東大に合格し在学中に司法試験にも合格…「エリート街道」を駆け上がった法学者が「本当はやりたかった事」(2024年11月9日『現代ビジネス』)

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「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。
残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。
裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。
『絶望の裁判所』 連載第4回
『なぜ日本の裁判所は「国民を支配するための道具」と化したのか…元判事の法学者が明かす、衝撃の『ウラ事情』』より続く
著者が裁判官になった理由
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私は、1954年に名古屋の古い下町に生まれ、高校までそこで育った後に、東京大学文科一類(法学部に進むコース)に入学し、4年生の時に司法試験に合格した。
司法試験を受けた理由は、どう考えても自分が会社に向いているようには思えなかったからである。また、当時は合格者500名台、留年生を除いた純粋な大学生の合格者は全国で数十名という狭き門に挑戦してみたいという気持ちもあった。幼いころから自分の能力だけを頼りに生きてきた、また、それ以外に頼りになるものは何もないと両親に叩き込まれてきた優等生の、悲しき性である。
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
父「おまえには裁判官以外は務まらない」
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しかし、実をいえば、本当にやってみたかったのは、文学部での社会・人文科学の研究だった。今考えても、本来ならそれが一番自然だったのではないかという気がする。文学部ではなくとも、最初から法学部の学者をめざしてもよかっただろう。本当をいえば、私は、およそ宮仕え向きの人間ではなかった。
しかし、両親は、当時はまだいわゆるエリートの試験であった司法試験に息子が合格したことにいたく満足していたし、また、私が裁判官になることをも強く望んでいた。
父は両親を早く亡くして後見人に多額の遺産を蕩尽されたことから高等教育を断念した人間であり、能力もプライドも高かったが、世の中に対しては屈折した心情を抱いていた。行政官僚を憎み、軽蔑しながら、裁判官はすばらしいと思ってしまい、また、私が裁判官をやめたがると、いつも、何とかそれを思いとどまらせようと必死だった。
「おまえには裁判官以外は務まらない」というのが父の口癖で、普通のサラリーマンが務まらないだろうことは私にもよくわかっていたが、学者が務まらないというのは、全くわけがわからなかった。
要するに、なぜかはわからないが、学者にはなってもらいたくなかったのだろう。また、私が学生の時点では、子どもが学者の道に進む経済的余裕は私の家庭には乏しかったことも事実である。
司法試験に合格した後に裁判官を選んだのは、法曹三者、つまり、裁判官、検察官、弁護士の中ではそれがまだしも自分には向いているだろうと考えたことが大きく、また、前記のとおり親の勧めもあったが、今思うと、そのほかに、ことに当時は法曹三者の中でも一段高いものとみられていた裁判官として成功したいという隠された上昇志向があったことも否定できない。
それは、両親から私に、屈折した形で潜在的に受け継がれたものだった。
このような隠された、しかし根深い上昇志向は、左派の人々までをも含めて、日本の優等生にきわめて特徴的、一般的なものであるが、私もまた、その例外ではなかった。
幼いころから数多くの書物を読み、あらゆる芸術に親しんできたにもかかわらずである。
『“医師”と“製薬会社”がグルになって不正を…《癒着》が引き起こした恐るべき薬害『クロロキン事件』とは』へ続く
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
 
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本書は、一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録であり、心ある国民、市民への警告のメッセージである。
目次
第1章 私が裁判官をやめた理由―自由主義者、学者まで排除する組織の構造;
第2章 最高裁判事の隠された素顔―表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数の策士たち;
第3章 「檻」の中の裁判官たち―精神的「収容所群島」の囚人たち;
第4章 誰のため、何のための裁判?―あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所;
第5章 心のゆがんだ人々―裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理;
第6章 今こそ司法を国民、市民のものに―司法制度改革の悪用と法曹一元制度実現の必要性