな男だと思う」としみじみと語った。「誰かが自分を幸せにしてくれるのではなく、自分で思うことが幸せに結びつく」。その上で好きなものが2つある。「一つは太陽。毎日、タダで明るさと温かさを全人類に与えてくれる。僕はスターではなく、太陽みたいになりたい。もう一つは笑顔。より多くの笑顔に出会った人が、本当の意味で人生の勝ち組だと思う」

 ダジャレを交えながら語られるエピソードの数々。取材時間はあっという間に1時間を超えた。表情も口調も若々しく活力にあふれ、難聴であることを感じさせなかった。

◆21日に喜寿記念ライブ

 21日に地元・渋谷のセルリアンタワー東急2階にあるJZ Bratで喜寿の記念ライブを行う。会場での観賞チケットは完売したが、ツイキャスで税込み3000円の有料ライブ配信を行う。アーカイブ視聴は25日まで。井上は「お世話になったみなさんに、お礼を伝える気持ちでステージに立ちたい。『順も元気に頑張っているな』と思ってもらえたら」と思いを込めた。