皇室外交を牽引するご決意
いよいよ海外でのご公務を…
昨年、大学を卒業し社会人となられた天皇家の長女・愛子さま(23)が今年、海外でのご公務デビューを果たす見通しとなった。共に英国留学のご経験を持つご両親にならい、在学中から海外に留学されるのではと思われたが、被災者や病気など困難を抱える人々の力になりたいとの思いから、日本赤十字社への就職をご決断された愛子さま。今年を外国公式訪問“元年”に選ばれた背景には、次代を担う皇族として、皇室外交を牽引していくというご決意があるようだ。
メンバーが16人にまで減少した皇室にあって、女性の割合は3分の2を超える。三笠宮家の彬子さまの英国留学記がSNSへの投稿をきっかけに単行本から文庫化され、30万部を突破するベストセラーとなった。注目が集まる女性皇族について、海外でのご活動にも強い関心が寄せられている。昨年、秋篠宮家の次女・佳子さまがギリシャを訪れて手話を披露し、障害者に寄り添われた姿は大きく報じられた。
愛子さまは2006(平成18)年8月、皇太子夫妻だったご両親と共にご一家でオランダを訪れ、初の外国を経験された。この時は病気療養中の雅子さまの治療も兼ねたご静養だった。18年7月には、英国のウィリアム皇太子も通ったロンドンの名門・イートン校でサマースクールを経験されている。学習院女子高等科のプログラムを利用しての“一人旅”だった。
女性皇族が海外に赴くようになったのは、戦後しばらく経ってからのこと。数少ない戦前のケースでは、1930(昭和5)年5月、兄・昭和天皇の名代として欧米を周遊訪問した高松宮宣仁親王に同行した喜久子妃の皇室外交がよく知られる。事実上の新婚旅行を兼ね、台湾の四重渓温泉で旅館に宿泊された逸話も現地に残る。
このほか22(大正11)年、朝香宮鳩彦王が軍人として軍事研究のためパリに赴き、翌23年4月1日に同じくパリに滞在していた北白川宮成久王・房子妃夫妻と一緒にドライブに出かけた際に事故に遭遇して重傷を負った。看病のため急遽、允子妃がパリに向かったが、その後、中欧旅行をするなど約2年間、現地に滞在し国際交流に努めている。パリでは当時流行していたアール・デコへの造詣も深め、帰国後はアール・デコ仕様の宮邸新築に尽力。気品ある邸宅は東京都庭園美術館(港区)として今も美しい姿をとどめる。
また一緒に事故に遭った北白川宮妃房子内親王は明治天皇の7女で、8女の允子妃の姉に当たる。1909(明治42)年4月に結婚し、17(大正6)年の秋、夫妻で台湾を訪問したほか、事故のあった23年は成久王に同行して仏での遊学中だった。
余談となるが、前述の喜久子妃は2001(平成13)年12月に愛子さまが誕生すると、翌02年1月7日発売の月刊誌『婦人公論』に「敬宮愛子さまご誕生に想う」とする一文を寄稿。女性天皇の即位を検討することについて「決して不自然なことではない」と述べている。さらに「皇室典範の最初の条項をどうするかでしょう」「女性の皇族が第127代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではない」と綴られている。
最も重要な皇室外交の一つが、名代としての国際親善だ。
1921(大正10)年、病状が悪化していた大正天皇の事実上の名代として、摂政就任直前の昭和天皇が初の外国訪問で欧州諸国を歴訪。英国で国王ジョージ5世から歓待を受けている。53(昭和28)年には昭和天皇の名代として、エリザベス女王の戴冠式に皇太子時代の上皇さまが参列。第二次世界大戦の敵国だった日本から訪れたプリンスに冷ややかだった英国民の視線は、英王室のサポートで好意的なものへと変化した。
外国の地で皇室外交を担った女性皇族の“はしり”とも言える喜久子妃の月刊誌寄稿は、皇位継承者を男系男子に限っている皇室典範の改正を検討すべきとの考えを示したものとみられている。生後間もない愛子さまにエールを贈った喜久子妃は、愛子さまにとって皇室外交の先輩でもあり、お手本となる。
もう一人、お手本となる存在には、「紀宮さま」と呼ばれた叔母の黒田清子さんもいる。清子さんの公式訪問デビューは1995(平成7)年11月のブラジル。日本とブラジルの修好100周年を記念した式典にご臨席のため、招聘に応えたものだ。
天皇陛下の公式訪問は閣議決定を経て行われ、皇族方の公式訪問は閣議了解を得ることになるが、黒田清子さんがまだ大学在学中で、20歳になってすぐの89年8月のこと。ベルギーのボードワン国王妃がスペイン出身だったため国王夫妻は毎夏、スペインの避暑地にある別荘で過ごしていた。上皇ご夫妻と天皇陛下、秋篠宮さまと共にご一家ぐるみで国王夫妻と懇意にしていたことから、この時「プリンセス・ノリ」と名指しで国王夫妻から招かれた。また、スペインのカルロス国王から招待を受けるかたちをとってスペインに渡航したことも。
小室眞子さんは24歳の時
宮内庁OBはこう打ち明ける。
相手国から招待を受けた20代の若き女性皇族による皇室外交では、ほかに秋篠宮家の長女・小室眞子さんの例がある。公式訪問デビューは24歳だった2015(平成27)年12月のエルサルバドルなど中米2カ国だった。佳子さまの公式訪問は19(令和元)年9月に24歳で訪れられたオーストリアなど欧州2カ国だ。また三笠宮家の彬子さまが国際親善のために渡航されたのは大学在学中で21歳だった03(平成15)年4月、父の寛仁さまに同行したノルウェー。さらに公式訪問ではないが、高円宮家の長女・承子さまが27歳の時に招かれたのは、13年8月のスリランカであった。
「女性皇族が国際親善のために汗をかかれるご活動は、皇室外交としての側面だけでなく、女性の社会貢献という側面からも大きな意義があります」(同OB)
愛子さまは昨年、社会人1年生として仕事にご公務にと、精力的に活動された。元日に能登半島を襲った最大震度7の震災では、2月6日に気象庁長官や防災担当の内閣府政策統括官から説明を受けられ、熱心に耳を傾けた。3月8日には日赤の社長らからも説明を受けられている。令和6年度に入ってからも、ご勤務先となった青少年・ボランティア課でのお仕事の傍ら国立公文書館(千代田区)や紀尾井ホール(同)、東京オペラシティコンサートホール(新宿区)、東京ステーションギャラリー(千代田区)などに要請に応えて足を向けられた。
また6月10日には御所を訪れたルクセンブルクの皇太子と面会され、国際交流に真心を込めて努められた。秋には国民スポーツ大会(旧・国体)の陸上競技や柔道をご覧になるため佐賀へ赴かれ、手すき和紙づくりもご体験。日本の伝統工芸に触れられた。赤坂御苑で催された園遊会にもご参加。宮殿で文化勲章の受章者や文化功労者と天皇皇后両陛下との茶会に同席されている。
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部