「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質(2024年2月17日)

 まるで昨今のポリコレ(政治的公正性)を嘆くネット上の匿名アカウントのような意見が散見され、これならばわざわざ有名人を招かなくとも、一般人にアンケートを取れば良いのではないかと言いたくなる。

 多様な意見があるのだから、バランスを取るためにこういった意見も必要なのかもしれないが、人権をテーマにした議論設定をしながら、人権の問題に取り組む識者や専門家の意見を聞いた様子がないのはどういうことなのだろうか。

 「人権はもちろん大切だが」「人権意識が強くなりすぎると」といった意見はそもそも人権問題を考えることに拒否を示す人にありがちな反応である。人権を学ぶことは、誰にとっても多少の苦痛を感じる経験である。それまでの価値観が揺さぶられ、自分の偏見に気付かされることがあるからである。ある意味、自然な反応とも言える。

 だからこそ、こういった拒否反応を起こす人がいる前提で、それを包摂し乗り越えるための教育が必要であり、人権について意識が高まることは「息苦しさ」を意味しないと納得してもらう必要がある。しかし日本ではまだ、拒否反応が「一つの意見」と見なされる傾向があり、それがこの度の議事録でもはっきりとした。

● 松本人志氏の番組を絶賛 ネットなどへのライバル心が「チラ見え」

 ちなみに、重箱の隅をつっつくようで申し訳ないが、このような要約すると「最近はすぐクレームが来るから大変だ」的な委員からの意見はこれ以前にもあり、例えば「品性に欠ける番組だとお叱りを受けることもあるだろうが、子どもや若者に美しい物だけを見せても良くない」(2023年1月「フジテレビの未来への提言」)、「批判を恐れてドラマやバラエティーが面白くなくならないようにしてほしい」(同)などがあった。

 松本人志氏の降板が話題となっている『まつもtoなかい』(現「だれかtoなかい」)は、審議委員の中で「最近見たトーク番組の中で断トツに面白い」「何よりも良かったのは、攻めている匂いがしたこと。最近テレビがどうしても萎縮しがちな中で、『人々が見たいものを見せるんだ』という自由な制作側の意志が伝わってきた。フジテレビの元気の種につながるのではと感じた」と絶賛されていた(2023年5月の議事録より)。

 フジテレビ側の「ここ数年『テレビより他メディアの方が面白い』と言われ続けているのが悔しく、『結局テレビが一番面白い』と思ってもらえるコンテンツを作りたいと考えている」というコメントからは、ネット動画などへのライバル心が垣間見える。こういった焦りが、「自分たちはコンプライアンスに過剰に縛られてやりづらい」という発想につながるのかもしれない。

● 「他者をおもんばかる力」 のズレを指摘する委員も

 念のため、委員たちからはこれ以外の意見もあったことを紹介する。ざっと見た限り、ネット上で肯定的に受け止められていた彼らの意見は次のようなものだ。  ・何より大事なのは子どもたちがより良い未来を手にするために、大人が人権の概念をアップデートさせていくこと。

 ・テレビは勝ち組の集まりだった。弱者の視点や他者をおもんぱかる力が無意識の内にずれてくる。一人一人が弱者に寄り添う人生観を持つことが港社長の言う“愛”なのでは。

 ・視聴者、出演者、取材対象者だけでなく、テレビの番組制作に携わる人々の人権にも目を向けてほしい。自身の人権を守られていないスタッフが、テレビの向こうの人の人権に敏感になれるはずがない。

 ・関東大震災では誤報が人々の思想を先導し、誤った思想に基づいて大勢の命が奪われたという悲惨な過去がある。その過去は絶対忘れてはならない。テレビ報道はSNSがどうであろうと、真実しか放送しないということを固く守ってもらいたい。  最後に紹介した意見は、東海テレビが別人の顔写真使用した問題についてではないだろうか。

 「大人が人権の概念をアップデート」は前述の通り、その通りであると思う。  テレビが「勝ち組の集まり」であるのもその通りで、かつて就職活動でテレビ局の倍率はとても高かったし、タレントでもテレビに出る人は「勝ち組」である。彼らの視点を重視すれば、自然と中心点がズレてくるという指摘は重要である。

 

鎌田和歌

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