東京湾でシラウオ、半世紀ぶりに発見…でも、一体どこから来たの?「江戸前」高級魚の謎(2024年10月18日『東京新聞』)

 
 かつて江戸川と多摩川の河口域を結ぶ「江戸前」で取れる代表的な高級魚だったシラウオ東京湾では水質悪化などのため絶滅したとみられていたが、川崎市多摩川河口で半世紀ぶりに見つかった。多摩川では水質などの成育環境も改善しており、このまま定着する可能性もあるという。だが、このシラウオがどこから来たのかは、謎に包まれている。
多摩川河口で2021年2月に採集されたシラウオ(川崎市提供)

多摩川河口で2021年2月に採集されたシラウオ川崎市提供)

◆水質回復、浅瀬ができた…

 研究者らによる「東京湾再生官民連携フォーラム多摩川河口干潟ワイズユースプロジェクトチーム」(PT)と川崎市が9月に都内で記者会見し、成魚や卵の採集を発表した。
記者会見する風呂田利夫・東邦大名誉教授(左)ら=港区で

記者会見する風呂田利夫・東邦大名誉教授(左)ら=港区で

 「シラウオの『再出現』は、東京湾の環境が再生してきている指標となる。下水道が普及して水質が回復したことに加え、2019年10月の台風19号による増水で、多摩川河口に卵を産める砂地の干潟や浅瀬ができたことが大きい」。PTの風呂田(ふろた)利夫・東邦大名誉教授(海洋生物生態学)はこう指摘する。
 川崎市川崎区殿町から大田区羽田空港周辺に架かる「多摩川スカイブリッジ」(2022年開通、長さ約675メートル)の建設工事に伴い、市が多摩川河口で地引き網を使うなどして環境調査を実施。シラウオの成魚は2021年2月に5匹、2022年2~3月に3匹見つかったほか、2022年10月には77匹が採集された。

◆台風で千葉から?利根川や江戸川から? 三つの説

 一方、卵はPTが河口の砂地で2022年に223個、2023年に98個採集した。研究者らは科学的な検討を経て学術雑誌に論文を発表し、今回の公表に踏み切った。
 多摩川河口のシラウオの「由来」は、主に三つの説が考えられるという。
 説(1)は、シラウオが生息する印旛沼(千葉県)が2019年の台風19号で増水し、沼から続く新川と花見川を経由して東京湾に流されてきた。
 説(2)は、生息地である利根川から江戸川、東京湾を経由した。
 説(3)は、2019年12月に隅田川で市民団体がシラウオ復活を願って、小川原(おがわら)湖(青森県)産の1万匹を放流しており、その一部がすみついた──というものだ。

◆「人為的な放流、否定できない」

 PTは、採集されたシラウオのうち、2022年の成魚2匹と2023年の卵17個のDNAを分析した。
江戸前のシラウオ漁を描いた浮世絵「東都花暦 佃沖ノ白魚取」。通常の漁では、十字に組んだ竹で張り上げた方形の浅い袋状の網「四つ手網」を使った(国立国会図書館所蔵)

江戸前シラウオ漁を描いた浮世絵「東都花暦 佃沖ノ白魚取」。通常の漁では、十字に組んだ竹で張り上げた方形の浅い袋状の網「四つ手網」を使った(国立国会図書館所蔵)

 小川原湖印旛沼霞ケ浦茨城県)などで採集されたシラウオのDNAと比較したが、どこから来たのかは特定できなかった。風呂田さんは「遺伝的に近い個体が多かった印旛沼の可能性が高いものの、人為的な放流の可能性も否定できない。これ以上の放流は遺伝的な混乱も起こるので、やめていただきたい」と話す。
 今後はPTが調査を続ける。風呂田さんは「シラウオを漁獲できるまで増やして、江戸前情緒を復活したい」と願う。

 シラウオ サケやアユの仲間のシラウオ科の細長い魚で、体長7〜8センチほど。淡水と海水が混じる汽水域に生息し、寿命は満1年。徳川家康の好物とされ、江戸時代に将軍に献上された。シラウオ漁は、歌舞伎に隅田川の初春の風物詩として登場し、浮世絵には隅田川やその河口の佃島沖の風景が描かれた。
 1876(明治9)年には東京府(当時)の金額ベースの漁獲統計で芝エビ、アサリに次ぐ3位だった。東京湾の「江戸前」と呼ばれた水域では、昭和初期に年間50トン前後漁獲された。「東京都レッドデータブック(本土部)2023」は「1970年ごろに絶滅したと考えられる」と記述する。

 ◆文・増井のぞみ/写真・七森祐也、増井のぞみ
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