日本赤十字社の第2回通常代議員会に臨む人たち=日赤講堂で1954年3月27日、写真部員撮影
日本赤十字社と皇室の深い関わりにはどのような意味があるのか。天皇、皇后両陛下の長女愛子さまも日本赤十字社に入社されました。「日本赤十字社と皇室」の著書がある山梨学院大学教授の小菅信子さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
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◇西南戦争が契機
――最初から皇室との関わりがあります。
◆西南戦争(1877年)にあたって出された、日本赤十字社の前身の博愛社設立の請願に、既に、敵味方の差別のない戦時救護をすることは、「朝廷ノ寛仁」を内外に示し、感化する一端になるとの記述があります。西南戦争中の1877年8月には皇室から金1000円が贈られます。同年9月に東伏見宮嘉彰親王が総長に就任し、以後総長(日本赤十字社に改称後は総裁)には皇族が就任します。
――なぜ皇室なのですか。
◆日本赤十字社から言えば、「十字」がキリスト教を連想させ、反対があったため、皇室の庇護(ひご)を強調する必要がありました。皇室にもメリットがありました。当時の庶民には、天皇と言ってもなんのことかわからない人が多くいました。その時に、天皇、皇后がいかに慈悲深い存在かを国民にアピールできました。国際的な意味もあります。赤十字条約に参加することで、日本が文明国であると国際的に訴えることができました。日本赤十字社は、国内的な問題と対外的な問題を同時に解決し、皇室のイメージを国民にみせる国民統合の役割も果たしました。
――日本が近代国家になるうえで役割を果たしたということですか。
◆もともとは戦時救護団体です。国民にとって嫌な徴兵制でも、日本赤十字社のような人道援助が戦場でも差し伸べられるのであれば、いくばくかは安堵(あんど)できます。徴兵制を実施するうえでも必要だったのです。重要なことは、戦時・災害・大事故で救護するには平時からの訓練が必要だ、ということです。戦時救護団体・人道援助団体は常設する必要があったのです。さらに、この中立的救護団体は非武装ですから、守ってくれる軍隊がいないと戦場には出ていけません。戦争の時には、日本軍に従軍していくことになります。日本赤十字社には、皇室が国民に与える博愛と、従軍する兵士をいたわって国を守る報国の両面があったのです。
――そこで皇室が役割を果たしました。
◆日本赤十字社の社章は、昭憲皇太后(美子=はるこ=、1849~1914年)から示されたかんざしの模様をもとにしたとされています。「日本赤十字社百年史」にあるエピソードですが、日本赤十字看護大学の学生が使うテキストにも載っています。戦時救護は危険な仕事で、殉職者もでています。誇りを持たせる必要がありました。政治的な神話と言っていいでしょう。皇室は、政府と日本軍と日本赤十字社の3者が一体化していくためのルートの一つでもありました。殉職した日赤看護婦は靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)されました。女性が靖国に合祀されるのは、当時は「このうえなく名誉なこと」とされました。
◇女性皇族の役割
――皇后など女性皇族の役割があります。
◆慈恵や博愛という考え方を通じて国民統合のなかに女性を取り込む役割があります。慈悲深い皇室、特に皇后の慈悲をアピールすることに日本赤十字社は役立ちました。皇后は慈悲深く、やさしいとイメージされますが、日本赤十字社総裁を務めていることが影響しています。
――女性皇族の役割は大きくなっています。
◆現在でも女性皇族が日本赤十字社に関わることは重視されています。日本赤十字社は、国民に皇室の姿を見せ、理解させるうえで重要な役割を果たしています。私たちが赤十字から皇室や皇后を連想するのは、西南戦争以来、150年近くかけて作り上げられたものです。愛子さまが日本赤十字社に入社されたのも、女性皇族としての役割を果たしているということだと思います。
――これからどうでしょう。
◆日本赤十字社の博愛のイメージは、戦後日本が「戦争をしない国」だったからです。しかし、安保法制で日本は「戦争をするかもしれない国」になりました。日本赤十字社が今後、戦時救護団体として、前線に赴くようになる可能性は否定できません。そこで女性皇族、皇室が果たす役割は今までと変わらないでしょう。
戦前は、出征兵士を送るときに日の丸を振って壮行会をしましたが、日本赤十字社の看護婦も壮行会で送られています。「戦争をするかもしれない国」の赤十字社はどうなるか。重要な動きがあるかもしれません。(政治プレミア)