ご静養のため、浩宮さまの手を引いて長野・軽井沢へ(1964年9月) (C)JMPA
2024年10月20日、美智子さまは卒寿(90歳)のお誕生日を迎えられた。振り返れば、美智子さまがご結婚され皇族となって初めて迎えられたお誕生日には、おなかに赤ちゃん(のちの浩宮さま、今の天皇陛下)を身ごもられていたのである。皇統を絶やさないため天皇家にとってはもちろん、国民にとっても大切な命であった。今回は、ご出産を迎えるころの美智子さまのご様子と、古くから伝えられるお誕生日に召し上がるお祝御膳の物語である。
ご結婚後初めてのお誕生日には、おなかにうれしい赤ちゃんが
1959年4月10日、街道を埋め尽くす人々の歓喜の声の中を、皇太子殿下(現在の上皇陛下)と美智子さまのご成婚のパレードがゆっくり進む。そのミッチーブームの興奮もまださめない7月15日、「妊娠4カ月でご経過も順調。出産予定日は昭和35年3月2日」と宮内庁の発表があり、国民はかさなる慶事に沸き立った。皇太子殿下と美智子さまにとって、結婚してすぐに子どもに恵まれたのはたいそう幸せなことであった。
新婚のお住まいは、東京・渋谷の閑静な住宅街にある東宮仮御所である。美智子さまは、東宮仮御所の近くにある渋谷保健所で母子手帳の交付を受けられた。母子手帳を持たれたのは、皇族では初めてのことだった。美智子さまは、母子手帳におなかの赤ちゃんの成長記録を書き込むのを何よりの楽しみにされていたという。
安産祈願の戌の日の「着帯の儀」も無事に終えて
10月7日には、妊娠五カ月目の戌の日に行う一般の「岩田帯」にあたる「内着帯式(仮着帯)」を無事おすませになった。20日には25歳のお誕生日を迎え、翌年の1月23日には「着帯の儀」が行われた。これは、皇后または皇太子妃のご懐妊9カ月目の戌の日に行われる、宮中の公式行事であった。
「着帯の儀」に先立ち、帯親に立たれたのは故高松宮さまであった。高松宮さまは、蒔絵の箱に収められた帯を皇居に届けられた。長さ3.6メートル、紅白生平絹の帯である。蒔絵の箱に収められた帯は、まず宮中三殿に供えて清められた。
やがて儀式の当日、皇太子殿下の見守るなか、美智子さまは無事に着帯をすまされ、安産がおごそかに祈願されたのである。
お祝い事にいただく小さな重ね餅「小戴(こいただき)」
やがて美智子さまは、三人の子宝に恵まれた。「まるで合宿所のよう」と美智子さまがおっしゃった、にぎやかな毎日をお過ごしになられたのだ。年月が経ち、皇太子殿下は天皇陛下となられ、美智子さまは皇后陛下となられた。
2018年(平成30年)の美智子さまのお誕生日には、浩宮さまと雅子さま、秋篠宮さまと紀子さま、黒田慶樹さんと清子さんを招いて家族でご夕餐を祝われた。メニューは、真鯛の重ね造りや紅白水引大根、蟹しんじょの袱紗(ふくさ)仕立て、柚子釜入り膾(なます)、フカヒレのスープ仕立て、小鯛の化粧塩焼きなどであった。
祝膳のメニューは年ごとに変わるが、いつも添えられる料理があった。それは「小戴(こいただき)」と呼ばれる丸い小さな餅である。
まずは、餃子の皮のように丸く平たく延ばした「小戴」(餅)に、塩味の小豆餡を少し乗せ、硯蓋に積み上げたものをおふたりにご覧いただく。その後、焼いて甘辛の醤油にからめた「小戴」が出され、それを召し上がられるのである。「小戴」には、温酒(清酒)が添えられる。
小さな重ね餅は、「いただきもち」ともいわれ、一般でも昔は祝い事にそえられていたという。天皇家は日本に昔から伝わるものを大切にされている。お祝のときに食べた料理は、いつまでも心に残っていくだろう。(連載「天皇家の食卓」第24回)
※トップ画像は、(C)JMPA
文・写真/高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さまマナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへプリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さまあの日あのとき』、『日めくり31日カレンダー永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さまいのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る!家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。
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