ベテラン裁判官「痴漢冤罪で無罪はほぼ出ない」…検察の主張を鵜呑みにする「裁判所のヤバすぎる内部事情」(2024年11月6日『現代ビジネス』)

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「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。
 
残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。
裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。
『絶望の裁判所』 連載第1回
世間のイメージとは乖離している
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裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべるだろうか?
ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。
そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、皆無に等しい。
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
何も解決してくれない裁判所
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裁判所の利用者の視点に立って、少し具体的に想像してみよう。
あなたが理不尽な紛争に巻き込まれ、やむをえず裁判所に訴えて正義を実現してもらおうと考えたとしよう。裁判所に行くと、何が始まるだろうか?
おそらく、ある程度審理が進んだところで、あなたは、裁判官から、強く、被告との「和解」を勧められるだろう。
和解に応じないと不利な判決を受けるかもしれないとか、裁判に勝っても相手から金銭を取り立てることは難しく、したがって勝訴判決をもらっても意味はないとかいった説明、説得を、相手方もいない密室で、延々と受けるだろう。
また、裁判官が相手方にどんな説明をしているか、相手方が裁判官にどんなことを言っているか、もしかしたらあなたのいない場所であなたを中傷しているかもしれないのだが、それはあなたにはわからない。あなたは不安になる。
そして、「私は裁判所に理非の決着をつけてもらいにきたのに、なぜこんな『和解』の説得を何度も何度もされなければならないのだろうか?まるで判決を求めるのが悪いことであるかのように言われるなんて心外だ……」という素朴な疑問が、あなたの心にわき上がる。
苦労して判決をもらったのに...
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また、弁護士とともに苦労して判決をもらってみても、その内容は、木で鼻をくくったようなのっぺりした官僚の作文で、あなたが一番判断してほしかった重要な点については形式的でおざなりな記述しか行われていないということも、よくあるだろう。
もちろん、裁判には原告と被告がいるのだから、あなたが勝つとは限らない。
しかし、あなたとしては、たとえ敗訴する場合であっても、それなりに血の通った理屈や理由付けが判決の中に述べられているのなら、まだしも納得がいくのではないだろうか。
しかし、そのような訴訟当事者(以下、本稿では、この意味で、「当事者」という言葉を用いる)の気持ち、心情を汲んだ判決はあまり多くない。
必要以上に長くて読みにくいが、訴訟の肝心な争点についてはそっけない形式論理だけで事務的に片付けてしまっているものが非常に多い。
こうしたことの帰結として、2000年度に実施された調査によれば、民事裁判を利用した人々が訴訟制度に対して満足していると答えた割合は、わずかに18.6%にすぎず、それが利用しやすいと答えた割合も、わずかに22.4%にすぎないというアンケート結果が出ている(佐藤岩夫ほか編『利用者からみた民事訴訟──司法制度改革審議会「民事訴訟利用者調査」の2次分析』〔日本評論社〕15頁)。
日本では、以前から、訴訟を経験した人のほうがそうでない人よりも司法に対する評価がかなり低くなるといわれてきたが、上の大規模な調査によって、それが事実であることが明らかにされたのである。
もしあなたが痴漢冤罪に巻き込まれたら
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また、あなたが不幸にも痴漢冤罪に巻き込まれたとしよう。
いったん逮捕されたが最後、あなたは、弁護士との面会の時間も回数も限られたまま、延々と身柄を拘束されることになるだろう。
突然あなたを襲った恐怖の運命に、あなたは、狼狽し、絶望し、ただただ牢獄から出してもらいたいばかりに、時間を選ばない厳しい取調べから逃れたいばかりに、また、後から裁判で真実を訴えれば裁判官もきっとわかってくれるはずだと考えて、「はい、やりました」と言ってしまうかもしれない。
しかし、虚偽の自白をしてしまった場合にはもちろん、あなたが否認を貫いて公判に臨めるほどに強い人間であったとしても、あなたが無罪判決を勝ち得る可能性は、きわめて低い。
刑事系裁判官の判断の秤は、最初から検察官のほうに大きく傾いていることが多いからである。
『裁判官にとって「国民はただの記号にすぎない」…裁判所が「理念」を捨ててまで「正義を踏みにじるワケ」』へ続く
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。
同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)

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絶望の裁判所 (講談社現代新書) 新書 – 2014/2/19
瀬木 比呂志 (著)
 
裁判官というと、少し冷たいけれども公正、中立、優秀といった印象があるかもしれない。しかし、残念ながら、そのような裁判官は、今日では絶滅危惧種。近年、最高裁幹部による、思想統制が徹底し、良識派まで排除されつつある。 三三年間裁判官を務めた著名が著者が、知られざる、裁判所腐敗の実態を告発する。情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ・・・、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。
裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか? ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、ほとんど全くない。近年、最高裁幹部による、裁判官の思想統制「支配、統制」が徹底し、リベラルな良識派まで排除されつつある。
33年間裁判官を務め、学者としても著名な著者が、知られざる裁判所腐敗の実態を告発する。情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ……、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。