石破氏が早期解散表明 論戦を避ける党利党略だ(2024年10月1日『毎日新聞』-「社説」)
これでは党利党略を優先してひょう変したと言わざるを得ない。国民に信を問うというのであれば、判断材料となる与野党の国会論戦を尽くすべきだ。
衆院解散の時期は、総裁選の主要な論点だった。「できるだけ早期に」と訴えた小泉進次郎元環境相に対し、石破氏は「国民が判断する材料を提供するのは新しい首相の責任だ」と述べ、一問一答で論戦を交わす予算委員会開催の必要性を強調していた。
新政権の誕生にあたり、国民の審判を受ける意義は否定しない。しかし、石破氏が示す日程では、充実した国会論戦は到底望めない。解散前に予算委を開くべきだ。議論が深まり政権の方向性がより具体的に伝わるからだ。
新しく就任した党執行部に求められるのは、派閥裏金事件のけじめを付けて、国民の信頼を取り戻すことだ。石破氏は出馬時に「ルールを守る政治を確立することで、自民党は国民にもう一度信頼してもらえる」と語っていた。
だが、党執行部の顔ぶれを見ると、本気で改革に取り組もうという意欲はうかがえない。森山裕幹事長は裏金事件について、党幹部として聞き取り調査にかかわったものの、裏金作りの経緯や使途など全容の解明には至らなかった。
石破氏は当初、裏金に関与した議員に関し、次期衆院選で公認するかどうか「徹底的に議論する」と明言していた。対応に納得していない国民に対して説明責任を果たすとも述べた。
このまま早期解散に踏み切れば、公認の再検討も、説明を尽くすことも時間的に難しい。
石破氏が長年、世論の支持を得てきたのは「党内野党」として執行部批判もいとわない姿勢があったからだ。国会をないがしろにして解散・総選挙を急ぐようでは、国民の期待を裏切ることになる。
偶然で1度うまくいっても…(2024年10月1日『毎日新聞』-「余録」)
偶然で1度うまくいっても、同じ方法では成功しないことを戒めることわざに「柳の下にいつもドジョウはおらず」がある。古くからの表現らしい。明治中期の「国民の品位」(天野御民著)ということわざの本で、同じ土地からいつも優れた人物は出ないという意味で紹介されている
▲3年前を思い起こす。2021年10月4日に岸田文雄内閣が発足した際は、27日後に投開票が行われた。大急ぎの日程は、新政権への「ご祝儀票目当て」ともやゆされた。1日に内閣が発足して27日に投開票を行うとすれば、それよりも短い
▲総裁選で石破氏は解散前の国会論戦を尊重する姿勢をアピールしていた。だが、この日程で有権者に判断材料が提供できるのか。新政権の「賞味期限」に自信が持てないための判断なら「裏金疑惑隠し解散」との批判を浴びよう。能登の被災地が選挙事務に対応できるかも心配だ
▲岸田首相の例に限らず窮地に陥ると党首の顔を繰り返し代え、ドジョウを得てきた自民だ。野党・立憲民主党の野田佳彦代表は自らを地味なドジョウに例えることで知られるが、「2匹目のドジョウ」になるつもりなど毛頭なかろう
衆院選は政権選択の選挙だ。首相交代に合わせて実施すること自体は問題ないが、あまりにも急ぎすぎてはいないか。
石破氏は党総裁選時には、国会で野党側と論戦を交わしてから衆院選を実施するのが望ましいという姿勢だった。総裁になって言い出した「10月27日投開票」では、国会日程が極めて窮屈で、十分な論戦ができるとは思われない。これではまるで掌(てのひら)返しである。
石破氏はわずか半月前の日本記者クラブ主催の討論会で「国民が判断する材料を提供するのは首相の責任だ。本当のやり取りは(国会の)予算委員会だ。すぐ解散するという言い方はしない」と語っていた。早期解散を唱えていた小泉進次郎候補と石破氏の考えは違う、と受け取った国民は多かったはずだ。
自民は1日召集の臨時国会の会期について「9日まで」とする日程を野党に提案した。4日に首相の所信表明演説を行い、週明けの7日から衆参両院で代表質問を行う方向だ。予算委や党首討論の開催が取り沙汰されているものの、9日までの日程では極めて短時間の開催しか望めまい。立憲民主党からは早速反発の声が出ている。
石破氏は総裁就任時の会見で「(自民は)謙虚な政党でなければならない」と語った。そうであるなら、予算委で野党側と堂々と論戦を交わすのが筋ではないだろうか。政権発足の勢いに乗って衆院選を有利に進めたいのかもしれないが、言行が一致していないと見られれば期待感はしぼみかねない。