静岡県浜松市。ここに年老いた2人の姉弟が暮らしている。袴田ひで子(91)と巖(88)だ。巖は半世紀近く拘置所にいたことで心身に異常をきたす拘禁症を患っていて、釈放から10年あまり経った今なお意味不明な言動が続く。ひで子は弟に代わって無罪を勝ち取ると決め、現在は法律の壁を打ち破ろうと動き出している。(敬称略・#1~3から続く)
判決言い渡し後に裁判長は声を震わせ…
2024年9月26日。
再審公判はついに判決の日を迎えた。
傍聴券を求めて500人が列を作るなど、朝から喧騒に包まれる静岡地裁とは裏腹に巖の様子は普段通りだ。
とはいえ、精神面の不安定さから出廷を事実上免除されていて、法廷には補佐人として代わりにひで子が入る。
「主文、被告人は無罪」
静岡地裁は「1年2カ月もの間、味噌に漬かると血痕に赤みは残らない」とした上で、“5点の衣類”について「捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、発見直前、味噌タンク内に隠された捏造証拠」と認定。
疑惑のズボンに関しては、巖が当時使っていたベルトのサイズから「はくことができた」と指摘した一方で、ズボンの共布が実家から見つかったことについては「捜査機関によって持ち込まれた可能性がある」と、こちらも捏造を認めた。
さらに、巖の自白調書も「警察官と検察官の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べで作成されたもので実質的に捏造である」とまで踏み込んでいる。
そして、裁判長の國井恒志は最後に耳が聞こえづらいひで子のため、証言台より前に座るよう促し、語りかけた。
「第1回公判でひで子さんは巖さんに『真の自由をお与えください』と話されました。ですが、裁判所に真の自由を与える役割はありません。検察官は控訴することができるのです。控訴すれば高等裁判所で審理できてしまう。審理は続く可能性があります。無罪は確定しないと意味がないのです。巖さんに自由の扉はきちんと開けましたが、まだ閉まる可能性もあります。ものすごく時間がかかり、裁判所としてもとても申し訳なく思っています。有罪かどうか決めるのは、警察でも検察でもありません。有罪かどうかを決めるのは裁判所です。真の自由までもう少し時間がかかりますが、もうしばらくお待ちください。これかも心身ともに穏やかにお過ごしください。ひで子さんが健康でいられることを心から祈っております」
國井の声は時折震え、ひで子の目には涙が浮かんでいた。
法廷を後にしたひで子は、会見で「裁判長さんが『主文、被告人は無罪』と言うのが神々しく聞こえましたの。私はそれを聞いて感激するやら、うれしいやらで涙が止まらなかった。また涙があふれ出てきておりました」と胸中を吐露。
「再審無罪になったの。長かったけどさ、裁判は。『無罪です』って裁判長さんが言った。だからもう裁判所も行かない。安心しなよ?ね?わかった?よかったね…わかった?」と。
支援者などに無罪を報告する集会が開かれた。
ただ、弁護団事務局長の小川は「重要な証拠を、死刑になるような事件で隠していたということ。そして、嘘をついていたということ。それって簡単に終わらせる問題じゃないでしょ?」と捜査機関への不信感を滲ませる。
一方、ひで子は「みなさま本当にいろいろありがとうございました。無罪を勝ち取りまして。家に帰って巖には明日言うか、明後日言うかと思っていたんですが、(巖が)風呂に入ったあとくつろいでいたので、そのまま『いま帰ったよ』と言って、目を見て『無罪になったよ。あんたの言う通りになったよ』『あんたの手紙の通りになったよ』と言ったんですが本人は何とも反応いたしません。(判決)翌日の新聞を全部買いまして、『無罪』と書いてある、と。新聞をずっと見ても、やっぱり言葉は発しない。物を言えないわけではないが、何を言っているかわからないが、『ありがとう』とぜひ言わせてあげたい」と報告。
そこに巖が支援者と共に遅れてやって来た。
判決当夜、ひで子の言葉には反応のなかった巖。
だが、この日ははっきりとした口調で「待ちきれない言葉でありました。無罪勝利が完全に実りました。完全に全部勝ったということで今日はめでたくみなさんの前に出てきた」と述べ、ひで子に促される形で「ありがとうございました」と結んだ。
(テレビ静岡)