戦艦大和の「出撃前の宴会」は「無礼講」だった…そこで起きていた「意外な事態」(2024年10月20日『現代ビジネス』)

出撃前の艦上で
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公試航行中の大和(1941年)〔PHOTO〕WikimediaCommons
世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。
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そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。
本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。
吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。
やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。
その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。
同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。
とくに印象的なのは、出撃の直前、艦内でひらかれた無礼講の「宴会」です。公式な宴会が終わったあと、会はさらに盛り上がりを見せたようです。しかし、その盛り上がりからは、これから死地におもむくことが決まっている人間の思いがにじむようで、悲壮感も感じられます。
同書より引用します。
〈散会後、各所属分隊ノ居住区ニ遠征 痛飲マタ快飲
可燃物陸上ゲ後ナレバ、「デッキ」ニ食卓、椅子ナシ
「マット」ヲ敷キ詰メ、車座ニ腰ヲ下シテ端ヨリ余興ヲ出ス 多クハ本調子ノ俚謡民謡ナリ
冷酒ヲ一合四勺入リノ湯呑ミニドクドクト注ギ、一気ニ呑ミホス 直属ノ部下十六名、一人一人ニ注ギ廻ル
出撃ナリ 斗酒ヲモ辞スベキヤ
乗員三千 スベテミナ戦友、一心同体ナリ
廊下ニテ二水(二等水兵)ニ遭ウ 他分隊ノ兵ナレバ面識ナシ 微醺ノ故カ、紅顔輝キテ可愛シ
酩酊ノ身トシテ能ウカギリ厳シキ答礼ヲ返シ、行キ過ギントスルヤ、閃クモノアリ──我ラノ墓場、互イニ遠カラズ ムシロワレト君トハ、一ツノ骸(ムクロ)ナリ
肩ヲ抱エテ、「オ前」ト呼ビカケタキ衝動湧クモ、辛ウジテコラウ
一次室ニ戻リ鯨飲ヲ重ネツツアレバ、艦長、副長トトモニ一升瓶ヲ両手ニ提ゲテ現ワル 五十名ノ中尉、少尉、人垣ノウチニ囲ンデ放歌乱舞、トドマルトコロヲ知ラズ
見事ナル艦長ノ禿頭ヲ撫デサスリ、果テハ叩ク者アリ〉
〈副長、「スクラム」ニ揉マレテ上衣ヲ裂ク
フト二人ヲ見失ウ ヤガテ二三〇〇(十一時)頃
副長ミズカラ艦内スピーカーニヨリ全艦ニ令達 「今日ハ皆愉快ニヤッテ、大イニヨロシイ コレデヤメヨ」 異例ノ親愛ナル語調ナリ
血ノ気、顔ヨリ引キ、肩、腕ニ痙攣走ル
叱声、怒声、飛ビ散リ拡ガッテ壁ニ響ク
酔イ痴レテ、ワガ胸ニナニカ疼キイシモノ、ハタト脈動ヲ止ム〉

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戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫 よG 1) 文庫 – 1994/8/3
吉田 満 (著), 鶴見 俊輔 (解説)
昭和20年3月29日、世界最大の不沈戦艦と誇った「大和」は、必敗の作戦へと呉軍港を出港した。吉田満は前年東大法科を繰り上げ卒業、海軍少尉、副電測士として「大和」に乗り組んでいた。「徳之島ノ北西洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 今ナオ埋没スル三千の骸(ムクロ) 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」戦後半世紀、いよいよ光芒を放つ名作の「決定稿」。