かつて国内最大の日雇い労働者の街として知られたあいりん地区(通称・釜ケ崎)=大阪市西成区=で1日、大阪地裁が地区の象徴だった労働者支援施設「あいりん総合センター」から野宿者を強制的に立ち退かせる強制執行を実施した。センターは耐震性の問題などから2019年に閉鎖。立ち退きを命じる判決が24年5月に確定していた。強制退去で、大阪府・市による施設の解体・再整備が前進する。
同センターの敷地を対象にした野宿者の強制退去は初めて。センターは国と府市が1970年に開設した。地下1階、地上13階建てで、日雇い労働者が医療を受ける病院や市営住宅、仕事を紹介する西成労働福祉センターなどが入っていた。
府は老朽化と耐震性の問題から、19年にセンターを閉鎖。病院と市営住宅は近くに移転した。市は跡地に新たな労働施設のほか、子育てや就労の相談ができるワンストップ窓口、住民や旅行者が集まる多目的オープンスペースなどを設ける基本構想を策定。22年度までにセンターを解体し、24年度までには労働施設の建て替え工事を終える計画だった。
しかし、センター閉鎖後も敷地内では野宿者らが「(センターは)唯一の生活拠点」と主張し、生活を続けた。そのため、府は20年に立ち退きを求めて大阪地裁に提訴。野宿者側は憲法上の居住移転の自由や生存権などを根拠に生活の保障を求め、府による立ち退き請求は「行き場のない人を追いやり、権利の乱用だ」と主張して争った。
21年12月の1審・大阪地裁判決は、行政が生活保護の受給や居宅確保などの支援をしていることなどを挙げ、野宿者らに立ち退きを命じた。22年12月の2審・大阪高裁も支持し、最高裁は24年5月に上告を棄却、判決が確定した。府市は野宿者に移転先の紹介や福祉支援の提案などを進めていた。
あいりんを拠点に生活困窮者の支援に取り組む「釜ケ崎支援機構」によると、90年に1日平均約1万人だった日雇いあっせん数は近年、10分の1程度に減少。センター敷地内や周辺では直近まで野宿者数十人が生活していた。
1日は午前7時ごろから、府市の職員らがバリケードで敷地を囲い、数百人規模で強制執行が始まった。約8時間半かけて、野宿者の所持品や放置されていた家財道具などを撤去した。周辺では府警の機動隊員が警戒に当たり、物々しい雰囲気となった。
生活の場を追われた野宿者の男性(40)は午前7時半ごろ、大きな工事音で起こされたという。「大勢の人に囲まれ、『出てください』と言われて、抵抗もできなかった。これからどこでどう生活するか決まっていない」と途方に暮れた。別の男性(70)は「散歩から帰ったらフェンスで囲まれ、入れなくなっていた。これからのことはわからない」と話した。
吉村洋文知事は「判決が確定して半年あまり過ぎたが、退去に応じていただけなかった。建物を一日も早く撤去し、新施設の建設に取り組んでいく」とのコメントを発表した。【長沼辰哉、村上正、大坪菜々美】