<100年の残響 昭和のうた物語>(9)
エスニックな響きの前奏が流れ、画面に砂漠を歩く女性が映し出される。イスラムの衣装ブルカで全身が覆われている。1979年、お茶の間で広まったカラーテレビのCM。誰しもの耳に残るのは「子供たちが空に向かい 両手をひろげ」で始まる挿入曲だろう。タイトルは「異邦人~シルクロードのテーマ」。多くの人が、中近東の子どもたちをイメージしたはずだ。
◆父がイランのポップスのカセットテープを買ってきて
「夕暮れ時、空き地で子どもたちが追いかけっこをしていたんです。ドラム缶や土管が置かれた場所で、『ドラえもん』ののび太やジャイアンが遊んでいるような光景でした。国立のあたりだったでしょうか。線路がまだ高架ではなかったので間近に見えて、忘れないようにメモしたんです」
何げない日常をスケッチし、タイトルは「白い朝」とつけた。当時聴いていたフォークやニューミュージックとはひと味違う旋律に乗せてみた。「イランに赴任していた父が現地のポップスのカセットテープを買ってきてくれて、好きになりました。その影響が曲に表れたかもしれません」
◆「うそでしょって感じ」
久米さんが音楽と出合ったのは4歳の時、ピアノを習い始めてからだ。中学生のころ、同級生のバンドにキーボードで加わり、曲もつくり始める。短大卒業を前に、書きためた曲のテープをCBSソニーに送ったところ、才能が音楽ディレクターの目に留まった。改めて指導を受ける中で書いたのが「白い朝」だった。
1980年にはNHKがシリーズドキュメンタリー「シルクロード」を放映することもあり、ブームを先取りする戦略もあったようだ。テーマに合わせ、詞を一部書きかえる。「出だしや『旅人』『時間旅行』といった言葉は元のままですが、『異邦人』という言葉は新たに入れました。ただ、タイトルにするのは反対でした。『旅人』『エトランジェ』といった案を出しましたが、通りませんでした」
◆「私自身が芸能界で『異邦人』になっていた」
もう一つ想定外だったのは、自身が歌うこと。「全く知られていない声の方がミステリアスでいいという判断があったようでした」
ほのかな哀愁を帯びた歌声も人気を呼び、曲はヒットチャート1位に上り詰め、ミリオンセラーとなった。しかし、テレビの音楽番組などでスポットを浴びることになじめず、「私自身が芸能界で『異邦人』になっていたと感じました」。
そうした中で触れたのが賛美歌だった。「自分にとって音楽って何だろうとルーツを探っていたんです。小学生のころ、賛美歌に惹(ひ)かれて教会の日曜学校に通ったことを思い出し、八王子市内の教会を訪ねると、信者たちが賛美歌を歌っていました。心から楽しんでいるように感じました」
◆「音楽宣教師」
1981年に洗礼を受け、3年後に芸能界を引退。以来、「音楽宣教師」として活動している。教会やライブ会場で賛美歌を歌い、リクエストがあれば「異邦人」も披露する。聖書のメッセージから書いたオリジナル曲を収めたアルバムも出してきた。
その一つ「天使のパン」のタイトル曲は、息子が飛行機の窓から見下ろす街を表現した言葉から詞を着想したという。「『白い朝』みたいじゃないですか」と水を向けると、「あ、言われてみれば…」と笑う。
いま、長崎でのキリシタン弾圧と原爆投下の歴史を読み解くドキュメンタリーづくりに協力している。「長崎は潜伏キリシタンが迫害された地です。原爆が投下されたことも合わせ、大きな悲劇に対して神はなぜ沈黙していたのかを問うドキュメンタリーです」。現地を旅し、「案内役」としてその答えを探すという。久米さんにとって新たな「時間旅行」になりそうだ。
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<連載:100年の残響 昭和のうた物語>
来年、「昭和100年」を迎えるのを前に、多くの人の耳に残る、あの歌の物語を通して、今に伝えるメッセージを月に1回探る。
文・稲熊均/写真・稲岡悟
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